2010年12月25日土曜日

はちしばと高校演劇

土曜日のクリスマスの午後。
そして、外は盛岡でも珍しい、12月のものすごい大雪。
そんな日に、


八時の芝居小屋制作委員会会議 in 盛岡劇場


これは、何かのバツゲームですか???
ていうか、バツゲームしなきゃない事なんかしましたか???


いやー、それにしてもすごい雪だった。
今日の会議では、来年度の八時の芝居小屋の
ラインナップ決めが主な会議内容(年間8本程度)。
平行して、どこの劇団がどの時期に
公演を予定しているかも情報交換すると、
もうすでに8月くらいまで各劇団、公演予定がぎっしり。
素直に、みんなすごいと尊敬する。

ここに、八時の芝居小屋制作委員会プロデュース公演も
何人かのプロデューサーがプラン調整に入り、
来年12月くらいまで企画が確定
(未定も含めれば2月調整のものも)。

ふざけた話もたくさんしてるし、
時には欠席裁判ならぬ出席裁判による
担当攻防戦もあったりしますが(!)、
でもほんと、盛岡の演劇人みんな、すごいじゃんと思う。

そんな今日の会議の話題の中心にあったのは、
八芝で、高校演劇の県大会最優秀作品が
見てみたいよね、という話。

盛岡の演劇がこんなに広がっているのは、
実は、地元高校演劇部出身者が
ものすごく多い、というところにある。
(ちなみに私も高校時代は演劇部である)。
なので、高校演劇に思い入れのある人がすごく多い。

私のころの小劇場演劇というのは、
野田秀樹の夢の遊眠社や
鴻上尚史の第三舞台の後の、
小劇場ブーム華やかなりし頃で、
今でいう、若手のお笑いブームのような盛り上がりが
若手の演劇にはあった。
バンドブームも同時期くらいで、
盛岡一高演劇部などでは、バンドも掛持ちして
女子高生に人気の人たちも
何人もいたような時代である。

なので、演劇をやってるのが
「えらいねぇ」と言われると、
個人的には、ものすごい違和感があった
(というか、今でもある)。
私にとって、演劇は高尚な芸術文化というより、
もっと若者の「サブカルチャー」的な位置づけである。

今でこそ東京で超人気の芝居を見ようとすれば、
ものすごい倍率のチケット争奪戦だし、
入場料も8000円とか1万円とか平気でしてしまうので、
観客もそれに伴って、客層もそれなりに生活に
余裕のある人たちのものになってしまった感があるが、
もともとは、学生が気軽に観れる値段で、
消防法に引っかかるくらいぎゅうぎゅう詰めに
お客さんを入れた熱気の中で行われていたものである。

そんな意識をひきずっているのが、
大体30~40代前半くらいの演劇人たちである。
演劇部のブカツが、学校教育の範疇ではなく、
日常生活の一部であり、娯楽であった。

他校との交流も盛んだし、
大人の盛岡演劇人たちとも知り合えるし、
いい社会勉強の場でもあった。
そこから始まって、
難しい芝居なんかも背伸びをして、
「面白いね」かなんか言いながら観たりしながら、
感性も鍛えられてきた。

そうして地元に育てられてきたのだし、
私たちも、高校演劇を何らかの形で、
八芝でも支援できたらいいよね、
ていうか、普通に、今の高校演劇の
大会作品が見たいよね、
という話になった。


と、いうのが25日の話。


実は、このブログを書いている最中(26日)に、
岩手代表として出場していた岩手女子高校演劇部が、
福島で行われていた東北大会で、
見事、最優秀に選ばれ、
全国大会出場(東北大会から1校のみ出場)が
決まったとの情報がメールで流れてきた。

岩手女子高校演劇部の皆さま、おめでとうございます!

おそらく、盛岡の演劇界ではこの情報が今日一日、
ものすごい勢いでやりとりされることと思います。
あぁ、これがどれくらいすごいことか、
どうしたら、知らない人に伝わるのだろう!

