2010年3月27日土曜日

夜空を見上げる

3年前まで、7年ほど働いていた職場で、
別部署の上司だった方が、
定年退職されるということで、
職場としての歓送迎会とは別の送別会が開かれ、
館のオープン時(2000年)に
働いていたスタッフが、
こちらの送別会に呼んでいただいた。

今もまだ働いているスタッフたちにとっては、
これも送別会なのだけれども、こちらとしては、
3年ぶりに参加する元職場の飲み会なわけで、
とても楽しいひとときだった。

そういや、○○さんっていう
臨時(職員)さんいたよねー、とか、
顔と名前がもう一致しない!とか、
お世話になった歴代の市職員さんたちは
現在はどこの課にいるとか、
そういや、オープン前って
こんな事あったよね、とか、
あの頃、こんな事言われましたよーとか、
さながら、同級会のようだった。

送別すべき元上司に、しみじみと、
「さわのさん! 元気だったか~・・・?」
と逆に娘を見るような目で言われたり、
直属のトップの上司だった館長に、
「今日は、さわのさんに会えて良かった」
と、言っていただいたりもした。

私がこの職場を辞めるときは、
年度内に二度も心筋梗塞で入院してたり、
仕事やら何やらでボロ雑巾のようになって、
野球選手の引退会見のように、

「気力と体力の限界です」

的な状態での退職だったので、
(ただの常勤嘱託とは思えない激務と職責だった)
一年近く前から年度末退職を(密かに)想定して、
その年はずっと仕事をしていたので、
退職後に、辞めた後悔のようなものは、
自分の想像以上に全くなく、
元職場に顔を出す機会ももう殆どないのだが、
(知ってる人がもうあまりいないし)

バイトの仕事をする時も、
プロデューサー的仕事をする時も、
美術展を見に行ったり、
地元文化に興味を持ったりする時も、
この時に鍛えられたことが、
本当に、今の私にものすごい
影響を与えてもらっていることに
しょっちゅう気づく。

思い出を美化するつもりはなく、
またここで働きたいとは思わないし、
仮に働いたとしても、
またまた心筋梗塞で入院するか、
今度こそ間に合わなくて
家か職場で死んじゃうだけなのだが、
珍しく、2次会まで参加した帰り道、

「K地先生、私、あの時あんなに入院を嫌がって、
仕事に行かなきゃって泣いてた職場を辞めて、
もう、3年経っちゃいましたよ」

と、思いながらずっと夜空を見上げて歩いた。

2000年に命を助けてもらってから10年。
(仕事を始めて1ヵ月半であり、
新しくできた館の開館から2週間で
大きな心筋梗塞で入院して手術)

あの時助かってなかったら、
本当に今の私はここに存在しない。
そしてあの時、ここの職場に、
入院を理由に仕事を辞めさせられていても、
今の私はない。

もしいつか再びK地先生に
お会いできる機会があるのだとしたら、
そんな事を、お伝えしたい。

2010年3月22日月曜日

月記

うっかりしていたら、岩手県立美術館の
「art festa iwate」と、
盛岡市民文化ホール展示ホールで行われている、
「澤田哲郎展」が、今日で終了だったことに気づき、
慌てて見に赴く。

行く途中、盛岡市先人記念館で行われている、
「盛岡の古町名展 本町かいわい」も、
28日で終了な事に気づき、こちらも足を延ばす。

意外と、会期が長いと行きそびれるので
注意が必要である。
それにしても今月は、

2日(火)
某企画の上演許可おりる
某劇団代表に公演の演出交渉
(↑ もう少ししたら告知開始します)

6日(土)
ギャラリーラヴィ閉廊
岩手大学教育学部芸美の卒業制作展
岩手大学教育学部芸美の大学院生の修了制作展
滝沢善子ピアノリサイタル 鑑賞

7日(日)
感劇地図最新号発送作業in盛劇(河南公民館)
某盛岡の人気俳優に出演交渉
(↑ もう少ししたら告知開始します)

12日(金)
医大の定期外来
某座談会出席
(↑ 5月になったら改めてお知らせします)

13日(土)
岩手大学劇団かっぱ卒業公演 観劇

14日(日)
劇団赤い風 朗読劇「花どろぼう」 観劇
つくる展 鑑賞

17日(水)
叔母の告別式で栃木日帰り

21日(日)
劇団ゼミナール公演「四葉のクローバー」 観劇

22日(月・祝)
盛岡市先人記念館「古町名展 本町かいわい」
岩手県立美術館「art festa iwate」
盛岡市民文化ホール「澤田哲郎展」


ってね、私はいつ仕事してるんですかね?!


