2009年10月31日土曜日

オフィシャルイメージ

岩手演劇通信「感劇地図」の最新号の発送作業が、
9:00より盛岡劇場(河南公民館)の会議室にて行われる。

が、10分ほど遅れて到着。

いつもは、「遅れます」などメールするのだが、
メール送ってるより、そのまま向かったほうが早いな、
と思って、「急ぎ」を選択した。

部屋に入るなり、くらもちさんに、
「最近(感劇地図の)連絡メールに
全然反応がないから、
また入院でもしたのかと思ったよ」
と、(特に安堵という風でもなく)
当たり前のように言われる。


発送作業終了後、解散し、昼食を食べてから、
14:00より、おでってリージョナル劇場公演の
パンフにちらしをおり込ませていただくため、
おでってホール前に。

たまたまこの日に、普段あまり身に着けない、
襟ぐりがフリル状になっているカットソーを着て、
スカートをはいていたら、
すかさず、劇団ゼミナールの睦さんや、
劇団よしこの大沼さん達に囲まれ、

「ナニ?! なんか今日めずらしいカッコしてんじゃん!」
「スカートはいてる! スカートはいてる!」

と、やたら反応される。

さわの 「・・・・・いや、十年ぶりくらい前にはいてた、
      昔買ったスカートが、またはけて嬉しかったから」

あと、「大雨で、ジーパンだと裾がびしょぬれになる時」
なども、仕事に行くときにスカートをはくことが多いです。
基本的に、色気のない理由ではきます。
(持ってないわけじゃないんだけど)


しかし、今日判明したのは、
周囲に思われている私のイメージは、

「基本的に(事務的な)メールの返信がマメ」で、
「女らしい服を着ない」

と、いうことのようだということである。
なんて地味なイメージなんだ。
裏方仕事ばかりしてきたツケか。
ていうか、化粧とファッションに金かけないしな、普段。

ちくしょー。
そのうち、杉本彩的フェロモンで勝負してやろうと思う。

そのうち、っていつだ。

日本救急医学会総会@岩手 非公認コラボエッセイ

10月29日(木)から31日(土)まで、
日本救急医学会総会・学術集会が、
ここ盛岡で開かれるということで、
木金にバイトで足を運んでいるアイーナには、
全国から来た医療関係者でごった返している。

おそらく、岩手医大の救急センターであるとか、
循環器医療センターのCCUの先生も来ているかも。

ちなみに、毎月定期外来でお世話になっている
主治医のA孫子先生も、専門分野の学会で、
同時期に東京に行っている、はずである。
と、いうことはですよ、もし今私が倒れたら、

岩手医大に私のことを診ることのできる先生が
今、いないかもしれないじゃないですか!!

いやー、もう、ドキドキの週末ですよ。

がんばれ私。おとなしくしてろ、私。
近寄るな、インフルエンザ(←これも怖いね)。

もしかしたら、知ってる先生や看護師さんが
来てるかもしれないと思い、
昼休みに、気もそぞろで会場を眺めてたのですが、
そんな簡単にバッタリ会えるような規模の
人数ではありませんでした。さすが総会。

そんなわけで、今日は
「テーマ:私と救急医療」でお送りいたします。



これまでの人生の中で私は、
少なくとも最低3回はシャレでなく死にかけている。
9歳と、22歳と、27歳。

9歳で罹った病気が元で、
22歳と27歳で心筋梗塞になり、
その時に心臓の冠動脈のバイパス手術を受けている。

その時々で、今でもふと思い出すような、
救急センターやCCUの先生の
(名前も知らない先生も含め)思い出があるのだが、
こうして今、改めて振り返ってつくづく思ったのは、

私は、2000年に死んでいても
全然おかしくはなかったのだ。

ということである。
昨年、ブログにも書いたが(↓)、
http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_10_01_archive.html#753425335060095921
2000年の6月に、胸が苦しくて救急に行ったとき、
2人の先生に、「心電図に変化がない」からと、
心筋梗塞の診断をされなかったのである。

一度目は自宅に帰り、でもやっぱりどう考えても
尋常じゃない症状だったので、再度訪れて受診し、
そこでもまた違う医師に
「異常はない」と言われて帰されそうになった。

ここで、昔の主治医のK地先生が現れて、
私の心電図を診て異常を発見し、
循環器センターのCCUに手配をしてくれなかったら、
私は、また自宅に戻ってしまって、
手遅れになっていたかもしれない。