盛岡の演劇は、盛んだといわれつつ、
これまでの長い大会の歴史の中で、
岩手からの全国大会出場が無かったのです。
(東北大会がものすごい強豪揃い)
もう、悲願だったわけですよ。

高校野球における菊池雄星くんみたいな?
高校サッカーにおける、盛岡商業高校みたいな?
そんな盛り上がりです、盛岡演劇界にとって。
いや、まだ東北大会突破なんだけどね。
いや、でもほんと、あぁ、すばらしい。

衝撃すぎて、何を書けばいいかわからない(笑)。
携帯メールのやりとりで気もそぞろです。

というくらい、てんやわんやな感じで
とりあえずこのブログを締めたいと思います。
ありがとう、岩手女子高校演劇部の皆さん、
そして、顧問の千佳さん。

全国大会は、来年の夏です。
その前に、私たちにも観る機会があればいいなぁ。

2010年12月24日金曜日

クリスマスソングといえば

クリスマスになると何故か、
真心ブラザーズの「拝啓、JOHN LENNON」を思い出す。
ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」が
よく流れてくるからだろうか。
我ながら素直じゃないなぁ、と思う。
でも、いい曲なんですよね。


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拝啓、ジョン・レノン
あなたがこの世から去りずいぶん経ちますが
まだまだ世界は暴力にあふれ
平和ではありません


※「拝啓、JOHN LENNON」
 作詞・作曲:倉持陽一
 唄:真心ブラザーズ

http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=59637

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・・・と思ってふと、ジョン・レノンの「ハッピークリスマス」も、
何気に日本語訳詞検索してみたら、
改めていい歌ですね。


“そう、今日はクリスマス そして何を君はした?”


すいません。大雪の中、
本屋や商店街をぷらぷらしてました。

街なかが全然、クリスマスっぽくないなぁと思って
なんとなく、自分なりのクリスマス気分を探してみたら、
この曲が脳内再生エンドレスになってました。

なんだろうなぁ、街にクリスマスっぽい音楽が
盛大に流れなくなったからかなぁ?
ものすごく、地味な感じだった。街が。

昔はよく、スーパーで聖歌(賛美歌)の
クリスマスソングがやたらと流れていて、
ミッションスクール出身者として、条件反射で

「ひ~いら~ぎ か~ざ~ろ~う~ ファララララ ララララ ♪」
とか、
「も~ろびと~こぞ~り~て~ 迎~えま~つれ~ ♪」
とか、
「ま~き~び~と~ 羊を~ 守~れる~ そ~のよ~い ♪」
なんて歌詞が、無駄にソラで出てきたのに。

ああ、一度教会のクリスマスミサに参加して、
目一杯、聖歌(賛美歌)を熱唱してきたい。
「ハレルヤ」合唱でもいいなー。
おそらくまだ歌える(ソプラノじゃなくアルトだけど)。
高校卒業しちゃうと、
ふつうに家は異教徒(仏教)だから、
敷居が高いわよねー、クリスマスミサって。

ちなみに、
カトリック=聖歌、神父さん、マ・スール
プロテスタント=賛美歌、牧師さん、シスター
ね。
おそらく一般的な名称は、プロテスタントの呼び方ですが、
うちの学校はカトリックだったので、
今でも賛美歌じゃなく、聖歌って言っちゃいます。

でも、世の中はもうすでに、
古来の宗教曲より、ジョン・レノンの歌がもう、
一つの賛美歌レベルの認知度なんだろうなぁ。


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ジョン・レノン 今聴く気がしないとか言ってた三、四年前
ビートルズを聴かないことで
何か新しいものを探そうとした
そして今ナツメロのように 聴くあなたの声はとても優しい
スピーカーの中居るような あなたの声はとても優しい

拝啓、ジョン・レノン
僕もあなたも大して変わりはしない
そんな気持ちであなたを見ていたい
どんな人でも僕と大差はないのさ
拝啓、ジョン・レノン そんな気持ちで世界を見ていたい
雨も雲も太陽も目一杯感じながら僕は進む


※「拝啓、JOHN LENNON」 同上

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2010年12月21日火曜日

ひめくりの敷居を低くする推進会議 議事録

ここ数年、ふだんからてくりの皆さんとか、
喫茶cartaさんとか、岩井沢工務所さんとかに、
ものすごく良くしていただいている。

にもかかわらず本当に、本当に申し訳ないのだが、
私自身は、衣服には無頓着だし
100均で買ったお皿や、
ミ○ドの景品のお皿を日常使いをし、
家の多くにニ○リや100均製品が溢れている。

Holzさんやひめくりさんの企画展に行っても、
何も買わずに帰ってくる時の、この心苦しさよ。

そして母は味噌汁に、ほん○し使ってるし、
私が買ってくる地元の食パンは黙って食べるものの、
自分で買ってくるときは、ヤ○ザキの食パンだ。
(無言の抵抗か?)
いや、料理はとても得意な人なんだけど。

