2011年5月31日火曜日

井上ひさしトリビュート

てくりさんプレゼンツ「モリブロ」イベントは、
参加企画も含めると今日が最終日です。

私がお手伝いしたのは、メインイベントである、
公会堂と桜山界隈が会場の14日と15日だけでしたが、
皆さま、楽しんでいただけましたでしょうか?

(画面に向かって耳をすます)

そうですか、楽しんでいただけましたか。
それは何よりです。ありがとうございます。

さて、次は私は八時の芝居小屋企画が控えております。
と、いっても来年の一月末ですが。

でも、ちょうど一年前に
八時の芝居小屋公演「都市生活カタログ」を
やってた頃は、来年度は私は芝居の企画は
当分お預けかなと思ってました。
芝居にかかわっていられるような生活でもないなと。

そういうわけで、八芝の会議でも、
来年度の担当プロデュースをふられるのを
ずっと逃げてきていたのですが、
(年7~8本程度の企画が、会議で決定されるのです)
あの震災後の、3月末。
なんかねー、うっかり引き受けちゃいました。

八芝の年間企画自体は
もうほぼ確定していたのですが、
この、3月末の八芝の制作委員会会議の時に、
市の文化振興事業団さんが
前々から文化庁に補助金申請をしていた事業で、
昨年ご逝去された劇作家・井上ひさしさんを
テーマにしたいくつかのイベントを考えている、
ついてはそのうちの1本を八芝枠で
誰か企画してやらないか、
という話がありました。

ということで、こまつ座公演「キネマの天地」、
遅筆堂文庫からお借りする
井上作品資料・書籍展示、
もりげき演劇アカデミー
(盛岡劇場が行っている
一般対象の演劇ワークショップ)
による、井上作品または関連作品の上演取り組み、
というのが、八時の芝居小屋の他に
今年度、盛岡劇場で行われます。

事業申請自体は、事業団さんがずっと前から
時間をかけて準備をしてきたものでしたが、
私が話を聞いたのは、その、震災後初めての会議、
まだまだ大きな余震が会議中にも何度かあり、
揺れながらの会議(←ほんとに!)の時でした。

そして、震災の影響による、
公演中止や延期が相次いでたころでした。
(高校・大学生による卒業公演や
演劇部の年度末の公演予定が多かった)

でもなんかみんな、やけに元気で、
かといって「演劇で岩手を元気に!」とか
やたら気負うこともなく、
大上段に構えることもなく、
当たり前のように、
年間企画会議が粛々と進められていて、
当日の会議出席メンバーの殆どが、
23年度の企画担当とか演出とか請け負ってて、
ああ、なんか盛岡の演劇人ってすごいじゃん、
というような感想を持ってたところの、

「井上さんで、何かやんない?」

いやー、なんか外堀埋められた感じだよねー(遠い目)。

とはいえ、そういう状況の中での年度末。
個人的には、新年度になって
補助金申請が土壇場で却下され、
そのお金が被災地支援にまわされても、
それはそれで構わないと思っていました。

被災者の衣食住と引き換えに
補助金をもらってまで私が何を果たして・・・、
とも思ってました。

この時期に、補助金申請を受理したというのは、
もしかしたらかなりの文化庁の決断であり、
英断だったのかもしれません。
逆にまだよく把握してなかったから
決断できたのか。
(いやまあ、八芝で20万くらいだけどね!)

これはたぶん、公演終了までずっと、
私は考え続けるテーマだと思います。
今回の八芝プロデュースは、
請け負う重みが気持ちとして今までとちょっと違う。

いや、そんな重い内容の企画にはしないけど。

で、井上作品ってのは、基本的に長い。
そりゃもう、休憩時間含めての上演時間が
3時間20分とか平気でします。

なので、上演が1時間程度という制限のある
八芝での井上戯曲そのものの上演は難しく、
かといって、エッセイのリーディングじゃあ
ちと消化不良だなぁ、と悩んでいるところです。
ほんとにね、井上戯曲、いい台詞が多いんです。

