2008年3月31日月曜日

『小さなお茶会』

子供の頃に読んだ漫画
「小さなお茶会」(作・猫十字社/扶桑社)の、
完全版を本屋で見つけて買った
(文庫では以前に買って持ってた)。

・・・と、書くのはけっこう気恥ずかしい。

「総務部総務課 山口六平太」やら「美味しんぼ」やら、
東海林さだおのエッセイ読んでるとかいうような、

オヤジかよ!

というツッコミを入れられそうなものについてや、
「ドラえもん」を今あらためて読み返した、
みたいな事を書くのはぜんぜんオッケーなのだが、
こういう、めためたにメルヘンなものが好きだった過去は
わたし的にはかなり気恥ずかしいんである。

あー、誰か同士がいないかなぁ。

まあ、うちは漫画雑誌を買ってくれない家だったので、
この漫画も友達の家で読んで記憶にずっと残ってて、
ずいぶんと大人になってから文庫で読み返したので、
リアルタイムで読んでたのとは、
意味合いが微妙に違うんですが。

私の中のかなりの部分を占めるリアリズムやシニカルさ、
ひねくれたい性分の中に、
どうしても拭いきれない一抹の少女趣味部分は、
この「小さなお茶会」と、
サンリオの「月刊 詩とメルヘン」 (やなせたかし編集・たぶんもう廃刊)
に拠るところが大きいのではないかと、
(厳密に言えば、メルヘンというイメージは、
少女趣味のイメージを 過剰に背負わされているようなところも
無きにしも非ずですが) 改めて、思ってみたりもする。

「小さなお茶会」の表紙
↑絵柄はこんな感じでした。

2008年3月28日金曜日

「ダメな女が主人公の5冊」

ほぼ日で「あの人の本棚」というコーナーがあり、
著名人が、テーマに沿ったオススメの5冊を、
毎日1冊ずつ紹介してくれる。

今週は、映画「かもめ食堂」「めがね」の監督の、
荻上直子さんで、
テーマが「ダメな女が主人公の5冊」。

1冊目から3冊目まで、読んだことのある本が続いて、
「もしかして、私、ダメな女・・・」
と、ちょっと動揺した。
(「漢方小説」は沢野日記でも取り上げたことがある)

ほぼ日「あの人の本棚」
↑ サイトはこちら。

2008年3月27日木曜日

つぶやき

「愛情面の運勢も活発となり恋愛をしたり、結婚したりするでしょう」

と、四柱推命の占いに書いてあった3月が、

あと4日で終わる。

2008年3月26日水曜日

来年の話すぎて鬼、抱腹絶倒

19:00より、もりげき八時の芝居小屋制作委員会会議
in盛岡劇場(河南公民館)会議室。

どうも最近、ここの日記は
盛岡の演劇関係者にはまったく読まれてないが、
演劇関係者ではない人たちには読まれている気配がするので、
(日記の話題をしてくるのは、
地元演劇関係じゃない人たちの方が多い気がする)
一度この「はちしば」についてご説明しましょう。

盛岡には、現在20くらいの劇団が存在していて、
毎月どころか毎週のように、
どこかのホールで公演があります。
(これくらいの規模の都市で、
この充実度はめずらしいんだそうです)

たまに2つの劇団の公演日時がかぶって、
どちらかに不義理をしなければいけない事態が
発生することもあったりします。
・・・と、いうことを演劇関係ではないひとたちに言うと
必ず驚かれるのですが、
(↑ 「そんなにあるの?!」という顔をされる)

そういう、「マニアック」さ、「敷居の高さ」を取り払おうと、
盛岡演劇協会(てなものまで存在するのです)
に加盟している全劇団の代表と、
イベント企画ができそうな人間(委員会から委嘱を受ける)
で組織され、 盛岡市文化振興事業団と盛岡劇場が
強力な支援をしてくれている、

「平日、仕事帰り(八時)に気軽に観れる」

「公演は1時間程度」

「前売料金1000円(←映画より安い!)」

「盛岡市民に質の高い舞台を提供する」

というコンセプトのもと、
年に7、8本の芝居企画をする組織が、
この「もりげき八時の芝居小屋制作委員会」です。
劇団でもユニットでもなくて、もう少し公的な組織です。

まあ、運営の中心は30代と
その前後という若いメンバーですが。
委員の世代交代をしつつ、
今度の4月の八芝公演は第91回です。
21年度には100回公演を迎えます。

