2006年5月16日火曜日

救急治療と外科治療

朝から、6月八芝の協力打診などでスケジュールが埋まる。
こんなに異ジャンルの人たちと一気に会うこともそうないだろう。
(しかし、そのほとんどが無駄に終わる-後日談)。

夜は、8月に個人的に企画しているプロデュース公演の、
ちらし用撮影(通称:セクハラ撮影会)。
朝から晩まで人に会う一日。

その合間に、循環器医療センターに行って、
心臓弁の手術を終えた、
前に同室だったN田さんのお見舞いをする。

三重からわざわざ心臓弁の手術を受けに来ていたN田さんは、
地元の病院では、人工弁しか無理だと言われていたのに、
ここに来て、自分の心臓の弁を活かしたままの手術に
成功したのだそうだ。

前は疲れがひどく、朝は起きられないし、
お風呂から上がったらしばらく休んでないと疲れて動けなかったし、
爪はボロボロだったのが、
全て手術で見違えるように良くなったと、
ひたすら喜んでいた。

これだけ感謝されれば外科医も嬉しいだろうなぁ。

私のように、外科医嫌いを公言している人間は
反省するばかりである。

まーねー、私だって手術のお陰で生きてる人間なんですけど、
当時、外科の主治医
(2度受けた手術のどちらのときの主治医も今はもういないようである)
の対応に何かとムカついて、
本来、主治医に受けなきゃない、
手術後経過説明及び退院前のレクチャーを、
全然主治医でも何でもない、
盛岡に来た次の日に いきなりグループに混ざって
私の手術に立ち会った(本人談)という K岡先生を
逆指名して、受けて帰ったくらい主治医に腹を立てていたので
(K岡先生は元気だろうか・・・)、
そういう術後のドラマみたいなものが、ない。

オトナになった今にして思えば、
もう少し手術の感謝をするべきだったなと。

でもまあ私の場合は、
胸痛の発作の即座の処置は循環器内科の先生なんで、
目に見えて「症状を和らげてくれてありがとう」な感じは、
CCU(内科的集中治療室)の先生だったりするのが本音でもある。

今、救急医療を目指す医者不足が問題になってきているらしいが、
少なくとも私はホンネのところで言えば、
医者の中で一番足を向けて寝られないのは、
救急医療に携わる先生方である。

CCU内で青い治療着を着ているだけで、
実物より5割増し以上でカッコよく見える。
どうか私のためにも(?)救急医療を目指す医者が増えて欲しい。

そんな外科医嫌い(←しつこい)の私が、
N田さんに、 今日一日のスケジュールを簡単に説明していたら、

N田 「え・・・それ、仕事じゃなくやってるの・・・?」

そうですねー。
仕事じゃないんですねー。
金にもならんしねー。

そんな仕事じゃないことにまで
精力を傾けられる生活ができるようになったのは、

でもやっぱり外科の先生方のお陰なんだなぁ。

2006年5月4日木曜日

うそ

今日から仕事復帰。

入院中から、なるべくベッドに横にならずに
いすに座るよう気をつけて、
密かな個人リハビリをしていたつもりだが、
それでもやはり、机に向かっているだけでものすごく疲れる。

主治医のA孫子先生には、
「最初のうちは、自分でできると思っている8割くらいでやって」
と言われてきたが、言われるまでもなく5割くらいしか動けない。

ゴールデンウイーク中で、電話も受付も仕事が少なくて助かった。
仕事初日としては申し分ないリハビリ環境である。
しかしどうみてもぼんやりしてさぼっているようにしか見えない。
新しく飲むことになった薬にまだ身体が慣れず、
どこか身体がふわふわしているし、声に力がない(←と、自分は感じる)。
どうにかこうにか時間まで机に座っていることができ、
時間きっかりに退社する。

今日は帰りに、まだ入院中の同室患者さんの見舞いに行こうと決めていた。
本当は、今が見頃の桜の枝を持っていきたかったが、
なかなかどこの花屋さんでも見つけることができず、
やはりこちらも見頃の、水仙の花を抱えて循環器センターに。

意外と、お洒落な花屋さんほど、季節の花を置いていない。
(桜、梅、水仙とか、チューリップ、菜の花というような)