一番最初は、井上ひさしさんが、
「てんぷくトリオ」(伊東四朗がいましたね)に、
コント台本を書き下ろしていたということを知り、
その上演戯曲集も
盛岡劇場のライブラリーにあったので、
八芝で「井上ひさしコント作品上演」
というのも考えたのですが、
いや、考えたのですがっていうか、
最終的に納得がいけば
それに決めるかもしれないのですが、
今のところ、自分の中での落としどころとして、
どストライクに入ってないというか。

悩むわー。

あと、何年かに一回は八芝の会議で、
井上さんでなんかできないかという話になる時、
“「ひょっこりひょうたん島」舞台化”
・・・という話が必ず出るのですが、
あの話、一日一話分の話は短いですが、


続き物


だからね。しかも何年も。
上演3時間が長いとかいうレベルじゃない。
(戯曲がちくま文庫から10数冊発刊されている)
あと、NHKの許可手続きがめんどくさそう
(↑ イメージだけで語ってますが)
ということで終わってます。
興味のある方、果敢にチャレンジしてみませんか?

そんなこんなで、作品どころか
上演そのものの本筋の企画も定まっておらず、
ほんとはそろそろ演出やスタッフやキャストの
お願いも始めなきゃないんですけど、
今のところ、こんな感じです。

もし、私からお声のかかった方が
いらっしゃいましたら、
逃げないで、お話だけでも
どうか聴いてくださいね。
ちなみに、自薦は受け付けておりません。
上から目線でごめんなさい。

それ以外は結構、腰の低いプロデューサーだと
自負しておりますです。

今現在は、戯曲をどういう形かで
どうにかできないかなー(← 超アバウト)、
という方向で試行錯誤しているところです。
でも最終決断は、コントかも。

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東北の劇場連携による「演劇の広場づくり事業」
もりげき八時の芝居小屋特別企画
井上作品上演

日時:2012年1月25日(水)~27日(金)※予定
会場:盛岡劇場タウンホール

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2011年5月30日月曜日

あげぽよ~!

数週間くらい前、発作的にふと、
「・・・最近テレビでよく聞く、あげぽよってどういう意味?」
と思って携帯で検索してみた。

まあ、いわゆる
「テンションアゲアゲ」(←すでに死語)
ってやつですか。
わー、もう去年からすでに流行ってんじゃん。
などと思い読み進めていたら、
最後にこう書いてあった。


「可笑しな日本語と思われる方も
いるかもしれませんが、そこは抑えて
意味を知らないで遅れていると思われないように
しっかり覚えましょう。」


いろんな意味でしみじみと、
自分がもう若くないなと、
遠い目をしてしまった。

2011年5月2日月曜日

モリブロ2011

前回モリブロについてちょっとだけ書き込みしてから
ずいぶん間があいてしまいましたが、
よいこのみんなは、ちゃんと自分で調べたかな?


・・・なに、調べてないだと?


しょうがないな、下に公式サイト載せたから、
ちゃんと見なさいね。

http://moriburo2011.blog79.fc2.com/

ていうかねー、なぜ私がここで
ブログで説明しないかっていうとね、
もうなんか、規模でかすぎ!
イベント多すぎ!
参加者多すぎ!
なにをどうしてどうやって紹介したらいいの、私。
教えてえらいひと。ていうか、木村さん。

まぁまぁまぁ。
まずはサイトで確認して、皆さん。
お願い、それしか方法はない。

とりあえず日にちは、5月14日(土)と15日(日)です。
メイン会場は岩手県公会堂、
15日は桜山界隈でも様々なイベントしてます。

あ、違った。
参加企画はもう、5月1日からスタートしてます。
盛岡市内のあちこちのお店などでイベント目白押しです。
だからさー、もう、公式サイト見てもらうしかないってば。
ここに書ける物量じゃないから。ほんとに。