とはいえ私もこないだ、
久しぶりに食べたカップラがとても美味しかったので、
スープに昨日の残りの冷えたご飯を投入したり、

身体の冷え対策に、すりおろした生姜を水に入れ、
煮出した熱湯を漉して入れたティーパックの紅茶を、
常飲しているような人間だ。

いつ、cartaさんに、
「その味覚で、うちの紅茶を美味いというな!」と、
店の出入り禁止を宣言されるかと、
密かにドキドキしているところである。

どうして・・・ねぇどうしてみんな、私に構ってくれるの?
そんな人間じゃないの、私!
「盛岡絶賛系」って言ってるくせに、
盛岡を絶賛してる記事、そんなに無いの!
(↑ あ。ぶっちゃけちゃった)

そんな事を小出しに方々で
カミングアウトしていたのだが、
最近、岩井沢工務所の由美子さんが、
「えー、うちもニ○リ行きますよ」とさらりと答え、
ひめくりでは、てくりの木村さんと店長のmipoさんが、

木村 「これ、どこで買ったの? 100均?」
mipo 「ううん、ホー○○ク」

と普通に会話しており、cartaさんでは意外にも
お貸ししたマンガ「深夜食堂」を楽しんでもらった。
こないだの忘年会では、てくりの水野さんと、
「スローライフ・スローフードじゃないし!カップラ食べるし!」
というような話で盛り上がったりもした。


・・・ほんとうですか?


私、素直だから信じちゃいますよ???
もしかしたら色々なイメージが、
読者の中で一人歩きをしているのか。
意外と、敷居は低くても大丈夫なのか?
こんな私でも、これからも
お付き合いいただけるんですか?


わかった。今度てくりで、
「cartaさんオススメの、
コンビニおにぎりの美味しい食べ方」
とか、
「岩井沢工務所さんコーディネイトの
お部屋に100均インテリア」
とか、
「木村さん、盛岡中心部からマ○クが2軒も無くなって嘆く」
というような読者衝撃の企画を。


まあ、衝撃はあるけど、これは誰も得をしない企画だな。


ひめくりの敷居を低くすることに協力すべきか、
自分の暮らしを向上させる意識を磨く努力をするべきか、
ジレンマを感じるところである。

2010年12月19日日曜日

寒い日々なので、暑苦しさ渇望

週末金・土に、登録してもいないツイッターを眺めつつ、
「みんな、今週末は忘年会で楽しそうだなぁ(遠い目)」
と、しみじみしていたのだが、
そんな私も今日だけは、てくりさんの忘年会参加。
あと、今月は外で飲んだのは
燐光群さんの盛岡公演の打ち上げくらいだ。
あ、だからって不憫に思って誘わなくていいですからね。


だって、お金がないんですもの(←よけい不憫だ)。


ああ、人間開き直るのが一番だ。うん。
仕事の付き合いでの飲み会とか無いって楽だなぁ。
出たいのだけ出てればいいからなぁ。
昔は、バラクーダの酒飲み音頭みたいに
毎月なにかしら飲み会あったからなぁ。
(↑ わからない世代の人はレッツ、検索!)

まあ、参加費2000円程度までなら応相談で。
あとは、おごって♪

てなわけで、今月は30人とか40人レベルでの、
大人数な飲み会が続いたので、
なんか今、反動で無性に少人数で、
深く掘り下げて語り合いたい気分だ。

大人数の飲み会って、
たくさんの知らない人と知り合えるし、
広く浅く、楽しい会話をして、
さまざまな情報を得て、人が流れていく感じ。
それって、なんかツイッターぽいなと思った。

でも、今の私は、もともと知っている人だけど、
ふだんなかなかゆっくり話をする機会がない
というような人とむしろ、
(くだらないこと、取るに足らないことも含めて)
のんびり、じっくり、こころゆくまで話がしたい。

10年位前、もっと尖がってた(?)頃は、
酒の席などで演劇関係のオジサンたちに、
「感劇地図はつまらない。こうしたほうがいい」
とかなんとか(感劇地図に限らず)
やたら絡まれていて(絡まれキャラ?)、
こっちも「いや、それはですね」と
応戦して議論していたものだが、
今じゃあすっかり、好々姉(?)的立ち位置である。
時々、ゆりもどしでちょっと尖りたくなる。

まあ、単にオジサンたちのいるような飲み会に
出なくなっただけの話かもしれないが。

大人のシャベリバがしたいなぁ。
ディスカッションやディベートでなくて、
ただ相手の話を聴いてるだけでもいいな。
しょっちゅうは暑苦しいけど、年一、二くらいで。

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(前略)もちろん、あらゆるものから
何かを学び取ろうとする姿勢を持ち続ける限り、
年老いることはそれほどの苦痛ではない。
これは一般論だ。