生死というのは本当に紙一重である。

それは、医療ミスというよりも、
運不運といっていい。

生身の人間は、教科書とは違うのだから、
たまたま私だけの、他の人とは違う診断結果の見方があり、
それを覚えていてくれた先生が、
たまたま、その時間にその場に居合わせていたのは、
逆に奇跡だったといってもいい。

それ以降、医大では私が異常を訴えて受診すると、
とりあえずはその場で異常が見つからなくても
「まずは検査入院しましょう」と言ってもらい、
結果的に私の判断が正しいことを
知ってもらえるようになった。

その後、2、3回くらいは
K地先生に会う機会もあったのだが、
きちんとしたお礼もしないままに、
K地先生は数年前に、県外に出られてしまった。

こちらには、「救急センターにいるんだろうな」
という漠然とした安心感と油断があったのだが、
まさに、「孝行をしたいときには親はなし」とばかりに、

「感謝の言葉を言いたいときには先生はなし」

という感じで、お世話になった先生がどんどんいなくなる。
CCUでお世話になったS木先生は、
実家を継ぐために開業医になってしまったし、
前の主治医のT代先生は、
臨床現場での患者の担当はもう持ってない。

ここでA孫子先生やF崎先生が、
開業で辞めたり、どこかに異動したりしたら、
「引継ぎを受けた、カルテのデータ」だけではない、
生身の私の身体の情報を持ってくれている先生は、
全くいないに等しいといっていいほどである。
(主治医を受け持ってもらった事のある先生はまだいるが、
分かってもらってると思うほど接している先生は少ない)

また、なにかにつけ「よっ、いずみちゃん」と、
声をかけて気にかけてくれる先生も、
もうごくごく僅かだ。

ここ最近は、何かにつけ、
地方の医療崩壊を防ぐための手助けを
私は何ひとつできる術を持たないという
歯がゆさを感じるのだが、
(大学病院という環境は、また別かとも思うのだが)
今の私には、こうしてお世話になった
先生方への感謝の気持ちを、
改めてこういう小さな場でだけででも
明言していくしかないのかもしれないなと思う。

私は「ER」や、「救命病棟24時」といったような、
ヒューマン系医療ドラマというものを
殆ど見たことがない。

それは、私がこれまでに受けてきた、
たくさんの先生方や看護師さんとの思い出のほうが、
よっぽど私にとってはドラマティックな記憶だからである。
(ま、ハラが立った事例も含めてね)

2009年10月23日金曜日

患者だもの。

午前中は、医大の定期外来で血液検査。

最初は来週の予定だったのだが、
先日病院受付から電話がかかってきて、
「先生が30日に急きょ外来診察が
できなくなったので、
日にちを変更してほしい」
との電話があり、前の週に変更したのである。

と、いうことで外来が通常の2倍!

病院の壁に貼ってある、患者の要望と回答一覧に、
「予約を入れた主治医が不在(出張?学会?)だった。
事前に連絡して予約日の変更をしてほしい」
というような要望があり、病院側の回答として、
「実際のところなかなか難しいが、まぁ、できる範囲で」
というようなことが書いてあった。
(記憶を頼りに書いてるので、とてもアバウトで
正確ではないですが)

ま、どっちの言い分もわかるよなぁ、
と思っていたところだったが
(いい加減もう、かかりつけ医みたいなもんだから、
わざわざ大学病院まで来て、
初めて主治医が不在とわかり
いきなり知らない先生に、
一から細かいことを説明するのもめんどくさい。

かといって、その日の外来予約患者全員に電話して
説明して、予約日変更をとりつけるというのもまた
大変な作業であることは想像に難くない)


でも、それを実行したんですね、先生・・・(涙)。
(診察前に、看護師さんが
「今日は、A孫子先生がんばってるのよ~・・・」
と、いたく同情的なフォローを私にした)

ところで、来週、いったいナニがあるのだろう?

(1)また岩手の医療者が流出し、人手不足で遠方出張診療
(2)なんかの医療講演会の講師を頼まれた
(3)遅い夏休み(または早い冬休み先取り)
(4)実は奥さんの出産予定日
(5)えっ、もしかして、学会とか?!

