2008年1月31日木曜日

隠れ偽エコ人間

お久しぶりです。
日記は更新してませんでしたが入院してないさわのです。

バイトで、ほんと久しぶりに一日中(もしくは半日)
パソコンに向かう生活で、
ぶっちゃけ、仕事終わってまでパソコンを見たくない今日この頃でした。
(でも、それが当たり前の生活を送っていたはずなのになぁ・・・)

週2日のはずだったバイトは、人手不足で週5日行ってます。

まさに天罰です(何故に「天罰」なのかは前回の日記を読んでね♪)
基本は土日は終日、平日は午後から半日(時々終日)。
某ア○○ナの環境学習のコーナーにいます。
場所などの詳細はここには書きませんが、
まあ、興味があったら探しあてていらしてください。

たまに来場者の方にエコの説明というか、
一緒にお客さんと話したり、子供とたわむれたりしてます。
(↑私が、ってところがうそくせー)

でも、基本的に「隠れキリシタン」的に、「偽エコ人間」なので、
お客さんと「私はレジ袋もらっちゃいますけどねー」
「レジ袋は重宝しますよねー」などと、共感しあったり、
こないだなどは、昔取った杵柄(?)で、
エコそっちのけで、
観光客に盛岡の観光案内を熱くトークしておりました。

そして、子供と遊びすぎて
(子供の遊ぶおもちゃもいくつかあるので)
「さわのさん、長居する常連の子は途中で切り上げていいから」
と先輩スタッフに注意されてました。

そしてやはり、フリースペースで
受験勉強してる高校生の邪魔ばかりしてました。
このへんも昔取った杵柄(?)です。

今日も、たまたま世間話した2次試験の受験勉強中だという
高校生2人が、大学は県外に出るというので、
「出ちゃうのかー。そーかー、岩手に残らないのかー」
と、恨めしそうにつぶやいて責めてました。

そんな私は果たして岩手のエコに役立ってるのでしょうか。

大いに疑問です。

こんな私が、バイト終了予定の3月半ばまでの間に、
スーパーでレジ袋をもらわなくなったら、
洗脳完了、のような気がします。

でもまあ、日常生活は徒歩と自転車が8割方だし、
冷房は嫌いだし、
ナマ物は基本的に地元産と国産しか買わないし、
風呂水は洗濯と浴槽洗いに使用してるし、
ババシャツ・ハラマキ・ホッカイロは冬の基本アイテムだし、
あんまり電化製品も使ってないし
(なにせ自宅のパソコン壊れてるから使ってないしね)、

毎日車通勤しながら、マイ箸とマイバッグ持ってる人よりは、
よっぽどエネルギー使用量は少ないと思うんですけど、
その辺の一般的な考え方ってのはどうなってるんでしょう。

でも、基本的にはやってることはとてもいいことだと思います。
むしろどんどんやってくれと。

で、そこで私がまだ何をわだかまっているのかというと、
えーとですね、
爆笑問題の太田くんの何かのエッセイに、

「人間はとても愚かな生き物である。
そして、その愚かな人間ですら(だからこそ?)
神は愛してくださる」

というような話があって、
これって純文学とか、演劇とか、お笑いとかの
とても暖かい眼差しだと思うんですよ。
どうしようもない、しょうもない人間を愛おしむ
ものの考え方っていうのは。

いわゆる「美しい思想」というのは、
どんなに素晴らしいものであろうと(いや、素晴らしいからこそ)
突き詰めていけばいくほどファシズムにもなりかねなくて、
「それをできない人」
「がんばってもダメだった人」
「がんばれない人」
に対して排他的であったり、
非寛容になっていく怖さを感じるのですね。

例えば医療とか介護の世界では、
使い捨てや大量のエネルギーによって
成り立っているものがたくさんあると思うし、
病気を持つ人、障害を持つ人、お年寄りにとっては、
どこまで省エネや清貧で生きられるかというのは
千差万別だと思うんです。

それを、
「みんなで同じようにがんばってるのに→あの人はできない」
というところに行き着いてしまうのだとしたら、
ちょっと怖い。

まあ、別にそういう人たちに限らず単に
「しょうもない人」
ってのでもいいんですけど。

そこらへんも包括するような緩く、
もしくは大らかな思想が、
環境問題にも見つけることができるならば、
たぶん私は、もう少し
「いわゆる今のエコ問題の風潮・あり方」
というものから、
一つ光明が見出せるような気がするんです。

これを見つけることができるかが、
私のバイト契約終了時までのひとつの宿題なのかなぁと、
今、考えているところです。

2008年1月18日金曜日

ご報告と思考の現在進行状況

さて、そんなこんなでお話が遅れましたが、
遠藤くんの日記をご覧になった方はご承知のとおり、
「遠藤日記」が昨年末で終了いたしました。
遠藤くん、これまで本当にありがとうございました。
(過去の日記はもう止めております。
最後のご挨拶だけ読めるようにしております)

※旧サイトからデータを移設した日記なので、
 旧サイトの状況の話です。ご了承ください。
 (6月3日 沢野記)

最初に話があったときには、
「どっ、どうしてなのエンドウ君・・・私のことが嫌いになったのっ?」
と、別れを切り出されて動揺する女のような事を
思ったりもしたわけですが、
そういうわけではなくて(←そういうわけかもしれませんが)、
フェードアウトの形ではなく、
きちんとしたかたちのけじめをとのことです。

発展的解消です。これからもいいお友達です。
と、ワイドショー的コメントでしめてみたいと思います。

考えてみれば、この「盛岡絶賛系」というサイト、
世の中に「ブログ」というものが存在しない頃から
やってきているわけで、
もうそろそろ、サイトそのものを考え直さなければなりません。

