2006年4月28日金曜日

さわのの入院日記 第15夜

教授回診の金曜日。

医大の第二内科に入院していた頃は、
もっとこう「教授回診」というと、
「白い巨塔」な感じで(あくまで見た目だけ)、
白衣の集団がいっぱいいて、
朝から緊迫ムードが漂っていた。

要は、科のトップである教授が
一人ひとりの患者を、
週に一度やって来て診察する、
という事なのだが、
教授の、患者の診察が主体というよりも
(まあ、ありがたがる患者もいるけど)、
上司(教授)による、
部下(医者)たちの仕事ぶりの確認作業である。
(別に、教授に聴診器当てられたからって
何か新しい発見があるわけじゃなし)

教授が、患者のベッドサイドに立って、
その患者について、 担当医が病態や経過、
検査結果、今後の処置など細かくデータを報告する。
その内容について、多少教授と担当医の間で質疑応答があり、
教授が一言二言、患者に声をかけて
たくさんの医者を従えて去ってゆく様は、まさに

「皇室の園遊会」

しかし今、あれから数年経ち、教授も代替わりし、
どちらかというと医大生や研修医の勉強の場
という意味合いが強くなっているようだった。

いるのは主治医のグループ
(3~4人でグループを構成して患者を受け持つ)
の中でも 若い主治医ばかりで、
上の方の主治医はあまり顔を出さず、
説明担当は若手が受け持つ。

それを聞いた教授は、
レントゲン写真などのデータを学生たちに見せ、
内容を学生たちに分かり易く説明する。
中には、主治医が仕事のため一人も現れず、
研修で患者についてた学生が、
汗をかきながらしどろもどろになって、
その任を果たしているところもあった。

あまり、権威的なムードはなくなってあっさりしたものになったが、
イベント好きとしては、実は昔の教授回診も懐かしかったりする。

患者さんには「見世物みたいでやだ」という人も多いが、
意外と患者の方でも 「あの学生さん、
ずいぶんと汗かいて緊張してたねぇ」 などと、
学生や先生を見て楽しんでいたりもして、ちょっと面白い。

ま、医科大学の附属病院で、研究機関ですからね。
イヤなら、県立病院とか市立病院とかに入院すりゃあいいんであって。
しっかり勉強して研究して、
将来的に私の病気も良くしていただければ本望です。

と、子どもの時に個人医院にかかっていて
病気の発見が遅れたために悪化して、
ここの医大の救急センターと小児科で
一命を取り留めたのを始めとして、
それからことある毎に一命を取り留めてもらい続けて
20数年の私なんかは、
権威主義とかそういう次元ではなく、
理性を越えたところで 身体が有無を言わさず
岩手医大を信頼しているところがどこかしらあります。

もちろんさんざんハラの立つ医者たちにも遭遇してたりもしてますが、
その何倍も、それ以外の先生や看護師さんに
お世話になってるんで、
(入院したその日から、昔お世話になった先生が
何人も病室に足を運んでくれた)
もし仮に、昔からお世話になっててよく知ってる先生(に限定ですが)に
何かの手違いで医療ミスで死なされるような事があっても、

「まー、相手が○○先生ならしょうがないや。これも運だね」

と思って諦めるだろうと思います。たぶん。

2006年4月25日火曜日

さわのの入院日記 第12夜

室内歩行フリーから、晴れて院内歩行フリーへ。

心筋梗塞の患者は、
病気が安定期(さしあたっての再発の恐れがなくなる)になると、
負荷試験(決められた歩行距離を歩いたあと
心電図と血圧を測る)を行い、
問題がないとみなされると、

ベッド上安静、

室内フリー、

フロア内歩行フリー、

院内歩行フリー

と、 (それに伴い、お風呂に入れたり、トイレに自力で行けたりなども)
徐々に行動範囲を広げていける。

一般病棟が混んでて、
CCUから移れたのが遅くなったのと、
移ってきてすぐ土日(先生も療法士さんもお休み)
にかかってしまったために、
軽症の割にやたらとリハビリの進みが遅い。

カテーテル検査という一大イベントで
大体のことは全部わかったので、
エコー検査とかシンチグラムとか、
前はやたらとあった細かい検査も全く無い。
(「昔と違って医療費3割負担だし、
無駄な検査いりませんからー」と、
昔の主治医のT代先生に言ったら、
ほんとに検査が無くなってた)