久しぶりの2時間弱の待ち時間に、
平謝りのA孫子先生と看護師さんの
言葉を聞くのも早々に、

さわの 「先生、先生、来週ナニがあるんですか?」
A孫子 「東京に行くことになって・・・」
さわの 「えっ! 学会・・・かなんか研修・・・」
A孫子 「学会にね」
さわの 「おおお!」

現場では、新人や後輩を指導する立場のヒトに向かって、
「研修?」とか訊いてる失礼な患者。

皆さんの中には、
「論文より目の前にいる患者が大切だろう!」
とおっしゃる方も多いかとは思いますが、
意外と、知ってる先生が学会に行くとかいうと、
患者も普通に喜ばしく、興味深いものです。
親戚のお兄さんが、なんかのコンクールに出場、みたいな。
ていうか、私が喜んでどうする。


「権威に弱くたっていいじゃないか。さわのだもの」


(ま、自分が発表してくるのか、発表を聴いてくるのか、
詳しい事は訊かなかったけど・・・)

A孫子 「で、今日の検査結果、(数値は)どうだと思う?」
さわの 「・・・低いと」
A孫子 「あー、自分で思い当たるフシが(笑)」
さわの 「昨日おととい、口さみしくてつい、焼き海苔を大量に・・・」
     (海藻類は、私の服用する薬の作用を
      阻害する成分が多い。特に海苔)
A孫子 「他には? ビタミンドリンク剤毎日飲んでたとか」
さわの 「いやもう、絶対焼き海苔です、これは。
     そりゃもう大量の焼き海苔をただただ食べてて・・・」

2時間待ちの大学病院の外来で、
こんなのん気な会話をしていていいんでしょうか。
まだまだ、診察はたて込んでるというのに。

さわの 「・・・先生、そこの張り紙に
     『診察前に、患者のフルネームを確認しましょう』
     って書いてますよ(そんなことされてませんよ)」
A孫子 「いいんだよ、そんなのはっ(泣)!!」

私もいまさら診察前に先生から
「お名前を、フルネームおっしゃって下さい」
と事務的に訊かれたら、
きっと一日やさぐれると思います。
(ちなみに、採血室では毎回、生年月日を言わされ、
名前の貼ってある採血容器が
合ってるか確認をさせられる)

さわの 「あと、何人診察残ってるんですか?」
A孫子 「それを言っちゃうと(まだそんなにいるのかと思って)
     やる気なくなるから(笑)」
さわの 「お疲れさまです」

診療の最後に、患者からお礼ではなく
励ましの言葉をかけられる医師。
がんばれ先生、来週は学会だ。

2009年10月18日日曜日

パーティーにお呼ばれしてみた

舞台美術家・彫刻家の長内先生が、
岩手日報に毎週連載していたエッセイ、
「美術屋の道具箱」が書籍化されたということで、
出版祝賀会に呼んでいただき、出席してきた。

ここ2週間ばかりの間に、
披露宴、葬式2つ、ミニコンサート鑑賞、
出版パーティー出席って、
どんだけセレブの生活かっちゅうねん。
(葬式がセレブ生活と関係あるかはおいといて)

冠婚葬祭目白押し!

話は戻り。
長内先生はここ最近、
たまたまブログにもお名前を出していたが、
本当に顔が広く、人柄も穏やかで素敵な方なので、
200人近い出席者が集まっていた。
しみじみと、「人柄って、財産よね」と思う。

演劇関係、美術関係、教育関係(元美術教師なので)、
公共施設職員(舞台美術のワークショップやらなにやら、
色々なお手伝いをされているので)はおろか、
出版・マスコミ関係、地元文士・名士
(盛岡文士劇に毎年出演してるので)がずらりと並ぶ。

ど、どこに混じっていればいいんだ・・・。

と、思ったら、てくりでお世話になった、
カメラマンの奥山さんを発見。
「どういうお知り合いですか? 長内工房繋がりで?」
と尋ねると、
「いや、全然。飲み屋でしか会わない(笑)」
という返事。
なんという混沌とした世界。

あまりの人の多さに「人あたり」をしそうだったので、
末席(←立食なのに勝手に)に他の演劇人たちと陣取り、
きのこ採りの話題や、城好きの話題、
インフルエンザの話や菌類の話など、
全然セレブなパーティーと関係ない話で盛り上がってきた。

そんなワカモノ達にまで声をかけて下さって、
一緒の場に集めているところが長内先生らしい。
ていうか、演劇人はほんとに老若男女、
劇団の枠を超えて大勢集まっていた。

本は荒蝦夷という出版社から出たばかりです。
ん?まだ出版前?
ちょっと本はネット検索できませんでしたが、
盛岡市内であれば、地元本コーナーに
おそらく並ぶ(か並んでいる)はずです。
地元の方はぜひ、本屋でお手にとってご覧下さい。