20歳を少し過ぎたばかりの頃からずっと、
僕はそういった生き方を取ろうと努めてきた。
おかげで他人から何度となく手痛い打撃を受け、
欺かれ、誤解され、また同時に
多くの不思議な体験もした。

様々な人間がやってきて僕に語りかけ、
まるで橋を渡るように音を立てて僕の上を通り過ぎ、
そして二度と戻ってはこなかった。
僕はその間じっと口を閉ざし、
何も語らなかった。
そんな風にして僕は20代最後の年を迎えた。


今、僕は語ろうと思う。

もちろん問題は何ひとつ解決してはいないし、
語り終えた時点でもあるいは事態はまったく同じ
ということになるかもしれない。
結局のところ、文章を書くことは自己療養の手段ではなく、
自己療養へのささやかな試みにしか過ぎないからだ。

しかし正直に語ることはひどくむずかしい。
僕が正直になろうとすればするほど、
正確な言葉は闇の奥深くへと沈み込んでいく。

弁解するつもりはない。
少なくともここに語られていることは
現在の僕におけるベストだ。
つけ加えることは何もない。
それでも僕はこんな風にも考えている。

うまくいけばずっと先に、
何年か何十年か先に、
救済された自分を発見することができるかもしれない、と。
そしてその時、象は平原に還り僕はより美しい言葉で
世界を語り始めるだろう。

村上春樹『風の歌を聴け』(講談社文庫)
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2748703

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何年かおきに、どうしてもこの小説の、
冒頭のこの部分が、無性に読みたくなる。

そして月刊感劇地図

9:30より、盛岡劇場・河南公民館会議室にて、
いわて演劇通信「感劇地図」最新号発送作業&会議。

今日の出席は、くらもちさん、きよしさん、
よんちょさん、前川さん、さわの。
そして、くらもちさんとこの架空の劇団から、
怜美さんに発送作業をお手伝いいただきました。
ありがとうございました。

ちなみに今号には、
盛岡市民演劇賞の受賞作品と講評が載ってます。
でもって、そんな賞には何一つ
箸にも棒にもかかってない(笑)、
「都市生活カタログ」にご投稿いただいた劇評も、
紙面の後ろのほうにひっそりと載ってます。
よろしければ、ぜひお読みください。

ご好意でcartaさんと、ひめくりさんにも数部、
置かせていただいてます。
あとは、盛岡劇場、盛岡市民文化ホール、
キャラホール、姫神ホールだったかな、置いてるのは。

今日の編集会議では、
くらもちさんが昨日、自分の劇団の忘年会で作った、
豚バラのスモークがいかに上手くできたかを語り、
さわのが、出版されたばかりの
某・元俳優のベストセラー小説のamazonレビューが、
あまりにも酷評オンパレード過ぎて
むしろものすごく読みたくなる(でも既に読んだ気分)
と熱く語り、
桜山地区の開発問題は事態が複雑に絡まってて
難しいよねと真面目に考えてたような日でした。
(ウソです。ちゃんと議事は進めてました)

今年度もどうやら、またもや発行が遅れてて、
年間6号発行予定が、年明けから
例年通り、月刊感劇地図予定(現在やっと3号発行)。
毎年、スタートは感動的にスムーズなんだけどなぁ。
おかしいなぁ。

2010年12月10日金曜日

「3分間の女の一生」盛岡公演終了

地元制作協力をさせていただきました、
劇団燐光群さんの盛岡公演「3分間の女の一生」、
無事、公演終了いたしました。

このブログをご覧になっている方で、
公演にいらしていただいた方が、
もしいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
また、宣伝に協力してくださった方も、
本当にありがとうございました。

燐光群の皆さんは、これから、
名古屋、岡山、福岡、伊丹のツアーに向かわれます。
もし、お近くにお知り合いの方がいらっしゃいましたら、
「こんな舞台あるよ」とご案内よろしくお願いいたいます。

当日の入場者数は300人(をちょい切る感じ)でした。

って、書くとたぶん
「・・・へえ。」
って反応だと思いますが、あのね、皆さん、
こういう、公的な文化主催事業でもなく、
マスコミや大きな企業の協賛・主催事業でもなく、
地元の大きなイベンターが招致した芝居でもない、
全くの、県外劇団単体の手打ち公演で、

