2007年1月31日水曜日

新さわのの入院日記 第25夜

そんなわけで、リハビリを開始する
(昨日の日記の続きね)。

朝にA孫子先生に
「今日の午後に予約入れたから」
と言われたが、
その「午後」が、どのへんの「午後」なのか全く分からない。

まさか、忘れられてないよな・・・。

不安なまま病室で何をするでもなく待っていると、
看護師さんから声がかかる。
どうも、時間予約制ではなく、
時間が空くとリハビリ室から「今来てください」と連絡が入るらしい。

一日の予定が立たないじゃないか
(いや、予定なんかないんだけどさ)。

リハビリ室に行くと、まず心電図と血圧計を装着し、
ルームランナーの上を、時速3キロで30分歩かされる。
血圧計は、5分おきに自動的に血圧を測るしくみ。
目の前で理学療法士?さんたちが、
モニターを見ながらチェックする。

ふだん私は、すごく早歩きなので、
「こんなトロトロ歩くのなんて、全然リハビリにならないぜ。へっ」
と、思いながら、

3分で、ちょっとへばる。

が、涼しい顔で相変わらず
「遅いぜ」てな風情で歩き続けるが、

心拍数は100を超える。

ウソ発見器にかけられるのは、
こんな感じに違いない。
きっと私は完全犯罪を遂行することはできないであろう。
しかも、終わったときにはすごい汗だく。
なにより途方に暮れたのが、30分歩くリハビリを終えた後、
病室に戻って1時間以上横になる。

社会復帰できねぇ!(涙)

おまけに昨日から貼付が始まった、
血管拡張剤のテープ(シール状で、胸の辺りに張ると
心臓の冠動脈の血管が拡張されるスグレモノ)の副作用で、
今日の夕方にきてからものすごく頭が痛くなってきた。
(↑低血圧なので、これ以上血管を拡張されると頭痛が酷くなる)

ナースステーションに行ってA孫子先生に直訴し、
テープをやめることにしてもらって病室で横になっていると、
病室を訪れる人影が。

なんとそこには、きれいなお花を抱えたモカロンの真生ちゃんが!

さわの「なんでここが・・・!」(←逃亡者か、私は)
真生 「妹に聞いたんです」
さわの「ああ、そういえば前に聞いたことが・・・」

実は、真生ちゃんの妹が、この循環器センターで
働いてるらしいのである。
しかし、きわどい。
もし、リハビリをすることを昨日決めてなかったら、
今日の午前中にでも退院して、
仕事復帰まで自宅療養しながら通院
という状況に入っていたはずなのだ。
危なく、真生ちゃんと行き違いになるところだったのである。

運命の神は、粋なことをしてくださる。

真生 「・・・なんか、本でも買ってきましょうか?」
さわの「いやいやいや、退院するから、もう。
     ほんと、退院する気満々だから!」

毎日そんな希望的観測で、すでに3週間半。

2007年1月30日火曜日

新さわのの入院日記 第24夜

早朝、採血検査。

そろそろいくらなんでも薬も効いてくれてるだろう。
看護師さんも、無くなりかけた点滴
(↑ 服用の薬が効くまでの代わり)を、
「もしかしたら、点滴外すかもしれないんで・・・」
と言って、とりあえずそのままにして去る。

A孫子「さわのさん、やっと数値が安定したから、
     じゃ、もう帰っていいから」
さわの「ええっ、今日退院はいくらなんでも急すぎるので、
     明日じゃだめですか?」

という会話を想定して、退院のココロの準備をしていると、
(↑ 前回の入院がそうだったので)
看護師さんが「まだ効いてないそうです」と、
点滴を追加して去っていった。

しばし呆然としたものの、
気を取り直し「もうちょっと入院」モードに気持ちを切り替え、
ナースステーション前で新聞を読んでいたら、
A孫子先生がやって来た。

さわの「まだ効かないそうですね(笑)」
A孫子「それなんだけど、僕の外来で様子みる事で、
     とりあえず退院にしない?
     もう(入院も)長くなっちゃったしね」

この私のめまぐるしい切り替えモードは、どうすりゃいいんだ!!