けっこう長いこと続いた人気連載だったので、
岩手日報をごらんの方には、
すでにお馴染みのイラストなことでしょう。

しかし今日は、これだけ大勢が密室に集まり、
おまけに、家族中で一人だけまだ
新型インフルエンザに罹ってないという、
くらもちさんや似内さん(フリーの役者さん)が、
ものすごく近いエリアにずっといたというのが、


今一番の恐怖。

2009年10月17日土曜日

負け犬催眠

もりげき八時の芝居小屋「モノ・オペラ 声」
にも出演してもらった
友人のピアニスト、滝沢善子が、
岩手県立美術館のグランドギャラリーで
ミニコンサートに出演するということで聴きに行く。

数日前には、友人知人にも
ご案内メールを流していたのだが、
2、3週間くらい前に、盛劇で
ものすっごい「よれよれ」な風情で
感劇地図のスケジュール表校正をしている時に、
バッタリ出会った、小学時代からの(高校まで同じ)
同窓生(当時からフランス人形みたいに可愛い)と、
メルアドの交換をしたので、
ちょうどいいと思い、彼女にも送った。

そうしたら、他の同窓生たちにも連絡したらしく、
「○○と一緒に行きます」
という爽やかな返信が。

わー! もう、大変だ、と。

いや、善子はいいですよ、善子は。
だって、めちゃくちゃ綺麗に(もともと綺麗なコですが)、
ドレスを着て、かっちょよくピアノ弾きこなすわけですから。
ハレの舞台っすよ。おっけーっすよ。


問題は、自分だぞと。


普段はよしこのコンサートだろうとなんだろうと、
やす子(友人の民謡歌手)と一緒に、
Tシャツにくたくたのジーンズで、
勝手にクラシック鑑賞の敷居を低くした服装で
現れるワタクシでございますが、
ある意味、


プチ同窓会。


なわけっすよ。
女同士の視線に晒されるほうが怖いわけっすよ。
日常、すっぴんで盛劇に赴き、
年の近い異性でもあるH部さんやM浦さんに会って、
「いやー、大変っすよー。はっはっは」
とか世間話してても全然おっけーなのに、
(↑ お二人ごめんね。ま、既婚者にフェロモン出してもな)

同級生に遭うかもしれない恐怖というものは、
デート以上に服装に真剣に悩むわけっすよ!
(しかも、あとあとまで語られ広められそうだしな、
その時の服装とか、現況とか)

同性、怖し!!!

でもって、普段は善子とか、やす子のような、
「永遠の女子中学生」みたいな同世代とばかり
つるんでいるので、今日しみじみと、
「負け組」とか「負け犬」とか「アラフォー」
とかいう言葉が現実味を帯びて、
身につまされた。

世の37歳というものは、
こういう口調と雰囲気を身に纏って、
こういう話題をしているものなのか。

どんぐり拾いは楽しいな

なんてきっと、言ってないんだろうな。
(それは、年に関係なくそうだろう)

その後、感劇地図の最終校正をしに、
盛劇に向かい、肴町アーケードを通ろうとしたところ、
中学からの同窓である友人やす子が、
自分も出演する岩手芸術祭の民謡部門
「いわて民謡まつり」
(11月22日(日)県民会館大ホール)の、
告知宣伝を終えたところに遭遇した。

「なーんで、教えてくれなかったのよー!」
「今、善子のコンサート聴いてきてさー」
などとでかい声で大騒ぎしながら、
そういや「負け犬」ライフでも別に
愉快な日常であったわねということを思い出した。

ここでやす子に会わなかったら、
うっかり「婚活」にでも走るところであった。
アラフォー同級生怖し。

2009年10月14日水曜日

ミス喪服

私が今までに買った服の中で、
一番高いのはおそらく喪服である。
(成人式には参加すらしなかったので、着物も無い)
しかも、夏冬2着も持っている。

とりあえず、当時必要に迫られて
買ったものだったのだが、
ちゃんとした給料を貰っている時代に
買っておいて本当によかった。

ここ数年、年をとってしまった両親の代理として、
(ご近所や遠い親戚などの)
葬式に出る回数が飛躍的に増えた。
今年は現段階で3人。

というか、ここ3日の間に、
ご近所さんと、本家の伯父さんと立て続けで、
葬式、火葬、葬式(&法事)という生活である。
(あ、私は喪中ではないので年賀状は下さいね♪)