なんちゅうか、点滴つけたままほったらかしである。

でも、なまじ元気なので、
回診で主治医の先生たちが現れても
「元気です」「変わりないです」しか言いようがない。

昔であれば
「せんせー、全然来てくれないじゃないですかぁ~。薄情な~」
「ちょっと世間話くらいつきあってくれてもー」
「せんせーは出身はどこなんですかー?」
などと軽口を叩いていたものだが、
30過ぎてずいぶん私も大人しくなってしまった。

(昔、主治医のK地先生に、レントゲン写真の心臓部分を指され、
「いずみちゃん、ここに毛が生えてない?」
と言われた前科がある)

今回、残念なことに飲んでる薬も、
やってる検査もリハビリも
全てがこれまでに経験済みなものばかりである。

会話の糸口が、見つからない!
(↑ いや、下心とかそういうんじゃなく)。
ああ、もう少し症状がなんか出てくれば(←おいおい)。

ちなみに今回、何故にこんなに軽い心筋梗塞で
こんな大仰な処置をCCUで最初に受けたかというと、
地震と同じで、最初に
「あ、地震だ。軽いな」
と思ってのんびりしてると、
しばらくして、ものすごい大きな地震が来るように、

心筋梗塞も、最初は軽い発作で油断してると、
24時間の間に再度大きな発作の波が来て、
大事に至る場合が少なくないからだと
前に聞いたことがあるようなないような。

もひとつちなみに、
何故心筋梗塞で採血が重要視されるかというと、
冠動脈の血管が詰まって、
詰まった先の血管から心臓の筋肉に血液が送られなくなると、
その部分の心臓の筋肉が死ぬ(壊死)のですが、
その時に、なんかの種類の酵素が放出されるのだそうですね。

その酵素の値が、心筋梗塞を起こしているか否かの
判断基準になるそうです。

その酵素も、発作を起こしてすぐ出てくるわけじゃなく、
発作を起こしてある程度の時間が経たないと出てこないので、
最初に発作を感じた正確な時間をしつこく訊かれ、
数時間おきに採血を(それこそ深夜も)されます。

ちなみに、その酵素の値が2000とか3000とかが
一般的な 心筋梗塞だそうですが、
今回の私の値は700かそこら(記憶が曖昧)だそうで、

「ま、今回は心臓の筋肉にちょっと傷がついた感じだな」
(by昔の主治医で、今は偉くなってしまって
患者の受け持ちを持たないT代先生談)

心臓の筋肉の壊死しちゃったところは、
トウフのようにブヨブヨになるので、
心臓の表面がブヨブヨ状態のうちに
身体を動かすととっても危険なので、
心臓の筋肉の壊死したところが
ケガしたときのカサブタ状態みたいに固くなるまで
身体を動かさないようにということで、
心筋梗塞になったら絶対身体を動かしちゃイケナイんだそうです。

20歳過ぎの、全く心筋梗塞無知な文系ムスメにもわかるように、
噛んで含めるように教えてくれた主治医たち
(当時は素直な新人F崎先生含む)に
当時教えてもらった私の心筋梗塞の知識です。

専門的に「違うよ!」ということがあったらごめんなさい。
所詮、文系アタマで理解できるのはこれくらいです。

ちょっとした、心筋梗塞まめ知識でした(いらないって)。
なんかのお役に立ててください。
なんかって、なんだ。

それにしても、ヒマ。

2006年4月24日月曜日

さわのの入院日記 第11夜

同じ病室の5つ年下のN田さん(新婚1年目)は、
なんと、三重から心臓の手術を受けに来ている。

実はここの教授は、国立循環器センターから
岩手医大に引き抜かれてきた
心臓外科医として全国的に有名な方で、
全国からこうして、手術を求めて患者がやって来る
スゴイ人なのである。

「医者が選ぶ名医のいる病院」
みたいな本とかにも名前が載っていたりする。

私のように、「家から徒歩15分のとこにある病院の先生」感覚で
執刀してもらうのは、実はものすごくおこがましいのである。

ていうかまあ、ここに入院してること自体、
病気のエリートみたいなもんですが。

私も10数年前に、手術を勧める主治医の先生から、
「K教授がここにいる間に手術しなさい。
いつ、他に引き抜かれていなくなるかわかんないんだから」
と、妙にリアリティのある説得をされたことがある。

あれから10年以上が経ち、2度手術を受け、まだいる教授。
(いえっ、有難いですっ! ずっといてくださいっ!)

