2011年4月16日土曜日

わざとアバウト情報にしてみた。

はちしばのプロデューサー、来年一月にやります!
詳細はいずれまた。
なんか、不思議な運命を感じて、
こないだうっかり、引き受けちゃったよ。

あと、盛岡のリトルプレス「てくり」さんのイベント
「モリブロ」のお手伝いもします。
5月14日、15日です。
なんか、とてもでかいイベントなので、
ちゃんと内容の全体像を把握できたら(!)
また、自分の言葉できちんと書きます。
それまで詳細は、自力で調べるように。

よいこのみんな、約束だぞ!

ていうか、盛岡の人は、
街なか歩いてちらしやポスター見つけてみて下さい。
きっと今、いろんなところでちらしが手にできます。
ポスターも張られています。

「モリブロ」っていう名のイベントです。
繰り返します、5月14日(土)・15日(日)です。
会場は、岩手県公会堂と桜山神社とその周辺エリアです。
さあ、ちらしとポスターを見つけてみよう!
いろんなお店に足を運んでみよう。
オリエンテーリングみたいだね。

なんでもかんでも、パソコンと携帯で情報集めて
知った気になってるなんざ、
あたしゃ、認めないよ(←何キャラ?)

さあ盛岡の人よ、街を歩こう。

感劇地図提出原稿・初稿

タイトル:フレデリックになる覚悟はあるか

感劇地図編集委員 沢野いずみ

 あの日から、ひと月が経った。この震災後に、より大きな力を持つようになったソーシャルネットワークの、圧倒されるような言葉の激流にすっかり押し流されるかのように、私は日に日に上手く言葉を発することが出来なくなっていった。
 最初のうちは、生きていた、よかった。家族も親戚も友人知人も無事だった、よかった。停電が復旧した、嬉しい。他のライフラインも日一日と目ざましく回復していく、すごい。日本全国・世界各地が支援してくれている、有り難い。日本人の礼節を重んじ、人と助け合う精神が世界から評価されている、素晴らしい・・・といったように、一つ一つ丹念に希望と喜びを見出し、暗闇の中で微かな光を求めてじっと目を凝らしながら当たりをつけ、その方角へ進む言葉を探していた。それが私の、今後の自分の方向性の確立でもあった。と、思っていた。ここが哀しみの底なのであれば、あとはゆっくりと上っていく道筋を模索していけばいいのだと。
 私は個人でブログを書いている。そこにそういった内容とともに、レオ=レオニの絵本『フレデリック』の事を書いた。お百姓さんが引っ越してしまい、何も無くなった石垣の中で、働き者の野ねずみたちは、寒い冬のために木の実などの食べものを集めている。だけど、フレデリックだけはぼんやりとしていた。仲間の野ねずみに問われてフレデリックは言う。自分は、おひさまの光や色や言葉を集めているのだと。冬が始まっても最初のうちは、食べるものもあり楽しく暮らしていたが、次第に食べものが無くなり何もする事が無くなっていくと、野ねずみたちはフレデリックがおひさまの光や色や言葉を集めていたことを思い出し、彼に、集めていた話をせがむ・・・。
 私はフレデリックになりたい。一匹の、ふだんはまるっきり役に立たない小さな野ねずみに。食べものも無く凍えるような真冬に、おひさまの光の話を仲間に分けてあげられる野ねずみに。
 そんな小さく、か弱き信念さえも軽く踏みにじられるかのような現実が、メディア等を通してこれでもか、これでもかというように、毎日手を変え品を変え私たちに襲いかかる。昨日どころか、たった今発した言葉ですら、みるみるうちに色あせていく。
 もうすぐ震災からひと月経つという日の数日前、宮城県で震度6強、私の住む盛岡市でも震度5強の地震、そして同時の停電に再び見舞われた深夜、暗闇の中で「エリ エリ レマ サバクタニ(神よ、神よ、どうして私をお見捨てになったのですか)」という、ひと月前ですら思い巡らさなかった聖書の詩篇の一節が、キリスト教の信者でもないのに脳裏をよぎった。衣食住に困っていない、被災などとても言えない体験しかしてない、この私が。
 これでもお前は、太陽の明るさや花木の美しさを讃え、四季の移ろいに目を留める小さな野ねずみでいられるのか。その集めたもので仲間に喜びを分け与える事ができるのか。
 「お前は本当に、フレデリックになる覚悟があるのか?」
 それを真正面から問い質されたような気がした。上っ面だけの甘い希望の言葉を発する事が、フレデリックになることではない。
 私はこれから感劇地図編集委員や、八時の芝居小屋制作委員の活動の継続に迷いが生じた時や、活動内容を人に伝えるときに、心の中にはまだフレデリックが棲んでいるだろうかを常に確認しながら進んでいくことになるのだろう。まだ彼は私と共にいてくれている、はずである。いつまで心の中に居てくれるのかは正直わからない。だが、まだ盛岡には心にフレデリックを棲まわせている心強い演劇人がたくさん存在している。これからが私の正念場だ。あの微かな光は、あちらの方角から射してきていると信じている。