喪服、大活躍(←不謹慎)。


数年前には、昼前に中学の同級生の仮通夜、
午後から隣のおじさん(年齢的にはおじいさん)の
告別式という、
「葬儀のはしご」も経験したことがある。

でも、何度経験しても
葬式のマナーってのは慣れませんねぇ。
そして、年々、(学生時代以来の付き合い)という
お年寄りの弔辞に涙腺の緩みが加速度を増す。
弔辞というのは、なんと
ドラマティックな物語なのであろうか。


うちのおじさんは、アマチュアのカメラマンで、
観光協会の写真コンクール等によく出品していて、
岩手の年配の写真関係者には知られていたが

その昔は、演劇をやっていたらしく
地元で作られたラジオドラマ(NHK)が行われていた頃、
(地元の人はお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに
訊いてみてください。意外と知ってると思います)
出演もしていたということで、

10年位前に「いわて演劇通信『感劇地図』」で、
当時の演劇状況を聴くという座談会に、
出てもらったことがある。

残念ながら、私はその時ちょうど勤務していた、
プラザおでってがオープンする前か何かの
大変な時期で、この座談会には
出席することができなかった。
かえすがえすも残念である。

でも、当時出席いただいた3人のうち、
うちのおじさんと、盛内政志さんは亡くなってしまい、
火葬に来ていただいた、
盛岡で一番長く女優を続けている
真木小苗さん(森光子と同い年らしい)には、
「一番古くからの友達だったのよ・・・」
と、しみじみと言われ、座談会を懐かしんでいただき、
あのタイミングで座談会で話を伺って、
紙におこしておいて本当に良かったと思った。

そして、今のうちに話を聴いて
おかなければいけない地元のお年寄りが
たくさんいると、改めて思った日でもあった。

もう90近くで亡くなったので、
そう悲壮感の漂う葬儀ではなかったのだが、
小さい頃にずいぶん可愛がってもらった思い出や、
豪快な笑い声が、ふと、思い出される。

年を追うごとに、
「無条件に可愛がってくれる大人」というものが、
こうして減っていくのだなぁ、と、
改めて思い、切なくなる。

2009年10月7日水曜日

アート@つちざわ&「南極料理人」

昨日の夜、てくりの高橋さんから、
急に明日都合がついたので、
アート@つちざわ(花巻市東和町土沢)に行きませんか?
とメールが入ったので、急遽行くことに決定。

(※ちなみに、アート@つちざわの詳細はこちら ↓)
http://www.arttsuchizawa.com/

やっぱり、こういう歩き回るイベントものは、一人で見てるより、
誰かと一緒に「あーだこーだ」言いながら見る方が楽しいですね。

時間足りねー!!

産直にも寄らず、萬記念美術館にも入らず
けっこうハイスピードでがんばって歩き回りましたが、
それでも商店街の裏通りと駅前は
タイムアウトで見れませんでした・・・。

やはり、途中でうっかり「どんぐり拾い」
に夢中になったのがいけなかっただろうか・・・(←それだな)。

あとですねー、今年は土沢地区だけじゃなく、
隣の晴山地区まで広がっていたので、
けっこうヘヴィでしたね。

高橋さんに車で連れてってもらえなかったら、
晴山地区のはまさんの作品とか、
土沢地区と晴山地区の中間地点にある、
アニアス・ワイルダーさんの作品
(↑ これ、オススメ!)とかまで
廻って歩くのは、
レンタサイクル使っても、ちょっと厳しかったかもなぁ。

で、こういうイベントの度に思うのですが、
「アートの定義」とは何ぞや? と。

もう、至る所に作品が潜んでいるので、
(だってさー、売り物のトイレのスリッパ群の中
にまで作品が潜んでたりするんですよ)
私と高橋さんは次第に、商店街の何かの飾りや、
土崩れを防ぐネットまでが、
「・・・もしかして、これも作品・・・???」
と、疑心暗鬼(?)になりだしのでありました。

でも、相変わらず(作品展示できる)廃屋や空き家が
多いのはちょっと複雑な気持ちになりますね。
このイベントが開催されていない時期は、
この廃屋とか空き家とか、そのままなのかなぁ、とか。
なので、

「この空き事務所の中に長内先生を抛りこんでおくと、
あっという間にギャラリー作ってくれますよ」

などと、好き勝手な事を高橋さんに吹き込んでおく。

・・・いや、長内先生ならやりかねないかも。

(ちなみに、肴町のただのビルの事務所を
「風のギャラリー」に作り変えたのは長内先生である)