ちなみに私は、実行委員として
「紙芝居プロデュース」と書かれておりますが、
通常の演劇のプロデュースイメージで言うと、
プロデューサーはてくりの皆さんですね。
てくりさんからお声がかかっての
参加をご快諾された方々です。
なのでほんと、私はお手伝いです。

こないだ、その紙芝居を15日にしていただく、
IBCアナウンサーの大塚さんに、
お読みいただきたい紙芝居候補を
お渡ししてきたのですが、

「俺が出たって人集まんないよー」
「俺に集客力はないよー」

と、拗ねてた(?)ので(←何があったんだ、大塚さん)、
ここはひとつ、IBCのラジオ「トップ40」で育った世代、
停電中に、IBCラジオの大塚さんの声に
支えられた人たち、

いぇーーーーい!!!

盛り上がっていこうぜーーー!!!

・・・あ。日時と場所ね。
ここだけはブログに書いておきますね。
15日(日)の13:30くらいから、
桜山神社のお休み処(神社の隣の、
前は靴屋さんだったところの跡地で
お茶飲ませてくれるところね)

あんぱんまんシリーズとか、
11ぴきのねこシリーズとか、
かこさとしの絵本のやつとかをお渡ししてて、
その中から大塚さんに選んでもらうんですけど、
(もしかしたら大塚さんが
11ぴきのねこ読むかも!と思うと超嬉しい)

もしどなたか、3丁目の夕日な時代の
古い「黄金バット」とか
少年探偵ものの紙芝居とかお持ちで、
貸してもいいよ、みたいな奇特な方、
直前まで探すの粘ってみます。よろしくね。
まだまだいろんな可能性は残しておきたい。

大塚さんの紙芝居、当日一回こっきりしかないんで、
かなり貴重です。

で、他のイベントに関しては、
ほんとしつこくて申し訳ないですけど、
おねがい、一度でいいからサイトにアクセスして。
だからほんと、すごい量だから。
大塚さんの紙芝居のこと書くだけで
これくらい費やして終わって、ひじょうに申し訳ない。

注文の多い料理店・序

【原文(宮沢賢治)】

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、
ひどいぼろぼろのきものが、
いちばんすばらしい
びろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、
かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、
そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、
みんな林や野はらや鉄道線路やらで、
虹や月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、
ひとりで通りかかったり、
十一月の山の風の中に、
ふるえながら立ったりしますと、
もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。
ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようで
しかたないということを、
わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、
あなたのためになるところもあるでしょうし、
ただそれっきりのところもあるでしょうが、
わたくしには、そのみわけがよくつきません。
なんのことだか、
わけのわからないところもあるでしょうが、
そんなところは、わたくしもまた、
わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、
これらのちいさなものがたりのいくきれかが、
おしまい、あなたのすきとおった
ほんとうのたべものになることを、
どんなにねがうかわかりません。

********************

【盛岡弁翻訳】

わだぐしたづは、氷砂糖(こおりざと)っこ
欲(ほ)すくれぇ 持たねぐても、
きれいにすぎとおった 風ば食って、
桃いろした えぇあんべぇの
朝(あさ)まの日のひかりっこば
飲むこた できあんす
また わだぐしたづは、畑や森の中(なが)で、
ひんでぇ やばつねぇ きものば、
一番(いづばん)すばらしい
びろうどだり羅紗だり、
宝石だりの入(へ)った きものさ
かわってるのば たびたび 見あんした。
わだぐしは、そったなきれいな
たべものや きものば 好ぎなのす。
これらの わだぐしの話っこ ハァ
みんな 林だり野っぱらだり 鉄道線路だりで、
虹や月(つぎ)明(あ)がすこがら もらってきたのす。
ほんとうに、かしわばやしの青(あう)ぇ夕方を
ひとりで歩かさってら時(とぎ)や、
十一月の山の風の中(なが)さ、
ふるえながらおっ立ってたりしあんすと、
まんつ なしても こったな気して 仕様(しや)ねのす。
なんもかも、なしても こったな事(こど)があるよんて
仕様(しや)ねづぅ 事(こど)ば、
わだぐし ハァ そのとおり書いだまでであんした
んだがら、これらの中(なが)さば、
おめはんのためさ なるところもあるこったべし、
たんだ それっきりのとごろも ありあんすぇんども、
わだぐしには、そのみわけ ハァ よぐわがながんす。
なったな事(こど)だが、ほんでくてねとごろも
ありあんすぇんども、
そったなとごろは、
わだぐしにもまた、ほんでくてねのす。
だっとも、わだぐしは、
こったな 小っちゃけぇ ものがたりのいくきれかが、
おしまい、おめはんの 透ぎとおった
ほんとうのたべものさ なる事(こた)
どったに ねがうか わがながんすのす。