2011年4月6日水曜日

似て非なるもの。

感劇地図の原稿が書けないと言いながら、
「キューティーハニー」の盛岡弁訳にいそしむ私。

それは、村上春樹が長編小説に取り掛かる合間に、
アメリカの小説を翻訳する作業に似ている。
(ちげーよ!)

「書けないあたし」ナルシズム

今回の災害を経験した一地域である岩手の
劇評紙の編集委員として、
感劇地図の原稿を書かなければいけないのだが、
締め切りをとうに過ぎているのに書けない。

書けない。
ほんと、書けない。

そんな、
「この現実を前にして、何も書けなくて途方に暮れるあたし」
に酔いしれてる的ナルシズムに、
「何様だよ」と自分ツッコミを入れつつ、
いや、その前に、
「お前、どんだけ売れっ子純文学作家気取りなんだよ」
という痛い自分に、跳び蹴りをくらわすつもりで、
なんとか下書きまでは進めたのだが、
お願い、(原稿を)寝させて(←誰に言ってるんだ)。

てな感じで、研ナオコの歌の替え歌を
「(原稿を)寝かせて 寝かせて~
ツイッターには できない事だものぉ~ ♪」
と、脳内で歌っていたのだが、歌い進むにつれ、


「あなたの言葉より 今は 安い流行歌のほうがまし~」


という歌詞を思い出して、
まったくもって、その通りだよなー、
と、思いっきり納得して、地味に落ち込む。
さすが、作詞・小椋佳。

「悲しいことは どんな 化粧をしたって悲しいのです」

ここをね、きちんと押さえて消化した上で、
「自粛」批判に繋げていかなきゃいけないんですよね、きっと。

なんか、今回は世の中がこれまでみたいな
単純な「自粛」ってムードだけとも、また違う気もする。
ほんとに悲しいんだよね、みんな。
で、そこから立ち上がっていくために、
ものすごくエネルギーが必要な感じで。


まあ、そんな事を毎日ずっと考えてるというわけでもなくて、
「ハッピーデマ」
のtogetter
http://togetter.com/li/117693
だとか、
「映画のタイトルの一部を「二日酔い」に変えて一番面白かったヤツが優勝」
のtogetter
http://togetter.com/li/119172
なんかをふだん眺めて楽しんでるんですけどね。

「映画のタイトルの~」は、
「東北のお酒を飲もう! キャンペーン」(のような感じのやつ)
の公式togetterになって欲しいくらいだ。

「世界の中心で二日酔い」
「その男二日酔いにつき」
「博士の愛した二日酔い」て。くだらなすぎる。


さて、寝かせる原稿見直すかな。

キューティー ハニー

ブログ「相馬弁研究所」の
影武者所長との競作希望曲です。

しかし、だめだー。どうしても歌ってるのが
あき竹城しか思い浮かばない。
「さわのさん。ほんと、バカじゃね?」
という、誹謗中傷メール絶賛募集中。

ハニー フラッシュ!

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「キューティー ハニー」
作詞:クロード・Q 作曲:渡辺岳夫

【盛岡弁訳】

この頃 はやってら 女子童(おなごわらし)っコぁ
けっつの 小(つ)っちぇ 女子童(おなごわらし)
こっつば 向くむしぇ ハニー

だーれ なんたら
まんつまんつ なんだか なは

頼むんちぇ 頼むんちぇ 掻(か)っちゃがねんで けで
おらぃの ハートっコ ハァ いがいがづぅく なるのぉ

わがね わがね わがね 見(め)ぇらえば やんた

ハニー フラッシュ!

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