IBCのアナウンサーさんたちによる読み語り舞台あり、
唐十郎やつかこうへいや鴻上尚史の作品あり、
盛岡の劇団の評判のよかった舞台の再演あり、
県内・県外劇団の紹介舞台あり、
劇団ゼミナールのコントあり、
意外と何でもありな委員会です。

で、なんでこんなところにわたしがいるかっちゅーと、
「義理と人情と心意気」 に他なりません。
(委嘱料も交通費支給とかも一切ありません。
各舞台参加者もどんな有名人であろうと一切ノーギャラです。
あ、会議に出るとペットボトルのお茶がもらえます)

ていうか、私の認識では委員になるということではなくて、
18年度に一本、八芝で芝居のプロデュースをしてくれないか
という依頼の話だったと思っていたら、
今日なんか あらもう21年度の話まで議題に出てますことよ。
いったいどういう事かしら、な感じで
気づいたらずるずると制作委員です。

年配の委員の方が帰りがけに、
「私らの歳になると、半年先のことまでしか
計画できないんだよねぇ。はーっ、はっ、はっ、は!」
と言いながら帰っていかれたが、
私だって、こんないつ突発的に
入院するかわかんない人間なのに、
来年の公演プロデューサーである。

ちなみに、18年度の公演の時は、
本番ジャスト2ヶ月前から2週間半、
循環器医療センターに入院である。

いいのか八芝制作委員会、
こんな人間を委員にしておいて。
政治家だったら既に政治生命絶たれている状況である。
なんかあったら後は任せた、くらもちさん(←委員長)。

そして21年度からは、盛岡劇場も指定管理になる予定です。
今までどおり、事業団さんが指定管理になれば問題ないですが、
どっかの団体が受けちゃったりしたら、
第100回公演を目前にして、
この八芝だっていつ打ち切りになるかわかんない時代なんですよね。

いや、事業団さんが指定管理になったとしても、
将来的に市から「採算が取れない」「市民の利益にならない」
という判断が下されれば、
いつ打ち切られてもおかしくない時代です。

たぶん、今ある支援はどんどん削られていくことはあっても
決して今後、増えることはないでしょう。
まあ、全国的にそういう時代ですから、
(大阪もなんか有名なホール、閉鎖になりませんでしたっけ?)
市政云々、行政云々というよりも、
いかにシビアに文化事業というものに、
私たちが食らいついていかなきゃなんないか、
ということを、真剣に考えないといけないんだろうなと思います。

と、いうことでよかったら皆さん、
4月23日(水)~26日(土)の
八芝第91回 『隣にいても一人』(盛岡・青森バージョン)
(プロデューサー:くらもちひろゆき、作・演出:平田オリザ)
と、
6月11日(水)~13日(金)の
八芝第92回 『極楽とんぼの終わらない明日』
(プロデューサー:三浦貴之、作:高橋いさを、演出:三浦貴之)
を、どうぞよろしく。
近くなったら、またご紹介します。


その後、盛劇は指定管理者非公募となったそうです。
((財)盛岡市文化振興事業団の管理運営継続)
指定管理者制度って、まだよくわからないことも多いので、
この「非公募」というかたちが今後、
どういう影響をあらわすのかは、私にもまだよくわかりません。
盛岡市のHPで公表されているそうです。
(6月3日 沢野記)

2008年3月25日火曜日

スローライフいやむしろ、とりぱん生活

今日はほぼ日ストアから、注文していた
「思い出したら、思い出になった」(著:糸井重里)
が届いた。

さっそく、読む。
今日はきっといい日に違いない。
そして外はいい天気。

と、いうことでものすんごい気合を入れて、
「よし、今日は真剣に散歩するぞ!」
と、思い立った。

いつの間にか、外はだんだん春めいてきましたね。
北山の榊稲荷神社(盛岡かいうん神社)から、
裏の散策路を通って、高松の池へ。

日ごろアウトドアライフとはまったく縁がないが、
無自覚にこういう緑に囲まれた環境に
普段から恵まれていたんだなあと、

「ほんとにここは盛岡中心部なのか???」

というような景色の中を歩きながら感謝する。
思い起こせば、大学受験に失敗してヒマなときとか、
失業してヒマなときとか、うらぶれているときに
よく歩くコースのような気もしないではないが。


あ、でも2、3年前には中央公民館裏の愛宕山から
高松の池までの散策路もチャレンジしたなあ。
去年は中津川沿いもずいぶん歩いたなあ。
「家栽の人」が好きだから、
仕事で忙しくても意外と街なかの緑は
それなりにふだんも見ていたなあ。