仙台からわざわざ盛岡公演に来られた
劇団IQ150公演も見られなかったし、
クロスK公演も行けなかった。
八芝3月のなんだりかんだり読みがたりも行ってない。
いくつかあるらしい市内高校演劇部の各公演は、
まったくスケジュールが把握できてない。

今週末には、劇団女子高生公演
(↑ そんな名前の劇団があるんですよ、奥さん)
もあるし、送別会にも一つ呼ばれているし、
もりおか啄木・賢治青春館
(↑ そんな名前の公共施設があるんですよ、奥さん)
でやってる市民文化ホールと
同時開催の「澤田哲郎展」は、
28日に会期が終了だ。

もうさー、もうさー、
なんかわかんないけど、もう許して!
ていうか、来月は反動でイベント減りそうだな。
(そして5月6月にまた一気に増える)

今月は、いろんな人に会ってたんだなぁ。
手紙もいくつか書いてたなぁ。

別の話を書こうと思ってたんだけど、
なんか、まあいいや、今日は。

2010年3月17日水曜日

ふえるさわのさん

一度も会ったことのない叔母の告別式で、
栃木に日帰りで行ってきた。

私は、父が46の時の娘なので、
父の兄弟というのはみな現在、
70、80代で、いとこもみな歳が離れている。

亡くなった叔母というのは、
ずっと昔に岩手を離れ、若くして亡くなった、
父の弟の奥さんである。

無論、叔父にも会ったことはない。
生きていたら80前くらいか?
叔母の享年は74歳。
(うちの両親は、20年ほど前に
盛岡の我が家に叔母と従兄が来たときに
会ったのが最後らしい)

そんな人の栃木の平日の告別式に、なぜ。

一応、ご報告だけでもという感じで
我が家に電話を入れた、
一度も会ったことのない10歳年上の従兄も、
まさかこちらが来ることは想定しておらず、
ちょっとびっくりしていた。

しかし、こちらとしては、
この機会を逃したらもしかしたら、
一生この従兄と
会う機会はないのではないか、
という、思いがあった。
(母も、どうしても行って来て欲しいと願っていた)
一度も会ったことのない従兄に会ってみたい。
弔意とともに、そんな気持ちがあったのである。

特に深く考えもせず、
宇都宮の辺りだろうと思って
会場の場所を聞くと、
「えっ・・・、どうやって来ますか?」
と、戸惑うように聞かれ、

「えーと、とりあえず
住所さえ教えてもらえれば、
栃木の地図(ライトマップル)は
買ってきたので、どうにかします」
と、自信満々に答え、
住所を教えてもらうとそこは、


群馬県との県境の小さな町だった。

告別式は、12:00。


つくづく自分が、フットワークが軽くて、
ビミョーに鉄子な性格で良かったと、
自分に感謝した。
(JR乗り換え二回で、11:30に会場に到着)

普通の女のコであれば、
行くのを挫折していたかもしれない。


ありがとう、ちょっと鉄ヲタ風味な自分。

ビバ、自分。


ま、そんなわけで、鉄子の旅なネタだけで
今回、このブログはいっぱいになって
しまいかねないのだが、別な話を。

私は一人っ子で、
この叔父以外の父の血縁はみな女で、
他家に嫁いでいるので、
澤野という苗字の
兄弟や従兄弟は他にいない。
(父の従兄弟筋など、
少し遠い親戚にはいるが)
そして、従兄弟たちは私と歳が離れていて、
それぞれ、自分たちの兄弟姉妹がいる。

それが当たり前でこの歳までやってきたので、
特になんとも思わなかったのであるが、
この歳にして初めて、

「さわのさん」な従兄に会うのである。

10離れているとはいえ、歳も近く、
あちらも一人っ子である。

一度も会ったことのない、
生き別れの兄に会うというのは、
こんな気持ちに近いのだろうか。

初めて連絡を取り合った携帯の留守電に、
「あ。さわのですけど・・・」
と、入ってて、

「こっちもさわのだよ!」
と、思わず携帯にツッコミを入れそうになった。


30歳を過ぎたくらいから、
両親の代理で澤野家代表として、
ご近所さんや、遠い親戚の
葬儀や火葬、告別式に参列することが、
飛躍的に増えた。

様々な弔辞や喪主挨拶があった。

私にとっては記憶が曖昧な、
よく顔を覚えていない近所のおばさんが、
有能な専門職の「職業婦人」で、
医療にも大きな貢献をしていたりとか、

あまり付き合いのない
お隣のおじさん(といっても80代)は、
まだ差別の強かった時代のアメリカで、
壮絶な私費留学をしていて、
友達と強い絆で支えあっていたりとか、