※ちなみに、2007年に行ったときのブログはこちら ↓
(やはり、この年も(別の)ヒトヅマと行っていた私。
そして今年も小桜家で鰻丼を食っていた私。
私ゃ、オヤジか)

http://morioka-zsk.blogspot.com/2007_11_01_archive.html#7458737182651365768

http://morioka-zsk.blogspot.com/2007_11_01_archive.html#2339933324376643476

********************

あ、話は全く変わるんですけど、
盛岡に帰ってきて、高橋さんに
映画館のフォーラムの近くで降ろしてもらい、
『南極料理人』を見てきました。
(9日で上映終了)

いやー、なんかとぼけた感じが面白かったです。
つい、パンフも買っちゃいました。
買ったら、「そんなネタもあったのか!」
と思って、また見たくなって困ってます。
皆さんも、機会がありましたら、DVDでどうぞ。

(↑ って、ここまで書いてから上映時間見直したら、
16日まで12:50、一回上映に変更でした。
行ける方はどうぞ・・・って、盛岡限定情報でした。
どうせなら、食事時間の2時間前上映スタート
だったら面白いのに。ちょうどおなか空くし)

※こちらは、映画「南極料理人」公式サイト ↓
http://nankyoku-ryori.com/

※こちらは主演の堺雅人が、「ほぼ日」で糸井さんと
「南極料理人」について対談している特集 ↓
http://www.1101.com/iijima_shokudo/sakai/index.html

ちなみに私は、「ドラえもん」の登場人物の中では、
出木杉くんが一番好きで、
私がしずかちゃんだったら絶対に、
のび太じゃなく、出木杉くんを選ぶのに!
と、真剣に(?)考えてるのですが、
(だって、自分の日常生活がのび太っぽいから)
オトナグリコCMの「ドラえもん」バージョンがあったら、
出木杉くん役は、堺雅人ですね。

2009年10月4日日曜日

「LOVE LOVE LOVE」

先日、「バリバリの恋愛ソングも(翻訳)制作中」と、
ブログに書いておりましたが、
いわゆる「王道の恋愛ソング」とは何ぞや?
という難題が。

「真夏の果実」はもう作っちゃったし、
http://morioka-zsk.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#1793122581082588642

藤井フミヤの「TRUE LOVE」とか、
米米クラブの「浪漫飛行」とか、
チャゲアスの「SAY YES」、
尾崎豊の「I LOVE YOU」とか。
ウルフルズの「バンザイ」あたりも?

と、思ったら、普段は全然気にしないんだけど
なんだかほんと、歌と世代って密接に
関わってくるのだなあと思いました。

披露宴だと
安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」、
SMAPの「らいおんハート」などが
出し物で歌われてますが、
もうこの時点で私はギブアップです(←早っ!)。

ていうか、カラオケ行かないから
歌がよくわかんないんですよね。
最近だと、絢香とかですか?
もう全くもってわかりません。

と、いうことで今日は
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」です。
直也くんとはまさんの結婚祝いにしようかと思ってましたが、
よくよく歌詞見ると、これって、
失恋か片思いの歌なんですか?
(↑ ほんとに流行り歌に疎くてスミマセン・・・)
ん? 違う???
祝い歌はまた、別なものを翻訳することにします。

でも今回、盛岡ことばの女性らしさと口語体が
うまい具合にのった気がするんですけど、どうっすか?
ラストがちょっと改善の余地ありか。

********************

「LOVE LOVE LOVE」

作詞:吉田美和
作曲:中村正人
唄  :Dreams Come True
翻訳:盛岡絶賛系


ほに なしてだべ
ほんでくてねンたけ 好ぎだってコド
ぺっこ 言(そ)いてぇだけだっとも
ルルルルル
うまぐ 言(そ)わさらねぇんだぇん

ほに わんつかばり 夢で会いてぇと思わさる
晩(ばんげ)さ限って 一度(いぢど)も
ルルルルル
出はって来てくれねぇんちぇ

ほに なしてだべ むったくた好ぎな人(ひど)さ
「好ぎだ」って言(そ)うだけで
ルルルルル
涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

お前(め)はんのコド おべた日が
わんつかづつ 思い出さ なってっでも

お前(め)はん好ぎだ お前(め)はん好ぎだ
ルルルルル
ほに なしてだべ
涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