などと、環境学習施設でのバイト経験がなければ、
特に今まで意識もしていなかったような、
「私と緑」のようなテーマ(?)で散歩する。

意識もしないほど、子供の頃からこういう環境にいたんだよなぁ。
おままごとの材料は、全てその辺の草木だったんだよなあ。
そのへんの雑草の名前とかすごく詳しかったんだよなあ。

今、全然覚えてないなあ。

なんか、真剣に散歩してないですね。
もっと頭ん中カラッポで歩きたいものです。
35歳の感傷です。

高松の池は、まだ北へ帰らない白鳥でごった返してました。
その後、バスで盛岡駅まで出て、
駅のさわや書店に行き、4月始まりのスケジュール帳を買い、
駅前から下の橋へ、そこから中津川沿いを歩き、
内丸のcartaさんでお茶を飲みました
(↑無茶苦茶な散歩コースだな)。

もう少し暖かくなったら、外で本が読みたい。
「スローライフ」という言葉はあまり好きではないが、
もし、こういう生活をスローライフと呼ぶなら、
それはそれで受け入れてもいい気がしてきた。

2008年3月20日木曜日

クラシックと洋食って、宮沢賢治っぽい

滝沢善子音楽活動10周年記念コンサート vol.1
「今宵はChaconne三昧」
(於:盛岡市民文化ホール小ホール)
を聴きに行った。

こういう機会(友人のコンサート)でもないと、
なかなかふだん生でクラシックを聴く機会がない。
(買い公演モノはすごく高くてチケットが買えない。1万とか2万とか)。

地元の演奏家は、よっぽどのモチベーションがないと
行くきっかけがつかめない。

それでもまあ、私なんかはまだ仕事で
聴く機会があった方かもしれないが、
(地元の演奏家のコンサート主催事業も業務にあったし)
一般の人のクラシックの敷居の高さ感を薄めるには、
よほどの戦略を考えなければならないんだろうなあと、
善子の奮闘を、時々会ったときに耳にしながら考える。

今日は、演奏がすばらしいと以前からうわさには聞いていたが、
なかなかご縁がなくて聴く機会のなかった
弦楽合奏団バディヌリの演奏をやっと聴くことができ、
個人的にはこの日一番のヒットだった。

地元で、ソロ活動ですごい人は結構いるかもしれないが、
(↑いるんですよ、実は岩手には善子も含め、
たくさん凄い演奏家たちが)
集団ですごい演奏、ってのはなかなかそうあるものではない。
と思う。

コンサート終了後には、
中高時代からの友人F、友人Mと、
軽くご飯を食べに行った。

最近私は、自分だけの食事や友人たちとの飲みなどは、
意識して地元資本のお店を利用することにしている。

それは、一昨年プロデュースした公演
「卯の卵」(作:工藤千夏、演出:柏木史江)
で 会場として利用させていただいたほか、
様々なことでとてもお世話になった、
大通りのInterior&Cafe Bar「Only One」さんが、
店を閉めてしまったことを、
オーナーのYさんからの 今年の年賀状で知ったことにある。

閉めた経緯はわからないが、
最近の大通りの全国チェーン居酒屋の席捲は
凄まじいものがある。
簡単に「中心市街地の活性化」とかなんとか言う前に、
自分が地元のお店を大事にしろよ! 
とその時深く反省した。

そんなわけで、まあ別に食事には決してうるさくなく、
なんでもおいしく食べる人間ですので、
連れて行かれたお店はどこでも行ってなんでも食べますが、
もし、そんな私のワガママに付き合ってくれる奇特な方は、
私を飲みに誘うときは、地元のお店だとちょっと嬉しいです。

今日は、駅前の「金宝堂」。

ちょっと敷居がお高めの
古くからの洋食屋さんだというイメージだったが、
(「SINCE1923」らしい・・・!)
少し前(意外ともうけっこう前になる?)、お店の改装をし、
なんだか雰囲気が変わって気になっていた。

友人たちも、「あそこ、洋食屋さんだよね?」
「そんなに遅くまではやってないんじゃない?」
などと 不安も抱えながら、
「でもなんか気になるんだよね」と行ってみると、
「ごはんダイニング」のお店に様変わりしていた。

営業時間は11:00から23:00(ラストオーダー22:30)。
定休日は第1・3水曜日(日祝も開いてます)。
で、初めて知ったのだが、
その日のコンサートや演劇公演などの
観終わったチケットの半券を提示すると、
チケット一枚につきドリンク1杯無料だって!
なんか、「盛岡には、コンサートを観た後に
軽く食事をできるお店があまりないので」
みたいなことが店先のメニューとともに書いてあった。
それは是非とも(勝手に)宣伝させていただかねば!!
(※このサービスは現在なくなってしまったようです。残念。
  6月3日 沢野記)