私が持っていったのは、路地販売で新聞紙にくるんでもらうような花である。
でも、入院しているお年寄りにとって、
今、外で咲いている花が、 今一番見たい花である。

GWに突入し、患者の数が3分の2か半分くらいになってる病棟で、
休日や夜間並のスタッフしかいないナースステーションを通り過ぎ、
4人部屋に2人しか残っていない病室に入ると大歓迎を受ける。

GW中くらいは家に帰りたいよなぁ、そりゃ。
そしてとにかく、毎日の食事の不味さを熱く語られる。
まあ、料理が不味いっていうより、カロリーと塩分制限、
コレステロールや糖分の高い食べ物はダメ、
毎日の予算も決まっている という状況で、
よくあれだけのメニューを作り出しているとは思うが、
食べる方の身になればねぇ。

私も、ふだんは全然グルメなんかじゃないし、
食べるものにケチつけたり蘊蓄かたむけたりする人と
食事するのは好きではないタイプで、
給食も割と好き嫌いなく食べる方だと思っているが、
それでも、こんな食事してまで長生きしたくはないと思うほどである。
特にお年寄りは、看護師さんやお医者さんに
あまり食事のことで不満を言うのをいやがる
(食事に限らず、なんでもクレームは言いたがらないで
ため込む傾向があるが)。

しかし誰かに不満は語りたい。
そこで相手に選ばれるのが、
状況を良く把握している私のような同士である。

世代を超えて、心が一つになれる瞬間。
それが不味い病院食を語るとき。

さわの「退院しても、そんな大したもん食べてないですねぇ~」

すいません、ほんとは退院したその日に
コーヒーとプリンを食いました。
でもってその日の夕飯には鮨食いました。
なんて、とても言えない。

2006年5月2日火曜日

沢野の退院日記

今回の病気の説明と退院のレクチャーを、
主治医のA孫子先生から受ける。

とうとう最後まで、
「A孫子先生は、藤子不二雄A(←たしか本名・A孫子素雄)とは親戚なんですか?」
と、聞いてこれなかったのが悔やまれる。無念だ。

A孫子「職場に提出しなきゃならない書類があったら
     書くから連絡して下さい」
さわの「あー、なにも言われてないなぁ、そういえば・・・」
A孫子「職場によっては、これに書いて提出するように
     って決められた書類があったり、退院後2週間は
     休ませるよう明記しなきゃなんなかったり、いろいろあるみたいだから。
     公務員とか細かいよー」
さわの「なんか、明後日からシフトに組まれてるみたいなんで、仕事に出ます」

A孫子先生、短く絶句。

A孫子「・・・それは、親切な職場なんだかどうなんだかよく分からないな・・・」

まー、私が週末には仕事にでれますって言ったからなんですけどね。
だって、昔、心臓外科で手術して退院したときなんか、
外科の先生にいつから仕事に復帰できるんですか?って聞いたら、

「別にいつでも。なんなら明日からでも」

とか言ってたしー!
(外科の先生は、基本的に術後のフォロー的な意識はあまりない。
「切って貼って治っちゃえば、もう元気だから!」みたいな)

退院の手伝いに家族が来ることもなく、
(ふつうは家族立ち会いが基本の)病状説明を自分で聞いて
確認の署名して、
「家、近いんで。15分くらいですね」とか言って一人で帰ろうとする私に、

A孫子先生、しばし動揺。

まー、こちとら入院のプロですからね!
(↑ あまり褒められたものではない)

退院して、家に荷物を置いて少し休憩してからは、
かかりつけ医のK田先生のところに出向き、退院の挨拶をする。

さわの「そういえば、T代先生が「J也によろしく」って言ってました」
K田 「あー、こないだここに来てったよ」
さわの「え、会ってるんですか?「よろしく」って言ってたから
     最近会ってないのかと」
K田 「いや、そうでもないよ」
さわの「なんかT代先生、偉くなってましたよ
    (↑ 医大の廊下に貼り紙発見)」
K田 「講師なー!」
さわの「知ってたんですか!(貼り紙、今日の日付だったのに)」