それにしても、三重県。

三重の有名なものって何???
数少ない知識を必死にたぐり寄せていると、
ラーメンズのライブ「ALICE」ネタにたどり着いた。

三重県!
松阪牛・伊勢海老・真珠。
ゼイタクの三重(さんじゅう)!

ありがとう、ラーメンズ。
まさか、こんなところでラーメンズのコントが役に立つとは。

せっかくだから、退院したら盛岡を楽しんでいってくださいと、
盛岡の有名なものや珍しいものを説明していたら、
冷麺、じゃじゃめん、わんこそば、
南部せんべいにお茶もち、ひっつみ、しょう油だんご、
味噌あんの柏餅(←味噌の餡というのが想像できないと言われる)・・・

カロリー計算された、とても美味しいとは言い難い
食事続きの私たちには
酷な話題であったことにふと気付き、
しばし病室内に気まずい空気が流れる。

2006年4月23日日曜日

さわのの入院日記 第10夜

同僚が見舞いに来てくれた。
ヒマを持てあましていたのでとても嬉しい。

同僚「これを機会にさわのさん、ぜひお医者さんを紹介してください」

それが狙いかい。

同僚「この一年で、仲の良かった友達がどんどん結婚して、
    子供を産んで・・・ このままではイケナイと私、思ったんです!」

見舞いに来た病室で、熱く決意を語るな同僚よ。

しかし、20歳を過ぎての結婚適齢期に
(今回も含め)4度も入院して、
一度たりともそんなロマンスに縁のない私に
そんな話を持ちかけてくるのがそもそもお門違いである
(↑ 書いててサミシイ)。

さわの「でもさぁ、医者と結婚したら、
     逆に病気になった時冷たそうじゃん?」
同僚 「え、そうですかぁ」
さわの「『ん。ただの風邪。寝てれば治るから。じゃ、仕事行って来る』
     とか冷静に言われて、心配してくれなさそうじゃーん」
同僚 「あー、意外とそれ、ありえますねー」

イソップ童話の、
獲れなかったブドウを酸っぱいという
キツネの話を思い出す。

2006年4月21日金曜日

さわのの入院日記 第8夜

CCU(集中治療室)から一般病棟に移ることになる。

やたら元気な割に1週間かかったが、
私の病状が重いせいではなく、
一般病棟が混んでいてのベッド待ち状態だったらしい。
(いつもだと、ベッド上安静時点でさっさと一般病棟に移されるが、
今回は、室内歩行フリー状態で数日待たされた)。

個人的にはCCUが好きなので(←変な患者)、
CCUで元気になって退院してもいいくらいな
キモチであったがそうもいかない。

迎えに来た一般病棟の看護師さんに
車いすを押してもらいながら引っ越すときに、
ちょうどいた5~6人の看護師さん達に
エレベーター前まで見送られる。

その中の年輩の(たぶん一番偉い)看護師さんが、
私の荷物の柄を見て言った。


「まあ、可愛いカバ!」


ムーミンです、ムーミン!
一応、これでも森の妖精です!

という、周りの看護師さん達の
総ツッコミを聞きながら
エレベーターの扉は閉まっていった。

そういえば、6年前にCCUに入院したときの
主治医の一人だったY口先生は、
私と看護師さんがムーミンの話で盛り上がっていたら、

「・・・それは、何かと戦うのか?」

と、のたまっておられた。
医療系でのムーミンの知名度、なぜ低い。
やはり、ムーミンも戦うべきだろうか。

2006年4月20日木曜日

さわのの入院日記 第7夜

昨日は無事、カテーテル検査終了。

いやあ~、やっと日記に取り掛かれる。
だってそうじゃないですか。
入院初日から日記書いてて、
うっかりこのカテーテル検査がなんかの拍子で
先生の手元が狂って管が心臓突き破って、
ひょいと死んじゃったりなんかしちゃったりしたひにゃあ、

私の絶筆は、この入院中に書いた手書きの日記になるんですよ?!