本家の愉快なおじさんの葬式の
弔辞を読んでいた昔の部下が大泣きしたりとか、
色々な人となりを、葬式で知ることも多く、

弔辞を読むために前へ歩いてくることすら
やっとなお年寄りが、弔辞を読む前、
泣かないようにと、ものすごい長い間のあとで、
冷静に読み出したり、

「私はすっかり歳をとってしまい、
君をこうして送り出すことしか
もう、君にしてあげられることはありません」
といって、盛岡中学の校歌を
朗々と歌い上げたお年寄りがいたり、

涙腺が決壊しそうな思い出が
たくさんできた。

まだ、自分の中での「葬式」
というものに対する理念のようなものは、
まったく定まってはいないのだが、
(若い頃は、墓なんか作らず、
できれば森の奥深くにでも
散骨してくれないものかとも思ったものだ。
遺された家族が面倒なプランである)
なんとなく、今回漠然と思ったのは、

葬儀の主役はあくまで亡くなった人ではあるのだが、
葬儀そのものは、遺された人々のためのものである。

ということだ。
今回、この告別式に参列して、
従兄や、叔母の血縁の方々と会うことができ、
会えた事を、本当にとても喜んでもらった。

ずっと親子二人だけで静かに暮らしてきたらしく、
叔母の兄弟たちですら、
10数年ぶりに連絡を受けたらしい。
そんな亡くなった叔母が、
私たちを繋げてくれたのだ。

不謹慎に聞こえるかもしれないが、
私たちは、最後にみんなで火葬場で
記念写真を撮ってきた。

まあ、こんな若造がなんですが、
葬式は、出た方がいいですよ。うん。
いろいろと、思うことが増えると思います。


なんか、こんな思索状態だったりしたので、
ほんとはもっと急いで進めなければいけない、
さわの企画が、ちょっと遅れてます。
関係各位、ご迷惑をおかけしてます。
これから急ピッチで進めます。ごめんなさい。
(ブログ書いてる場合じゃないだろ、と言われるな・・・)

もう少ししたら、皆さまにも、
そちらのご案内もできるかと思います。
よろしくお願いいたします。

2010年3月12日金曜日

最新医療器具より気になる

医大の定期外来。
今日は、採血に最新マシーンが登場!

これまでは、採血室で注射器で採血された後、
外来窓口に戻ってきて、
診察を待っていると(20~30分程度)、
採血データが先生のパソコンに届き、
診察室に呼ばれて、先ほどの採血結果を聞く。
という流れだった。
(これでもすごくスピーディだと思う)

それが今日は、看護師さんに呼ばれて、
いつもの科の受付に行くと、看護師さんが、
中の処置室に導くのである。

ちょっとビビりつつ中に入り、椅子に座ると、
目の前の机の上には、万歩計を一回り
大きくしたような検査器が。

なんでも、この器械は、
指先にちょこっと針を刺して出た、
直径2~3ミリ程度の
ビーズ位の大きさの血だけで、
即座にその場で測定して、
採血データが表示されるというスグレモノ。

すごいね、医療機器の進歩って。

私がこれまで味わってきた、
入院中、早朝に寝起きをたたき起こされ、
新人看護師さんに、採血を失敗されて、
針を刺されたまま、
血管の周りの肉を針で3度もまさぐられる
という経験や、

ほんとに初心者っぽい新人研修医に
採血されるあのドキドキ感を、
これからの患者さんは
味わわなくなるということだね。

これまでの壮絶な思い出の数々を振り返り、
若干、複雑な心境だね!

あの苦労は、私の代(?)で終わりなのか。

心臓手術も、私の頃からは無輸血手術とか、
人工心肺使わないとかだしね。
そのうち、部分麻酔で心臓手術とか、
言い出すんじゃないか、最新医療ってやつは。
(あ。カテーテル治療はそうか・・・そうなんだ!)