先生同士の交友関係を図らずもここに発見する。

K田 「T代先生も、とうとう講師になったか~・・・(感慨深げ)」

かたや大学病院の仕事を辞し、
自分の理想を形にしたクリニックを開設した、
多くの患者に慕われる盛岡の熱血赤ひげ先生。

かたや大学病院に残り、
海外の学会発表を数多くこなして着実に昇進の道を歩む、
ちょっとクールな医大エリート講師。

進む道は違えども、40代半ば(推定)の
医者二人の間に培われた深い友情。

ドラマじゃーん!(←昨日からそればっか)

重松清あたりが小説に書きそうなテーマじゃーん。
「医龍」も「白い巨塔」も「救命救急なんとか」も見てないが、
こういうところにシブく、人間のドラマを見いだすのが好きである。
(でもK田先生のクリニックの待合室には、
そういう医療系マンガが並んでいて、
分かり易いキャラな先生でもある)

私の家の周りは、
まるで私の退院を待ってくれていたかのように桜が満開。

2006年5月1日月曜日

さわのの入院日記 第18夜

やっとこれまで終始行動を共にしていた点滴が外れ、
退院できることになる。

点滴外したらもう今日にでも退院していいよ的な先生の反応だったが、
いくらなんでもそりゃ急すぎるだろうと、
退院を明日に決める。

しかし、別に今日いる必要はもう特にない。
点滴も外れ自由になったので
(↑ 今日まで点滴のぶらさがった棒をガラガラひいて行動していた)
お世話になったCCUに挨拶に行ったり、
退院の決まったことの報告をしに、
昔の主治医のT代先生を捜しに行ったり、
渡り廊下を通って医大歯学部を通って
また渡り廊下を通って本院まで歩いたりする。

回遊魚と同じで、じっとしていると死ぬタイプである。

本院地下の花屋で梅の枝を買ってきたり、
センターより充実度の高い売店を眺めたり、
ふらふらと診療外来を散歩したり。
勝手知ったる人の家てなもんである
(なにせ、9歳から入院経験あり)。

もう少し暖かければ、
本院の西病棟の屋上にでも行きたいところだ。

夜は行き場がないので病棟をぐるぐる歩いていると
(↑ ほんとうに回遊魚)、
お婆ちゃんのアイドル・K林先生に声をかけられる。
主治医を持ってもらったことはないが、
昔から何故か知ってる先生である。
(どれくらいアイドルかというと、私の向かいのベッドのSさんは、
自分の主治医3人の名前を覚えきれないのに、
何故か隣の患者の主治医のK林先生のことだけは覚え、
「あの先生はいつもネクタイをきちんとしてやってくる」と、
ファッションチェックまでされているくらいアイドルである)

K林 「障害者手帳は持ってるの?」
さわの「いや、申請してないです。私だと何級くらいなんですか」
K林 「さあ・・・3、4級くらい?」
さわの「(もらっても)嬉しくないなぁ~」

K林 「俺、1級ね」

さわの「えええええぇぇぇ?!」
K林 「アナタと同じ(手術の)傷あるよ」
さわの「なんで私が4級で、先生は1級なんですか~」
K林 「俺は、異物を埋め込んでるから」
さわの「(人工)弁?」
K林 「そ!」

心臓に障害のあるコドモが手術をして治り、
その後、循環器内科の医者を目指し、見事夢を叶える。

ドラマだ~!(←勝手に想像)

キャラ的にもドラマにいそうだ~。
その飄々とした感じが~。

まあ、その医者になったいきさつやなんかを聞いても
しれっと適当なこと言ってはぐらかされそうだけど。
(他にも、そういうお医者さんって実はいるのかなぁ?)

それにしても。

さわの「・・・よく、そんな激務こなしてますよね・・・」
K林 「そぉ~だよなぁ~! 少しはみんな、優しくして欲しいよなぁ」

この日は、当直のK林先生。
遅くまでナースステーションにいた模様。

このまま仕事を続けていくべきかどうかとか考えたりもしたけれど、
私なんかが仕事が大変だとか言ってられないんだよなぁ。

障害者の定義とは果たして何ぞやと、しばし考えてみる。