しかも当日とその前後の日時には
他にもイベント目白押しで、
(分かってるだけで同じ時間帯に3つ、
有名ミュージシャンのライブがあったり、
次の日や数日後にもいくつも
演劇公演やライブが控えていたし)

忘年会シーズンな週末金曜夜で、
師走で年末進行で、クリスマスと年越しとお歳暮で、
地域格差と大不況の真っ只中の昨今に、

30万人都市で、3000円台の
娯楽性は高くない演劇公演チケットで
チケット手売りをノルマ制にしないで、
集客の強制動員とか、
「まず、騙されたと思って」と言って騙して(!)とか、
とりあえずただでもいいからお願い、来て(涙)!
なんていう人の集め方をしないで
これだけのお客さんを呼ぶことが、


どれだけ大変なことか!


ちなみに、私がふだんやってる公演は、
2回ないし3回ステージで、前売1000円で、
もりげきタウンホールで延べ200人程度です。

おそらく、他の盛岡の人気・中堅劇団でも、
同じような設定で概ね180~250人も入れば、
おそらく、成功の部類でしょう。
あと、地元劇団の公演の場合は、
出演者の数とチケット販売数は基本的に比例します。

と、いうことでよく、「盛岡は演劇の街」
という認識が、県外の演劇関係者の間ではされていて、
県外から公演に来る知らない劇団が、
最近はけっこうあるんですが、
宣伝とかをきちんとしないと
なかなか集客に結びつかなくて
(ひどい時だと、入場者数2、3人て時もあるらしい)


「なんだよ、盛岡ぜんぜん芝居に冷たいじゃん」


と、泣きながら帰っていく(?)ところもあるらしいのですが、
逆なんですね。
「演劇の街」だからこそ、
普段、毎週のように演劇公演があります。
というかむしろ、よく重なったりもします。
1000円程度での気軽な観劇が日常です。
(ということを知らない地元民もまだまだたくさんいますが)

地元劇団の公演のほかに、
高校生からお年寄りまで、実にさまざまな公演があります。

演劇ワークショップの発表会もあれば、
商業演劇の公演もあれば、公的機関の主催事業もあり、
高校生の演劇大会や自主公演、卒業公演、
はちしばや自主企画等のプロデュース公演、
市民劇場、こどもミュージカル、
えーと、あとは何があるんだ?

もう私はそのうちの何分の一も
足を運べてないかもしれません。
(年間20~30本程度かそこらの観劇数でもそうです)
しつこいですが、ただの30万人都市です。

その上、日常のように知らないうちに
有名ミュージシャンが、小さなカフェやらお店やらで
ライブをしてたりもして、知らないうちに帰っていく
というような土地柄です。

通称「映画館通り」も街の中心部にあるような、
映画好きの街でもあります。
選択のバリエーションがあるのですね。
(ということは、チケット購入の選択に
シビアになるということですね)

むしろ、普段芝居を観る機会のない地域の方が、
「珍しいから、観てみるかー。せっかく来てくれたんだしなー」
という事で一時的な祭りのように盛り上がって、
人が集まりやすいのかもしれません。

盛岡での演劇公演を考えている他地域の劇団の方は、
そんなことを念頭に計画を立ててみてください。
ある意味、シビアで挑戦のし甲斐のある土地ともいえます。


ということで、話を戻して今回の燐光群さんの公演。


竹下景子さん出演、という
キャッチーな宣伝のあった今回でしたが、
逆を言えば、普段、燐光群さんが、
社会批評性が強く、実験的で挑戦的な芝居をされている、
という事を知らないままに、
竹下さん出演で「~女の一生」というタイトルだと、

「ポスト・杉村春子の女の一生」的な
舞台のイメージだったり、
(↑ すいません、杉村春子でしたね。
   訂正しました。12月19日)
「ポスト・森光子の放浪記」的なものを
舞台に求めて来られると、
けっこう厳しいかな、という不安もありました。

舞台そのものは、来てくださってた地元演劇人には、
評判はとてもよかったし、
まさに、舞台でしか表現のできない演劇的手法が
いくつもいくつもちりばめられていて、
映画やテレビやPC画面ではきっと得られない、
会場に足を運んで、生で舞台を味わってこその
醍醐味に溢れていました。