まあ、そんな最新医療についてより、
私は今日、A孫子先生にまず訊きたいことが。

気になる。すっごい気になる。

さわの 「先生! 先月からずっと
      気になっていたんですけどっ。
      ヒゲ!!
      その、あごヒゲどうしたんですかっ!」

あ、お医者さんのあごヒゲっていったって、
「ヤギ」みたいなんじゃなくね。

A孫子 「ちょっとワイルドになってみようかと」


ウソくさい。


さわの 「リンカーンの逸話みたいな事を言われたとか」
A 孫子 「(笑)言ってくれる人なんかいません」
さわの「『先生はぁ、ヒゲを生やしたほうが、
     ぜ~ったい素敵だと思いますぅ~』みたいな」
A孫子 「ないから。それに土曜には剃っちゃうし」
さわの 「なんですか、その期間限定なヒゲ!」


はっ、もしかして。


さわの 「・・・先生、来月もいますよね?」
A孫子 「? 来月・・・は、いるけど・・・?」
さわの 「「は」ってなんですか、「は」って!
     再来月はいないみたいに
     言わないで下さいよ!」

年度末に珍しいことをしてると、
いなくなるんじゃないかと心配される、
今日びの大学病院の先生。

(ちなみに昨年度末は、
普段あまり着ない白衣を着ていたので、
「まさか、異動じゃないですよね?!」
「白衣なんか着てると心配するじゃないですか」
と、さわのに言われたA孫子先生)

それにしても、気になるそのヒゲ。
あまりにも気になりすぎて、

「先生と同じ苗字で、同じ山形出身の
若いロックミュージシャンが、
“ほぼ日”で芋煮つくってますよ」

と、教えてくるココロの余裕がなかった。
無念だ(↓)。
http://www.1101.com/imoni/index.html

誰か、A孫子先生に教えてあげて下さい。

(※ちなみに、A孫子先生と芋煮の関係については、
以下の過去ログをご覧下さい。↓
http://morioka-zsk.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#275640424976949639


あ。

でも、今日は夜に仕事の会合で、
「飲食費先方持ちで、飲み放題」。
だということは、くれぐれもヒミツに(←書くなよ)。

今日の数値がちょっと低かったのは、
決して、酒のせいではありません。

だって、この3年間、
次の日採血検査の有無に関係なく、
ふだんも飲んでるんだもーん。
今日だけ低いわけがない!

たぶんアレだよ、あの最新機器が
測定間違ったんだと思うよ。うん。
(↑ 違います)

2010年3月10日水曜日

ピーコさん、ファッションチェックお願いしま~す。

休みの日だったので、
家で夕方に風呂掃除したり、廊下を拭いたり
なんか他にも色々こなした後、

「風呂が沸くまでかなり時間があるから、
本屋とスーパーに行こう」

と、ボサボサな髪を無造作に束ね、
すっぴんはもとより、
最近、肌がボロボロなために、
乾燥肌用のクリームを塗って
テカテカな顔で、

「これから、家で風呂」

な感じの、ズルズルな(?)服装で、
近くのスーパーに夜になってから出向いた。

パンコーナーを何気に眺めていると、
横を通り過ぎる一人の男性と目が合い、
その人は、
「あ、なんかこの人見たことあるな・・・」
という顔をして、すれ違っていった。
通り過ぎてから思い出した。

医大のS先生じゃん!!

そう、S先生といえば、
私が人生において初めて見た、


茶髪でロン毛の、若手医師(当時)。


いやね、今時そんな若いお医者さんは
普通にいますけどね。
15、16年前は珍しかったの!
しかも、岩手医大の循環器科って、
体育会系男子揃いな感じだから
珍しかったんですよ。

あのー、なんですか。
現代のような「医療崩壊の現場」
なイメージが微塵もない時代に、
一般人が思い描く、

「外車に乗ってブイブイ言わしてる(←死語)、
大学病院のイケメン・エリート青年医師」

みたいな見た目の。
(↑ あくまで勝手なイメージです。
事実とは違います。おそらく)

でも、そんな激務の体育会系な現場で、
第一線でやってきてるので、
(若いお医者さんは異動が多いのに、
私が入院する時には、
必ず医大にいる先生だった。
接点が殆どないので、
会話したことは数えるほどしかないけど)
意外とタフな先生だと思われる。

推定40歳過ぎと思われるS先生は、
細身の身体にピッタリ添う、
ジャケットとパンツの上下。
お洒落な都会の育ちのいい大学生
みたいなファッションである。

若い。
そして、普通に似合っているところが
何気に凄い。


なんでよりによって私、こんな姿のときに会うか!