友人達が涙にくれながら(←希望的観測)遺品を整理していたら、
こんなくだらない日記が発見されて、

「ある一つの医療ミス事件
~さわのさん、あなたは生きるつもりだったのに~」

なんていう手記が週刊誌に売られて掲載されることになったら、
私がネタとして(←そうです、あくまでネタです)
残していたこんなバカな入院日記が、
悲劇の象徴として白日の下に曝されるわけですよ!

ハタサワさんあたりに、手記を片手に
「さわの、お前はなんて最後までバカなやつなんだ・・・」
などと号泣(←再度、希望的観測)されたりするわけですよ!

裁判では、検察側の証拠資料として
読み上げられたりするんですよ!
すっごいくだらない日記なのに、
法廷内はすすり泣きで溢れるんですよ!


いかーーーーーーん!!!

そんな、死んでまでハズカシイ目に遭ってたまるかーーー!!!
(生きて日記を載せる生き恥はいいのかという問題には
目をつぶって欲しい)

そんなわけで、これ以前の日記は全て
記憶を頼りに書いた過去日記である。

まあ、どうでもいい話ですけどね。

昨日、私の右脚の股の付け根
(カテーテルの管を挿入したところ)の、
動脈の血管から管を抜いて、
そのまま20分くらい止血をして押さえながら、
後半、思いっきり船を漕いで寝そうになっていた某先生が
(↑ あとで問題になったら申し訳ないので、あえて名は伏せます)
今日は、朝七時にはやって来て、
傷口の確認をしていった。

ここの先生たちこそ、いつここのCCUに入院してもおかしくない
過酷な労働状況である。

検査後、つくづく労りの言葉を
いくつかかけてあげたいのはやまやまだったが、
右脚の付け根を露わにしたままの、
けっこういたたまれない姿で、
年のそう違わない未婚男性と二人っきりの密室で、
軽妙なトークを繰り広げられるほどオトナじゃなかったので、
終始疲労で寝たふりをしておりました。
ここにお詫びを致します。
(いや、ほんとに検査で疲れてましたけどね←言い訳くさい)。

それにしても、主治医が同い年や年下ってのはショックが大きい。

いつまでも年上と思うな力士と主治医(さわの 心の俳句)

2006年4月19日水曜日

さわのの入院日記 第6夜

カテーテル検査当日。

はっきり言って、今回の入院の一大メインイベントである。

どういう検査かというと、
右脚の股の付け根のところの太い動脈から管を挿入し、
大動脈から心臓の近くまでその管を通し、
管から、血管造影剤というX線を通さない液を血液中に流して、
X線撮影(動画)するという大がかりな検査。

まあ、血管のバリウム検査みたいなやつですね。
ちょっとした手術くらいの負担が身体にかかる
(検査後6時間くらいは動けない)。

人によっては、この時に一緒に管から風船を入れて
血管内で膨らまし、狭くなった血管を広げるという
治療を行う場合もある。

朝に、看護師さんからこう言われた。

看護師「さわのさん、今回のカテーテルの承諾書に
     サインが欲しいそうなんですけど」
さわの「・・・ていうか承諾も何も私、今回のカテーテルの
     説明受けてないんですけど」
看護師「えぇっ!?」

いくらカテーテル検査慣れしている患者だからといって、
ほったらかされるにもほどがある。
慌てて、K矢先生がやってくる。

K矢 「検査したところでは、前の手術の縫合部分に狭窄はないです」
さわの「おぉ・・・」
K矢 「この部分が狭くなって、
    今回心筋梗塞起こしたのかと思ってたんだけどね」
さわの「違ったんですか」
K矢 「それに、前にカテーテル検査したときより
     血流は良くなってるようだし・・・」
さわの「すばらしい!」
K矢 「そして、これが不思議なんだけど、
    前に完全に閉塞したと思った瘤(こぶ)
    のところに、わずかに血流がみられるんだよね・・・」

なんと素晴らしい人体の不思議。
こんな、医者にはとても言えないような生活が
心臓の動きを良くしているとは!