ただその、「演劇的手法」というものに、
ふだん馴染みのないお客さまが、
早口でどんどん溢れんばかりの情報を
畳み掛けてくる台詞回しや動き、
いくつもの物語の転換、
20人もの役者さんが何役も違う役をこなし、
同じ舞台上で、二つの時間軸の話が
同時進行したりというシチュエーションなどなどが、
どこまで理解してもらえるだろうかと、
端っこの客席から客席全体を眺めつつ、
ちょっとドキドキしていました。
(ストーリー的には、そんなにひどく難しいものでは
無かったとは、客観的には思っているのですが)

特に今回は、燐光群さんの公演案内で
チケット予約をした方や、
出演者の方からチケットを購入された方、
地元演劇関係者のチケット手売りで購入した方という、
通常パターンの集客に匹敵するほどの枚数、

プレイガイドでの購入と当日券のお客さんがいらして、
(それが無かったら今回、かなり「あいたたた」
な入場者数になるところでした)
客層として、かなりバラエティに富む構成でした。

幸い、客席の集中力と緊張感ある空気は
最後まで途切れることはなく、
力強い拍手とアンコールでの終演を迎え、
とにかく、ほっとしながら
お客さまを見送っていたのですが、
いやー、どうでしたか?観てくださった方。
チケットを宣伝・販売した身として、
まだとっても緊張しております。

ああ、一度でいいから、先に台本読んだり、
集客や観客の反応とかの心配しないで、
思いっきりただの客として一度、
かぶりつきで燐光群さんの舞台を味わってみたい。

それにしても竹下景子さん、かわいかったなー。

2010年12月9日木曜日

ビバ、5きげんテレビ

今日から、劇団燐光群さんの盛岡入り。
主演の竹下景子さんと、制作の古元さんが、
午前中に一足先に盛岡入りをして、
地元放送局をまわってテレビ・ラジオに出演する。
ということで、
地元制作協力のワタクシが何をしていたかというと、


家で、じっとテレビを見る。


というのが今日のテーマ(←なんか手伝えよ)。
そして、

「ひるっコいわて」(NHK)

「5きげんテレビ」(TVI)

「ニュースエコー」(IBC)

「おばんですいわて」(NHK・ひるっコいわての録画映像)
(※合間には、今日の「5きげんテレビ」の番組案内CM)

という華麗な流れを、ストーカーのように見守り、
(すいません、ラジオは聴けませんでした・・・)
盛岡制作協力隊の一人で、
ツイッターを唯一活発に利用している、いなべ君に、
「竹下景子さんの登場は5時27分頃ってつぶやいて!」
と、メールで裏(?)操作。

いやー、それにしても5きげんテレビ、すばらしい。
こんなに、宣伝のためのお客様に対して
あたたかいもてなし方をしてくれる番組は、
(いくら、相手が竹下景子さんという超有名人だとはいえ)
そうそうないのではないでしょうか。

何がすごいって、番組内で話題にしていた、
これまでの竹下さんの出演番組、
「クイズダービー」(TBS)
「北の国から」(フジテレビ)
「ゲゲゲの女房」(NHK)
「中学生日記」(NHK)
「男はつらいよ」(マドンナ役)(映画)
平井さんが熱く語って下さったこれら全て、


テレビ岩手(日テレ系列局)じゃないからね!


なんて懐深いテレビ局なんだろう。
しかも、特に今回の公演の
主催や共催、協賛、名義後援すら
テレビ岩手がしているというわけでもないんですよ。
県や市の主催事業公演という公的なものでもないし。

全くの善意で、公演宣伝を
こんなに丁寧にしてくださって、
「ようこそ、竹下さん岩手にいらっしゃいました!」
という、おもてなしの気持ちに溢れたトークと、
「北の国から」の田中邦衛のモノマネを
嬉々として竹下さんにやっているのを見て、
ワタクシ、思わず平井さんラブ。

で、普通だったら通り一遍なトークで、
「クイズダービーの三択の女王で~」とか、
「盛岡の印象はどうですか~?」的な、
ゆるい会話に終始しそうなところを、
竹下さんと同じ愛知出身の、
新人女性アナウンサー・川部さんが、

「竹下さんの卒業された中学・高校って、
すごく頭のいい人しか入れないんですよ~!
私、そこの高校落ちてるんですよ~」

という、ぶっちゃけトーク。
ラブリー、川部さん!
とても血の通ったトークに、
5きげんテレビの人気の理由がよくわかりました。

5きげんテレビでは、昨日の番組終わりでも、
今日の番組始まる前の、今日の案内でもずっと、
「今日は、番組に竹下景子さんが来てくれますよ!」
と、出演前からずっと出演情報を告知して、
舞台映像まで流して下さってました。

次の日、公演会場隣の大ホールでは、
大きな落語の公演イベントがあって
人がたくさんだったので、
せっかくなので、通りすがるお客さまに、
「よかったらどうぞ」と、
チラシをお渡ししていたのですが、
興味を持って立ち止まる人、ちらしを受け取る人、
たくさんのお客さんの、その多くの人が、

「昨日、テレビ見たよ!」

と、にこにこしながら言って下さいました。
私はここに断言します。


岩手で5時台にテレビを見ている人の、
8割は「5きげんテレビ」を見ています!