毎度毎度、リニューアルをしようと思って挫折の繰り返しで、
なあなあでここまでやってきてしまってますが、
ここ最近は、HPとしてよりもプロデュース企画などに動きが移行していて、
やはり、これじゃあいかんよなあと
年末年始にふつふつと煮詰まっておりました。

友人知人からも、ミクシイにしたらとか、
掲示板面白かったのにねとか、
この1年ほどは特に、
いろいろとアドバイスや心配や感想などを頂いていたのですが、

ここ近年のネットの動き
(ミクシイとか、ユーチューブとか、ブログの更なる進化とか)には、
正直、わたし的には食指が動かなかったというか、
「うーん、そこまで便利じゃなくてもいいんだよなぁ」
という思いが強かったりもしてました。

あと、ここ最近よく思い出すのが、
倉本聡の「ニングル」という小説です。

中学か高校の頃に一度読んだきりで、
記憶に若干の間違いがあるかもしれないのですが、
(↑確認しろっちゅう話ですが。もう20年くらい前かあ・・・)

北海道の伝説の妖精ニングル(コロボックルみたいなやつ)
と出会った主人公が、よかれとおもって、
若いニングルに文明の利器を与えたり、
世の中の情報を与えたり
(最初は、マッチか何かをあげたような記憶がある)するんだけど、
若いニングルが、どんどん人間の文明の知識を得るにつけ、
ニングルの生活を軽蔑して、人間の情報に染まり、
どんどん知識や情報をむさぼるようにしていたのだけれども、
とうとう、精神を病むだか体を壊すだかしてしまって、
その時に、ニングルの長老が、

「私たちは、知らない権利を持っている」

というような事を主人公に語るんですね。
もう、どういうラストだったのか、
話の細部とかは覚えてないのですが、
でもこの「知らない権利」という言葉は、
20年経った今でも鮮烈に覚えていて、
特に近年、よく思い出されます。

その割に読み返したりしてませんが。

最近、手持ち無沙汰になると
携帯でサイトをだらだらと見ている自分に、
とてつもない不安を感じたりします。
あと、携帯でメール打つときに、
寝転がって「あ」って打っただけで、
「ありがとう」が出てきて、
それを選択するとすぐに「ございます」「ございました」
とかって出てくるの、なんかものすごい気持ちが悪い。
個人的に。

それから、交通網が発達し、
テレビはほぼ東京と同じような番組を見ることができ、
ネット社会になることによって、
もっと地方は情報環境が豊かになったかと思いきや、
裏返せばそれは、

「都会に住む人が楽に、地方の情報や産物を得られる」

ということでもあったんだなあという事をここ最近感じています。
都市の便利さを享受しながら、
地方の情報のおいしいとこ取りをするというか。

逆に地方の人は、知らなくていいことまで知ってしまって、
不満だけが増長されていくというか。
で、どうしようか、ということを考えているわけです。

今のところは、サイトをもっとシンプルで何もない、
沢野日記のブログのみに収束させようかというのが第一案です。

テーマは「ちょい不便」と「対話」「シンプル」。

まるで、ロハスとかスローライフ雑誌みたいですが。
パソコンと携帯で完結する社会ではなく、
歩いて、見て、人と直接会って、対話して、手紙を書いて、
ゆっくりと深く思索をして、
その補助的役割として、ネットがあるというか。

そういう皮膚感覚、身体感覚に意識的になりたいなぁと思うわけです。
思考進行形として、今、こんなことを考えています。

うーん、こんだけ長いのに
言いたいことの10分の1くらいしか言えてない。

とかいって、数ヵ月後にはパソコン買って、
ネット万歳とかって言ってるかもしれませんけどね(笑)。

2008年1月17日木曜日

あけすぎちゃいました。

今さらですが、あけすぎましておめでとうございました。

あまり更新してないので、
また入院してるんじゃないかと思われたかもしれませんが、
まだ大丈夫そうな毎日です。
といっても、冬本番はこれからっぽい気温の今日この頃ですが。

まったくの個人的な統計ですが、
これまでの人生6回の入院中(検査入院除く)、
3回が1月入院です。
でもって、去年の入院も1月です。
も一つでもって、1月の入院は長引くという勝手なジンクスも。
(手術が急きょ決まったりで、手術まで入院が延びたりとか、
去年みたいに、薬が効かなくて入院が延びたりとか)

さすが、あなどれない盛岡の冬と心筋梗塞。

今年の1月に、外来でA孫子先生に会えたら、
とりあえずは、無事に昨年の入院から一年が過ぎたということで、
そのジンクスに打ち勝ったということにしようと大人しくじっとしていたら、
(つってもまあ、友人たちと初詣行ったり、
新年会したりその辺うろうろしてましたが)

先週A孫子先生、不意打ちで出張のため新年の外来で会えず仕舞い。

まだまだ、ジンクス延長中です!
そして、急激に寒くなってきた今日この頃の盛岡の冬でございます!

小人閑居して不善をなす。
さわの閑居して日記を更新せず。

なものですから、1・2月はちょっと
仕事探しはしないでおこうと思ってたのですが、
こういうときに限って、何故か叔父から
「代わりに行ってもらえると嬉しいんだけど」と、
単発の2ヶ月のみ(週2、3回)のバイトの話が舞い込んだり。

何も、年間で一番仕事を自重したいと思っていた時期
ピンポイントじゃなくても!

しかもこの日記で「エコ活動はうさんくさい」と公言してたら、
環境NPO施設だしね。
もう、天罰としか思えません。

反省して、2ヶ月ばかり地球に優しい人間になる努力をします。