LOVE LOVE 「好ぎだ」って叫ぶむしぇ
          「好ぎだ」って呼ばうむしぇ
LOVE LOVE 「好ぎだ」って叫ぶむしぇ
          「好ぎだ」って呼ばうむしぇ

********************

ところで、RCサクセションの
『雨上がりの夜空に』も、ちょっと訳してたんですよ。
でもね、この歌は
ちょっとセクシーな暗喩もかかってるんで、
下手な訳をのせてしまうと、ただの


田舎のオヤジのエロトーク


みたいになってしまって、どうしても、
キヨシロー詞の持つ、粋さとか可愛げが
消えてしまうという問題が。

「何如(なじょ)したんだぇん? Hey Hey Baby
バッテリー ハァ ビンビンだべ~ ♪」

だと、ちょっとちがうよなぁ。
セツナサ系では『スローバラード』の方が向いてそう。

歌詞に出てくる「市営グランドの駐車場 OH」は、
盛岡バージョンでは
「三ツ割(みづわり)の球場の駐車場 OH」かな。

「三ツ割の球場の駐車場」で、
「あいづと 毛布さ 包(くる)まさって」
「昨日(きのな) ハァ 車っコの中(なが)で 寝たんだぉん」

あ、意外と情景が目に浮かぶかも。

2009年10月3日土曜日

大宴会2009

今日は、「動物哀歌」と「モノ・オペラ 声」で、
舞台美術を担当してもらった高橋直也くんと、
美術家(舞台美術も手伝っていただきました)の
はまちひろさんの披露宴(大宴会2009)があり、
大清水多賀に行ってきた。


いやもう、面白かったですね!


大清水多賀で立食パーティー
っていうのも想像つかなかったけど、
それ以上に、披露宴がとにかく楽しかったです。
あれは披露宴なのか?
(あ。大宴会って書いてたか)

新郎新婦の席はなく、お色直しもなく、
キャンドルサービスも、ナミダの母への手紙もなく、
ケーキカットしたケーキは相手に食べさせることなく、
お互い自分で自分の口に入れて司会にツッコまれ、
ずっと新郎新婦は羽織袴と着物で会場を廻って、
出席者と話をして歩き、
看板と出席者のネームプレートは新婦お手製。
二人の生い立ちスライドショーは、
新郎のパソコン操作。

要所要所の仕切りと司会は新郎新婦が行い、
ハナヨメ自ら、豪華景品大量準備の
じゃんけん大会を仕切り、
主賓挨拶で最後の言葉が新郎の、
「では、ここでイベントの告知を・・・」と、
ハナヨメの参加している美術展ご案内。

帰りに新郎新婦からいただいてきたお土産は、
「チョコボール」(これくらいあれば、一人くらいは
金のエンゼルが当たるのではないかという
二人の期待のこめられたプレゼントでした)

百数十人(くらいだった?
 全然人数把握してないけど、とにかくいっぱい)の、
出席者の8、9割が10・20代で、
(↑ 10代は直也くんの美術部の教え子たち)
出席者のやはり8、9割が美術関係者という、
権威も格式もないけど、とにかく華やかで楽しい宴は、
岩手の美術界の未来の明るさの象徴のようでした。

それにしても、はまさんの恩師は
揃いもそろってキャラが立ってて面白かった。

「新郎の直也くんにお願いがあります。
はまちひろを、風呂に入れてやってください!」

と、中学の恩師(♂)に披露宴の席で言われる
新婦がいたということは、
将来私の輝かしい思い出の一ページを飾る
貴重な出来事になるに違いありません。

恩師A 「この子は、ずっと絵を描き続けているので、
      きっと、ほうっておくと風呂に入るのを忘れます!」
恩師B 「先ほどA先生は、風呂の心配をされてましたが、
     私は、トイレも行かないんじゃないかと
     心配しています」


はまさん、キミはいったいどんな生徒だったんだ。


あと、
「卒業のときに記念に書いてあげた言葉は『生涯独身』」
とか、
「私は担任じゃなかったのに、なぜか今日呼ばれまして
・・・・・あれ、俺、担任だった? 3年の時の?」
とか、
「高校のとき、将来の夢に『キリンに乗りたい』と書いていた」
とか。

鉄板ネタ持ちすぎですよ、先生方!