********************

盛岡弁の敬語表現に挑戦してみました!

2011年5月1日日曜日

文化支援・文化復興

東京の、劇団・青年団主宰の劇作家・演出家で、
現・内閣官房参与の平田オリザさんが
来盛されるのにあたり、オリザさんと、
被災地の文化支援組織として立ち上がった
アートビジョンネットワークのメンバーを招いた
被災地の文化支援・文化復興の懇談会がある
ということで、
どういう話なのか興味があって行ってきた。

「アートによる復興の支援」

と言われたところでどうなのよ、それ。
という、いささか懐疑的な思いもちらっとあり、
「被災して文化も失って可哀想な人たちに、
私たちの素晴らしい芸術をお見せして差し上げましょう」
みたいな、同情上から目線な感じだったり、
自分たちの表現のはけ口の場を、
被災地に求めるんだったらそれはお門違いじゃないの?
とも思っていた。

地元には地元の大切な歴史と文化と芸術があるのに、
それらを無視して、被災地ニーズと関係ない
演劇公演とか、何かのアートイベントを
被災地で行う計画して、
復興支援名目で文化庁から助成金が出て、
被災地じゃないところにお金が落ちるシステム
とかなんじゃないでしょうね???
そこんとこどうなのよ、実際のところ。

ていうかさー、今、芸術鑑賞とか
そういう状況じゃないんじゃないの、現地は。
何をそんなに急いでるのー?
みたいな。

すいません、そんな低レベルな疑惑を持ってて。

実際にそれぞれの場で精力的に動いて、
生の声をたくさん集めている人たちは、
すでにもう、その先が見えているのだなあと思いました。

作品そのものを被災地に持ち込むのではなく、
まずは芸術における手法だとか技術を、
後方支援として活用する方法は何かということなのですね。
もちろんまだ今は、
理想や希望の段階なのかもしれませんが。

取材が入っていたので、
岩手日報や盛岡タイムスで近いうちに、
記事が掲載されるかと思います。

会場には、実際に被災地で文化支援活動している人や、
様々な情報を持っている地元の芸術関係者等、
30人くらいが出席してました。
何もしてない私は、ただただ話を聴いて
「へー」とか「ほー」とか言ってて、
うなずきトリオの二代目を襲名しようかと
思わず思うくらい、ヘタレな参加者でした。

とりあえず、気が弱いので肩書きとして、
「もりげき八時の芝居小屋制作委員」と、
「感劇地図編集委員」を名乗らせていただきました。
(これでも全国演劇関係的には、通りがいいのです)

こういう時、肩書きって有難いものですね。
全くの個人で参加したんですけどね。
団体を背負って参加したわけではないのにね。
しかも、懐疑的な立場で。
気が弱いんすよー。お願い、許して。

ビバ、肩書き。

あとここに参加して思ったのが、
「岩手の文化芸術が、強い絆でひとつになる」
という必要はないのだということ。

さまざまな分野・集まりにおける
それぞれの個人なりグループなりの多種多様性を認め、
お互いの活動に対してのリスペクトを持ち、
情報共有をして、ゆるやかに繋がる。
その上で、協力できることがあれば支えあう、
そういうことなのかなあと、漠然と思いました。

内容も書かずに、なんかわかんない話ですみません。
ここ数日、いろいろ思うことのたくさんあった
今回の文化支援の動きのお話でした。