(盛岡市盛岡駅前通10-3 ホテルルイズの道路を挟んだ向かいです)

ああ、それからお弁当の手配もしてますよ。
「動物哀歌」の県美公演のときはここにお弁当をお願いしました。
(その時は、こういうことに気づかなかったなぁ・・・)
でもって老舗の洋食屋だけあって、すごく美味しかったです。

「軽く飲む」つもりがつい、
おにぎり2個と、コロッケと一口ハンバーグ食べてしまいました。
本気で美味かった・・・(涙)。

なんかすごくシアワセな夜だったなぁ。

2008年3月19日水曜日

終了

2ヶ月契約の環境学習施設のバイトが今日終了した。
正直、けっこう楽しかった。

まあ、なんの責任もないバイトの立場でなので、
きちんとした仕事として取り組めばまた、
表れてくる感想も違ってくるのかもしれないけれども。

しかし、前職を辞めるときには(何の資格も持ってないので)、
「こんな、役に立たない仕事の経歴もそうないだろう」
と思っていたが、
いわゆる「何でも屋」的な仕事をしていたのと、
今回のバイトも、言ってみれば公共施設における仕事だったので、
たった2ヶ月間という濃密な勤務のなかで、
比較的、迷惑をかけずにお仕事のサポートができて本当によかった。

まあ、子供と真剣にお手玉でキャッチボールして筋肉痛になってたり、
床の大きな衛星写真(岩手県)を年配の方々と見ながら、
「やっぱ、久慈や陸前高田は遠いっすねー」
とか世間話をしているだけで、
あまり環境学習のお役には
立ってなかったような気もしないではないが。

そして、私の中でエコに対して何か意識が変わったか?
というと、さほど大きな意識の変化はなかったような気がする。

それはまあ、前にも書いたが
元々私は車も持ってないし、
家が裕福じゃないのと、親が年寄りなもので、
あまり普段からムダとかゼイタクとかには縁がないし、
(カバンも化粧品もアクセサリーも小物もほとんど買わない)

基本的には貧乏性だし、
生ものは基本的に地場産及び国産しか買わないし、
パソコンも持ってないし、
DVD機器もビデオデッキも ゲームも
WiiもiPodも持ってないし(超アナログ人間)、

風呂の残り湯は洗濯と風呂桶洗いに使うし、
シャワーはないし、
そう身体が丈夫な人間ではないので、
無添加とか無香料、無着色とかってのはけっこう見るし
(そんなに強く意識的にではないですが)、

「地球のために、少し我慢する」

みたいな事をこのごろよく聞くが、
生来の気質的に、高度成長期やバブル期より、
今の暮らしのススメの方が実は、
比較的私としては暮らしやすい、
というのを、改めて知ったかなあというような感じでした。

とかいって、裕福な暮らしになればきっと、
オール電化で24時間風呂で、
でっかい薄型テレビとかオーディオとか、
無駄な買い物とかも色々しちゃいそうな気もしますけどねー。
(ああ、無駄なセコイ買い物は貧乏でもよくやってるか・・・)
東京に遊びに行くのも好きだしね
(最近行ってないけど。金無いから)。

エコバックもマイはしも結局は持たなかったし。
(↑ていうか、エコバックなんぞ持たなくても、
  ふだんからトートバック持ってるけど)
テレビはつけっぱなしだし。

スーパー惣菜も、レトルトもインスタントも重宝するし。
ごくたまに食べるマ○クや○スドのドーナ○も美味いしねー。
洗剤も特に環境に配慮したものを使ってないし。
(↑でも、ちょっと重曹が気になってる今日この頃)
出すゴミも多いかなあ。

そんな感じですかね。

でまあ、この2ヶ月間考えていたのは、
「なぜ、私は今の「エコ風潮」が嫌いか」
ということでした。
で、考えられたのは、

(1)
なんでもかんでもカタカナにして、イメージ先行でうさんくさい。
エコライフ
ロハス
スローライフ
スローフード
マクロビオティック
オーガニックなどなど

(2)
極端に未来の不安をあおるところが、
ノストラダムスの予言のような終末論ぽい。

(3)
G8とか京都議定書の関係かなんか知らないが、
最近のマスコミの取り上げ方が多すぎ。
で、思想が一方的。
戦時中の「ほしがりません勝つまでは」
「パーマネントはやめませう」「進め一億火の玉だ」
みたいな気味悪いファシズムすら感じる。