ビバ! 身体に悪い生活!!
(ウソです。すいません言い過ぎました)。

ちゅうか、そこまでわかってるんなら、
カテーテルしなくていいんちゃうん?!
ま、そうはいかないんですけど。

その後、F崎先生が、前々日のCT検査結果を持って現れる。
これまでCT検査は、
身体の輪切り断面図のレントゲン写真だったのだが、
(はっきり言って、その画像を見せられても、
どこが心臓なんだかわからない)
今回の最新CT機械はなんと、
そのたくさんの輪切り映像を、
なんかいろいろなコンピュータ処理をして
(↑ すいません、バカな説明で)、
立体画像に構築するらしい。

自分の心臓のモノクロ立体画像を初めて見て感動する。
すげっ!

病気柄(?)、これまでに様々な「最新医療機器」の
被験者となってきているが、
どの先生も、最新機器について説明する姿は、
まるで買ってもらった新しいおもちゃを
嬉々として自慢する少年のようだ。

つくづく理系少年である。

例えて言うなら、のび太に、パパに買ってもらった
ラジコンの自慢をするスネ夫。
(↑スネ夫かい!)

そんなこんなで、カテーテル検査もスタート。

天馬博士がアトムを作るような未来装置に寝かされる。
(たとえる漫画がことごとく古くてすみません)

うっかりしてると、いつか機械人間に
改造されそうな気がして油断ならない。

2006年4月18日火曜日

さわのの入院日記 第5夜

現実の医者とのロマンスに、全く見込みがなさそうなので、
つい、ドラマの医者にほのかな恋心を抱く。

TBS系の昼下がりの、介護を主題にした、
中村玉緒が主役のドラマに出ている、
たくろう先生こと、山田純大(杉良太郎の息子?)が

カッコいー・・・!

是非ともこんな主治医に受け持ってもらいたい。
あ、いや、でもこんな姿ではお会いしたくはない(←揺れる乙女心)。

わたし的には、江口洋介でも唐沢寿明でも
坂口憲二でもギバちゃんでもなく、
(いや、ふだんそういうドラマ見ないからわかんないけど)
山田純大がイチオシである。
(↑ その割には、純大の読み方が分からない)

しかし、こんな時間帯のドラマにはまってしまって、
職場復帰してから禁断症状がでるのは
いかがなものかという気もしないではなかったので、
ものすごくセーブしながらたまに見る(←哀しきオトナな判断)。

看護師さんには、
「ここには江口洋介はいない」
と言ったらウケられる。

ちなみに看護師さん的には、
そういう医療系ドラマを見ると
「そんな話をしている間に、さっさと患者を搬送しろ」
と、思ってストレスがたまるらしい。

2006年4月17日月曜日

さわのの入院日記 第4夜

CTスキャン検査。

検査が終わって、たまたま一緒に戻ることになった
主治医のF崎先生 (10数年前からお世話になってる)が、
私の車いすを、CCU(集中治療室)まで押してきてくれた。

戻ると、一様にナースステーションに衝撃が走る。
その表情には、

「・・・F崎先生が、患者の車いす押してる・・・!」

という驚きが、ありありと浮かんでいる。

さわの「・・・センセー、よっぽど普段、患者さんの
     車いす押したりとかしないんですね」
F崎 「うるせっ」

看護師さんとの世間話で、
「F崎先生が、まだ新人の頃に主治医だったんですよ」
というと、若い看護師さん達が必ず驚く。

「F崎先生に新人時代があったなんて、想像できない・・・」

「ていうか、年齢不詳・・・」

一体、普段どんな偉そうにしてるんですか、F崎先生。
そして、そんな先生に車いすを押されている私。
CCUでは、「F崎先生の新人時代の弱みを握る患者」と噂される。

2006年4月15日土曜日

さわのの入院日記 第2夜

金曜の午後に入院なんかしてしまったので、いきなり土日。
検査もなく、ヒマである。
そして、たくさんの薬やら点滴やらの副作用で、
頭は痛いしダルいしで、ひたすらゴロゴロするのみである。

この日CCU(内科的集中治療室)では、
特に緊急の患者さんの搬送というようなものもなく、
「救急救命なんとか」みたいな展開はひとつも起こらない。

ヒマだ。

部屋の向かいにあるナースステーションからは、
育ちのよい(にちがいない)若い男性たち
(CCUはハードな仕事なので、基本的に若い医者が主軸である)の、
男子校みたいな笑いさざめく声が聞こえてくる。