つくづく、今この席でスピーチを頼まれるような
立場じゃなくて心底よかったと、安堵。
(誰がこの盛り上がりのスピーチの後で話せるものか)

きっと、この二人が別れるとか言い出した場合は、
今日ここに出席した友人知人全員が、
必死で「それだけはさせるものか」と説得するに違いない、
と、思うような心に残る披露宴でした。

そうそう、はまさんのお父さんは、
さすがに今日はジャージとパーカーではなかったよう。
(いや、出席者に濃いキャラ勢ぞろいで、
どこに二人のご家族がいるのか全然わからなかったので、
実は着ていたかもしれない(←まさか))

そして帰り際、新郎から掛けられた言葉は、

直也 「あー、今日さわのさんと話できなかったなー!
    ・・・・・ま、そのうちどっかですぐ、会うよね?」

あー、そうですね。
これからもお二人、どうぞよろしくお願いいたします。

2009年10月1日木曜日

ボサノバと影武者所長の繋がりは

cartaさん主催のコンサート、
「吉田慶子+笹子重治 DUO LIVE」
を聴きに、内丸教会に行ってきた。

お洒落なボサノバを聴く機会なんて、
ここ最近はほんとうに無くなっていたので
とても楽しみに。

しかも、教会でコンサート!
そう滅多に入れるところでもないですしねぇ。

えっ、さわのさん、ボサノバとか聴いたりするの?

とか、思う方もいらっしゃるでしょう。
それが意外なことに、CD持ってるんですよ。

私はTHE BOOM
(及びGANGA ZUMBA)のファンなので、
ていうか、ヴォーカルの
宮沢さんの崇拝者(?)なので、
宮沢さんセレクトの南米音楽CDとか
いろいろ持ってるんです。
ま、2、3枚程度だとは思うんですけども。

THE BOOMの宮沢さんといえば、
沖縄音楽から、スカ、フォーク、テクノ、
ロック、レゲエ、ヒップホップ、ポエトリーリーディング、
南米音楽でもボサノバ、ブラジルロックなどなど、
ありとあらゆる国の音楽やら表現やらに興味を持ち、
自分の中に咀嚼してアウトプットする
というタイプのミュージシャンなので、
おかげでファンである私は、
色々な音楽を抵抗なく聴く素地を作ってもらいました。

(しかし、途中からそういう方向性に移ったバンドなので、
最初のころはかなり戸惑いながら
ついて行ったファンの一人でもあります)

岩手民謡、クラシック、ポエトリーリーディングを、
何の抵抗もなく、普通の舞台に
乗せてしまおうとする感覚は、
THE BOOMを聴いて育ったおかげといっても
過言ではありません。

とはいえ、数多あるコンサートのうち、
聴きに行こうというきっかけになるのはやはり、
信頼できる方々のお薦めであるというのは大きいですね。
「この人が薦めるんだから、いいコンサートに違いない」
みたいな。
ワタクシもそういう信頼ブランドになりたいと
思いながら日々精進でございます。

そんなわけで、内丸教会でボサノバ。

ボサノバがほんとうによく似合う声をお持ちの
吉田慶子さんは、福島在住で
東北を中心にライヴ活動をされている方だそうで、
今日は3時間車を運転していらっしゃったらしい。

「福島の相馬というところから来ました」
「野馬追いが有名です」
とおっしゃった途端、野馬追いといえば、
私の中ではもう、ブログ「相馬弁研究所」が、
やたらと脳裏をよぎり、

(ちなみに、こちらが相馬弁研究所のブログ ↓)
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7

お洒落なボサノバを聴きながらも、
「いやぁ~、ホレにしてもアレだなぁ~」
「あやまっちま~な~」
「ま、ほんなコトはど~でもいいげんちょ・・・」
などというフレーズ(&時々下ネタあり)がまとわりついて
困ってしょうがなかったので、
休憩時間中に、相馬弁研究所の影武者所長に、
クレーム(?)のメールを送っておいた。
(↑ 所長いい迷惑)

あんなステキなコンサートでそんな事をこっそり
脳裏をよぎらせていた観客は私くらいなものであろう。

ちなみに、野馬追いが有名なのは「相馬市」ではなく、
「南相馬市原町区」らしい。
(所長からのツッコミ返信による情報)
失礼しました所長。その通りでありました。

しかし、一度も足を踏み入れたことのない南相馬市が、
どんどん身近になっていく不思議さよ。

あ。

コンサートの感想全然書いてないや。
(素晴らしかったのは前提で書き進めてますから。
どうしてもネタだけで長くなってしまう不憫な私)