いや、姿もなんだけど、
この時私の買い物カゴの中には、


やっすいフルボトルの赤ワインが一本。


あーーーーー!!

明日、A孫子先生に
「A孫子クン、そういや君が担当してる患者、
昨日スーパーでワイン買ってたよ。
ちょっと、注意しといたほうがいいんじゃない?」
って、バラされるかもー!
しかも今週、外来あるしーー!

きゃー、ワーイーンー。
ていうか、テカったすっぴんー。
つーか、ボサボサの髪ー!!!

と、さまざまな思いがモザイクのように駆け巡り、
一瞬、パニック状態に陥る私。
(冷静に考えれば、入院中に
見られている姿は、毎日すっぴんと病衣だ)


話は変わるが、
3、4年前、まだ前の仕事をしていた頃、
夜遅くに仕事が終わって、
職場の建物を出て、中の橋のたもとで、
すっごい疲れた顔でぼうっと突っ立って、
口をあんぐりと開けて、星空を見ていたら、
ものすごくこちらをガン見しながら
通り過ぎていった、
私とそう歳の違わなそうな男性がいた。

そうだよなー、いい歳した女が、
ぽかんと口開けて星眺めていたら、
そりゃー、思わず見ちゃうよなー。
でも、あの人、どっかで見たことあるな。
・・・・・ん?


医大のY先生じゃん!!


と、橋の中ほどで気づいて振り返ったが、
そこにはすでに姿はなく(当たり前だ)。
(入院するとき、外来で対応してくれた先生)

もう、15、16年にもわたり、
何度も入院して手術して生還を繰り返していると、
意外と知らないところでお医者さんに
面が割れていたりするものである。

このブログではおなじみの言葉だが、
しつこく今日もまた、自分への戒め
のために記録しておくことにする。


【37歳、心のテーマ】

気合の入ったお洒落をしろとは言わない。
少なくとも、日常の身なりくらい、
きちんとしような、私。

2010年3月6日土曜日

芸術まみれの一日

19:00から、友人の善子(ピアノ)と、
その父親であり、私の高2の時の
副担任で音楽の先生だった滝沢先生(指揮)が、
一緒にリサイタルを行うということで、
岩手県民会館中ホール
「滝沢善子ピアノコンチェルトリサイタル」

・・・・・の前に、

少し早めに家を出て、今日は、
ギャラリーLa vieへ行かなければならない。

ギャラリーLa vieは、
菜園のカワトクの斜め向かいの
フロムハートビルにある、
岩手の若い現代美術作家の、
発表の場の一つで、
オーナーの川口さん自身も
現代美術作家である。

そのLa vieが、今日で閉廊という
衝撃のニュースが駆け巡った。

ギャラリーの方でも急な話だったということで、
特に、クローズのメモリアルイベントもなく、
最後の日も、個人の写真展。

しかし、(作家さんのトークショーが
あったということもあるが)大混雑の会場。
一方的にしか知らないような
地元の有名美術家さんたちもちらほら。
オーナーの川口さんと、
スタッフの鎌田さんに短い挨拶をして、
会場を後にする。

大通のクリスタル画廊が無くなっちゃったのは
いつでしたっけね?
同じく大通のさわや向かい、
第一書店の二階の第一画廊の記憶ももう、
曖昧になってきてます。

盛岡が、芸術文化に理解の深い土地柄
などと、堂々と自慢していた時代は、
遠くなりにけり。

とは、なりませんように。

と、いうことで、未来を担う
アーティストの作品をゼヒ見て元気を出さねば。

【岩手大学教育学研究科
教科教育専攻美術専修 終了制作展2010】
会場:岩手県公会堂
(※会期は11日で終了)

【岩手大学教育学部芸術文化課程
造形コース美術専修 卒業制作展2010】
会場:岩手県民会館展示室
(※会期は11日で終了)

なんかもう、芸術づいた一日でした。

灯を消さないためには、まず、
「現場」に足を運ぶところから。

次は、舞台スタッフとしてお世話になった
高橋直也くん、はまちひろさん、
田中健太朗くんをはじめ、
総勢42人が参加する、
岩手大学教育学部美術科の
在校生・卒業生有志で構成される
「つくる展」
が開催されます。

皆さまも、ぜひ。

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「第7回 つくる展」

会期:2010年3月13日(土)~18日(木)
    10:00~19:00(最終日15:00まで)
    ※15日(月)休館

会場:岩手県民会館 展示室

入場:無料

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