・・・って内容のブログを今、私は、
5きげんテレビの放送時間にテレビを見ないで
ネットカフェで書いてるんですけどね(スミマセン!)。

でもさぁ~、10000枚もチラシ撒きしても、
結局、影響力はテレビ・新聞なのだよなぁ~
という、無力感もありつつ、また一歩前へ。

2010年12月7日火曜日

「燐光群公演情報」情報

先日もブログでお伝えしましたが、
劇団・燐光群盛岡公演「3分間の女の一生」、
今週金曜、岩手県民会館中ホール、夜19:00です!
詳細はこちらから。↓

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/3min_morioka.html

あと、こちらはサイト検索で見つけた、
竹下景子さんの、今回の舞台のインタビューです。↓

http://blogs.yomiuri.co.jp/kawamura/2010/11/in-dfb9.html

なお、今日の岩手日報学芸欄にも
主宰の坂手さんのインタビューが載っております。
盛岡タイムスには、数日前に
記事が載ったと風の便り(?)に聞きました。

そして、明後日木曜は、主演の竹下景子さんが
地元メディア電波ジャックです。
(FMIもラヂもりもめんこいもIATもないじゃん
というツッコミはとりあえずスルーさせてください)

個人的には、5きげんテレビの平井アナの
熱いインタビューに期待。

渡辺美佐子さんの舞台「化粧」の宣伝のとき、
たまたま家で見てたんだけど、
丁寧で熱心なインタビューと、
熱い公演情報してくれるのがステキ。
さすが、「岩手のみのもんた」。

********************

12月9日(木)

11:30~11:55
NHK盛岡放送局「ひるっコいわて」

16:15~16:27
IBC岩手放送(ラジオ)「ワイドステーション」

16:25~17:50(※17:00台出演予定)
TVIテレビ岩手「5きげんテレビ」

18:15~18:55
IBC岩手放送「ニュースエコー」

********************

ま、そうはいっても私自身は、
マスコミ宣伝には売り込む力もなく、
チケット手売りの能力もなく、
チラシ折込くらいしか今回のご協力できてないんですが。
(しかも盛劇メインホールは確保できなかったし)

でもね、10000枚くらいは今回のチラシ、
盛岡広域圏には撒かれてるのですよ、今回。
(松竹歌舞伎とかタンゴとか、オルガンコンサートとか
地元の方の追悼コンサートとか、
演劇以外でもずいぶん折り込んだので)

そして、私から長々とくどい公演案内が
二度も届いたりしてる皆さま、
どうも鬱陶しくて申し訳ない。
(でもよろしければ、私のメール、
興味のありそうな方に、どんどん
転送してくださってもよくってよ。うふ。)

「もう買いました」とか、
「劇団にも配券チケットがきてました」とか、
「○○さんにチケット渡されました」とか、
あたしってばもう、人間関係狭いからぁ~。

そして去年までは昼公演だったから
気づかなかったけど、世の中12月の金曜夜って、


忘年会


なのね!
世捨て人生活でうっかりしてたわ、もう。
師走の3500円出費は確かに厳しいよなぁ・・・(弱気)。

まあ、ワタクシもね、盛岡での
今後の人間関係とかありますし、
この土地に根ざして暮らしていく身として、
「今回だけとりあえず良ければ」的な、
チケット強制手売りとかするつもりは
これまでもこれからも、ポリシーとしてありませんが、

ちょっとでもこれをきっかけに興味をもって、
劇場に置かれたちらしを手にとってみたり、
新聞記事読んだり、
テレビのチャンネルを合わせてみたり、
記載したサイトにアクセスしてみたり
という事に繋がって、
そこから舞台に足を踏み入れた、
という人が少しでも現れるといいなぁ
ということは常々考えておりますのです。
さて。


もうあと(入場者数)は、神のみぞ知る!