さわやかだ。
なんてさわやかすぎる。
何にも勝る心地よいBGMだ。

そんな事に癒しを求めている自分が、もう若くはない。

そして、お世話をしてくれる看護師さんたちが、
みんなカワユくて、若くてキレイで優しくて、
よく気がついて笑顔で働き者だ。

CCUなんかに配属される看護師さんは
きっと医大の看護師界のエリートなんではないだろうか。
そしてきっと、人によっては死にかけだったりする
患者のストレスを極力減らすために、
配属には写真審査があるに違いないと
私は密かに睨んでいる。

かたやこちらは、すっぴんに髪はボサボサで、
点滴つけた病衣姿で、始終けだるく寝ている三十路。
この状況下での医者と患者の恋物語は、
どう転んでも有り得ない。

さわの、2日目にしてあっさり看護師さんたちに不戦敗を決め込む。

無駄な闘いはしない、
ガンジーにも負けない平和主義者である。

この状況で恋物語におちるとしたら、
やっぱ、こっちが不治の病かなんかで
徐々に弱っていって死なないとなあ。

「いずみさん! 死ぬな、死ぬんじゃない!!
いずみさーん! さーん、さーん、さーん、さーん・・・(←こだま)」
みたいなー。

マコ 甘えてばかりでごめんね~みたいなー。

世界の中心で愛を叫んじゃうみたいなー
(↑ 読んでないからよくわかんないけど)。

私だって甘えてばかりで謝りたいものである。
とりあえずは、看護師さんたちに甘えてみる。

2006年4月14日金曜日

さわのの入院日記 第1夜

実はワタクシ・沢野いずみ、
子どもの頃に罹った病気が元で、
心臓の冠動脈に瘤(こぶ)があり、
20代で二度、冠動脈のバイパス手術をしている。

そんな情報をお伝えしてから、
この日記の過去ログを読まれると、

「こんな生活してるからだよ!」

と、総ツッコミを受けそうだが、
急きょ、超軽症の心筋梗塞で
岩手医大付属の循環器医療センターに
入院することになった。

とてもここの過去の日記は
代々の主治医に読ませられない・・・。
(いや、意外と「ま、いずみちゃんの事だしな」
と納得されるかもしれないが)

昼ご飯を買いに外に出たところ、
突然懐かしい(?)胸痛を感じ、
昔、医大でお世話になった事のある先生が
開業している医院にタクシーで向かい、症状を伝える。
もともとが一般的な心筋梗塞からくる発作でないことや、
早い段階での受診、軽症ということもあり
心電図波形には表れてくれない。

(6年前に救急車で救急センターに行ったときなどは、
パニック障害の若い患者みたいな扱いで
「心電図に異常はありません」と、
一度帰されたりもしている)

今回も、かかりつけ医にしているK田先生が
「心電図には変化がないけど、
採血結果に微妙なところがある」という、
かなりきわどい判断(英断)で、
循環器センターに紹介状を書いて、
看護師さんをつけてタクシーで送ってくれ、

そこで診察をしてくれた外来の先生も、
最初は「特に症状は出てないんだけどなあ・・・」
と困惑気味で、
「心配だから、一日入院して検査して様子を見ましょう」
というような話をしているうちに、
つけっぱなしの心電図に変化が表れ、
「あ、出た」という感じで入院が決まった。

ま、そんな程度の心筋梗塞である。

診察してくれた先生がカッコよくて、
その鋭い眼差しで見つめられながら入院を勧められ、
迎えに来たCCU(集中治療室)の先生(看護師さん?)が
ジャニーズ系でカワユかったのでついうっかり入院したら、
身ぐるみ剥がされ、病衣を着せられ、
両腕に点滴、尿の管・酸素の管に
心電図のコードいっぱいを装着させられ、
ベッドで絶対安静を命ぜられ、
よってたかって質問責めと検査責めに遭う。

そして、外来で会った先生はCCUの先生ではなかったので、
入院後、主治医を受け持ってもらうこともなかった。

サギだ。

そんな風にして、沢野の入院生活は始まるのであった。