(4)
抽象的な言葉の語られ方が、
スピリチュアル系みたくうさんくさい。
「未来の子供たちのために」とか、
「地球に優しく」とか、
「大地と共鳴する」とか。

(5)
言ってる事とやってる事が矛盾してるのはどうなんだ。
「エコイベントの宣伝に、
やたらと大量の紙を消費する」とか、そういうの。

このへんのバランスをとりたがる性格は、 まあ、
性分ですからごめんなさい。

結局つまるところは、

「背伸びしないで、自分のキャパを把握して、
地に足をつけて生活すればいいんじゃない?」

ということかなあ、
というのが、今のところの私の結論。

2008年3月16日日曜日

クララには、なれなくて

19日で、バイトが終了するということで、
今日のシフト勤務のスタッフさんたち6人が、
急きょ、仕事帰りに送別会を開いてくれた。

しかも、
「え?! 今日私、1500円しか財布にないですよ!」
と動揺してたら、送別される側ということで奢ってもらってしまった。
たった2ヶ月のバイトになんとありがたい心遣い。

しかもみなさん、シフト勤務ということで、
2ヶ月毎日会えていたわけでもなく、
普段は仕事の話が多いので、
辞める今頃になって、実は心臓がちょっと悪くて・・・
などと告白してビビらせてしまった。
(いや、べつに隠していたわけではなくて、
上の人には話していたが)

しかも、そんな話をビール飲みながら(←A孫子先生、ごめんね)。

Sさん「でも、よくそうやって小さいときから身体弱くて一人っ子でも、
     性格がねじれずにこうして育ったわねぇ・・・」
さわの「そんなイメージなんですか?!
     なんのイメージなんですか、それは!」
Sさん「だって普通は、すっごく甘やかされて
     わがままに育ちそうじゃない?」
さわの「それは、家が金持ちかそうじゃないかの
     違いなんじゃないですか?」
全員 「ああ・・・・・」

つーか、なんなんですか、その偏見は!

Uさん「レースのカーテンの部屋かなんかでね
    『爺、今日は調子が悪いからもう休むことにするわ』」
Iさん 「『爺、今日の薬を用意してちょうだい』」
さわの「『クララが立った!』」

全員 「それだ!!(笑)」

そうか、全てのイメージはクララにあったのか。
クララかぁ・・・クララじゃしょうがないな(←なんで?)。

私もアルプスの高原に静養に行って、
清らかな性格に生まれ変わりたい。

2008年3月9日日曜日

記憶の証明

昨日、バイト先でコーディネーターのTさんが、
旅行先(仕事?)で撮ったリスの画像を見せてくれた。

Iさん 「わぁー、私、リスって動物公園でしか見たことないかも!」
さわの 「昔、岩手公園にリスいましたけどねー。私が子供のころ」

全員  「へぇ~~~!!」

その後、スタッフのCさんが、
岩手の熊を取り扱った本を見ていたので、

さわの 「昔、岩手公園に熊いたの知りません?」
全員  「えええぇぇぇぇぇっ!?」
さわの 「あ、さすがに出没のほうじゃなく、檻で飼ってる方ですよ」

Cさん 「どのへん?」
さわの 「公衆トイレのあたりですね。
      私が子供のころだから、かれこれもう30年位前・・・」

気づけばその場には、20代と市外・県外出身者しかおらず。
あまりに子供のころの記憶すぎて、
自分でも話しながらだんだん
「もしかして、私のねじれた記憶間違いとか?」
と不安を抱えて誰とも記憶を共有できず、
携帯でネット検索しても、詳しい情報にヒットできず、
悶々として次の日を迎える。

そして、スタッフのSさんが
私の席の後ろを通りすがったので、
すかさず聞いてみた。

さわの 「Sさんって、盛岡にずっと住んでますか?」
Sさん 「うん。住んでるわよ」
さわの 「岩手公園に熊いたの、知りません?」
Sさん 「知ってる!」
さわの 「やったーーーーーー!!! 
      やっと記憶を共有できる人が!」

そうなんですよ。
昔、岩手公園の広場のはじのところにいくつか檻があって、
熊とかタヌキとか、何種類かの動物がいたんですよねー。
ミニ動物園みたいな感じで。

小さい頃だから、なかなか岩手公園まで行くことって無くて、
ほんと、数少ない曖昧な記憶になりつつあるんですけどね。

でも、こうして話してみると確かに今、 私の周りでも、
盛岡出身者じゃない人の割合が
ずいぶん増えてきたから、
こういう話題の共有ってどんどん少なくなっていくんだろうなぁ。

てくりさんで、特集したりとかしてくれませんかね(←他力本願)。