これらの情報に何か感じるものがあった方、
劇場でお待ちしております。
もう、私にできることは、このブログくらいしかない。

個人的には、ナマ竹下景子さんをお見かけするのを、
実は密かに楽しみにしてます。
だってだって、ミーハーなんだもん。

2010年12月2日木曜日

哀悼と後悔

詩集「動物哀歌」の詩人、
故・村上昭夫さんの弟さんの、
村上達夫さんが亡くなられたことを、
新聞のお悔やみ欄で知った。
亡くなられたのは、30日か1日のようだった。

村上達夫さんは、兄である村上昭夫さんの詩の
著作権の管理者となっていた方である。
とはいっても、多くの人に兄の詩を知ってほしいと、
詩の使用については、とても自由だった。
規定の著作権料というようなものも発生しなかった。
(こちらの気持ちとして、ほんの少しではあるが
お支払いはさせていただいたが)

私が最初に舞台「動物哀歌」を企画したときに、
全くもって、どこに使用の相談をしていいのか
見当もつかず、盛岡市先人記念館に相談したところ、
弟の達夫さんを紹介していただいたのが
最初の手紙のやり取りの始まりだった。

手紙で、舞台に「動物哀歌」を
使用させていただきたい旨を書いてお送りしたところ、
とても一生懸命震える字で(70代の方)、
丁寧に一字一字書かれた
ご了承のお手紙をいただいた。
お手紙から、その実直で誠実なお人柄が
偲ばれるような筆跡と内容だった。

「動物哀歌」は2006年と2007年の二回、
ありがたい事に上演することができ、
どちらの舞台にもご夫婦で
足を運んでいただいた。

その後、私が関わったいくつかの別の舞台も、
時々招待券をお送りしていたのだが、
もし、興味がないのに送りつけても迷惑かと、
「お時間等ご都合の悪いときは、
どうぞご興味のありそうな方にお譲りください」
という旨を添えてお送りしていたのだが、
毎回きちんと律儀に足を運んでくださり、
感想や近況のお手紙をよくいただいた。

6月の舞台「都市生活カタログ」のときも、
そういうわけでいつものようにチケットを
お送りしていたのだが、
とても申し訳なさそうに、
ただ今、自分が病気療養中であるので、
残念ながら行くことができないという文面の、
相変わらずの律儀で丁寧なお返事をいただいた。

こういうときは、なんとお返事を返したものか、
療養中で身体が弱っているときにでも、
眺めることができるような本でもお送りしようか、
どういう出だしでお手紙を差し上げるべきかと
ぐずぐずと悩んでいるうちに、5ヶ月が過ぎてしまった。

そんなときに、「動物哀歌」で出演していただいた、
書家の沢村澄子さんが、
2006年からこれまでの活動記録の作品集を出され、
その膨大なこれまでの沢村さんの活動から
セレクトされた写真の中に、
「動物哀歌」の岩手県立美術館での
舞台写真も入れてくださり、
私がそこに短いコメントも書かせていただいた。

その沢村さんから、村上達夫さんにも作品集を
お送りしてほしいと依頼され、
お手紙を出せるきっかけができたと内心喜んで、
お預かりしてから数日後の11月29日に、
その作品集とお手紙を郵便局から出してきた。

おそらく、それが届いた日か次の日に
達夫さんはご逝去されたようであった。

なにかの運命だったのかと驚いたと共に、
何故、沢村さんからお預かりした
その日か次の日にでも急いでお送りしなかったのか、
(その時点で、手紙や作品集を読める
状態であったかはわからないが)
いや、その前に、前回のお手紙をいただいてすぐ、
どうしてお返事を差し上げなかったのかと、
一日後悔に苛まれた。


もう、達夫さんにお手紙を読んではもらえないのだ。


また、この手紙を出した当日は、
家のお向かいさんの葬儀に参列した。
ここ1、2年ばかりは、ご高齢のため、
ご夫婦で息子さんの住む
首都圏に住まわれていたので、
お亡くなりになったのはひと月も前だそうで、
あちらで葬儀も終え、
この日は地元岩手の関係者のための葬儀だった。

いつでも当たり前のように
会えると思っていた人たちを、
失ってから、その厳粛な事実に改めて衝撃を覚える。
もう会うことができない、という当たり前の事に、
今更ながら愕然とする。

それはもう、これから先、生きていくうえで
いくつもいくつも経験していくであろうことで、
それはもう、しょうがないことでもあるのだが、
「今できること」を「先延ばしにした」後悔は、
自分が想像していた以上に
自分に返ってくるダメージが大きい。

私は今、すべての現実を見えないふりをして
何もかもを、先延ばしにして生きている。