ちょっと考えといて。
と、そんな私を置いてきぼりにA孫子先生去る。
考えといて、ったって、退院モードに気持ちを戻さなきゃ。

もしかして昨日、CCU(集中治療室)のF崎先生に
売店でバッタリ会ったとき、
「すいません、まだいましたー」
「A孫子先生がおうちに帰してくれないんです(笑)」
と告げ口(?)したのがバレたのだろうか。

でも、3週間半身体を動かしていないので、
いきなり仕事に復帰といっても、
どれくらいできるのかとてもじゃないが判断が付かない。

だいたいにして、500メートル歩行後の心電図測定に、
ちょっとだけひっかかったけど、
まあ建物内を歩くくらいなら大丈夫的な判断で、
今まできちゃってるのである。

その上、採血結果も不十分なまま退院しない? 
ときたら、何一つ太鼓判を押されてるものはないではないですか。
そんなあやふやな状況で、
退院して仕事に戻って大丈夫なのか、私?!

帰る前に、リハビリ室で30分くらい歩いて、
自分の今の体力を把握してから帰りたい。
そんなわけで、A孫子先生にその旨をお願いすると、

A孫子「予約が必要だから、今日はできないよ。
    混んでるから明日もどうかなぁ・・・」
さわの「え。(今日リハビリ受けて)明日退院しようかと思ってました」
A孫子「ちょっとリハビリの担当の先生と相談させて」

そんな混んでるんだ、リハビリ・・・。
本格的にやると1週間くらい必要らしい。
そして、途中まで入院しながらのリハビリになるのか、
退院してから通院でリハビリになるのか、
入院中にリハビリ済ませて帰るのか、
未だ回答の来ないまま、とりあえず点滴も外れないまま、
今日もお泊まり決定。

今日も20時近くなってもまだナースステーションから聞こえてくる
A孫子先生の声を聞きながら、
忙しいのに、なんか私、面倒な事頼んじゃった?
と、ちょっと心配しつつ、

まあ、薬も完全に効いてないし、
心電図も不安だし。
これまでずいぶん模範的で面倒かけない患者だったんで、
これくらいはちょっと無理をきいて欲しいのね。

2007年1月29日月曜日

新さわのの入院日記 第24夜

昼に、師長さんが直々にやって来て、
病室を代わって欲しいと言った。

なんだろう? 
症状の軽い人と重い人とで部屋を分けるのかな?
と思い、いいですよ、と軽く答えると
「個室に」
とのお言葉。

そんな金はなぁぁぁぁぁい!!

という、表情があまりにわかりやすく顔に出たのか、
何も言わないうちから即
「料金はかかりませんから」
と言われる。

急患がたて込んでいて、ベッドが足りないのだそうな。
とはいえ、今日だけで4人部屋のうち
私の隣とお向かいさんが退院である。
(↑あとから入った人に退院を先に越される不憫な私)
2つもベッドが空いたうえに、
私が部屋を移動してもギチギチだとは。

こないだまで結構いくつかベッド空いていたりもしたのになぁ。
こんな私ごときがまだいていいんでしょうか。
しかも個室とな。

さわの「あの、こんな元気なのにいいんですか?」
師長 「いえ、だからお願いしたいんです」

そう、実は4人部屋の方が看護師さんの目は行き届きやすい。
向かいの患者さんに看護師さんが用があって来たときに、
ついでに用事(点滴がそろそろ無くなるとか)を頼めたりもできる。

それに、何かあったときに同室の患者さんが
代わりにナースコールをすることもできる。
個室はプライバシーが保たれる代わりに、
けっこう密室状態で怖いところもあるのである。

私の場合、そろそろ退院ぽい患者なんで、
病室からはじかれたともいえる。

とはいえ、ちょっと興味深い個室。
そうそう滅多に入れるところでもないしね
(↑ ごめんね、貧乏で)。

不安半分、興味半分で点滴をぶら下げた棒を
カラカラ押しながら看護師さんについて行くと、
ナースステーション脇を看護師さんは、
左ではなく右に曲がった。

さわの「えっ、そっちの個室なんですかっ!?」

なんとそこは、病棟一のゴージャス個室!

絨毯敷きだよ!

ベッドが木枠だよ!

テレビがちょっと大きいよ!

机とクローゼットとちょっとしたタンスとインテリアライトがあるよ!

応接セットが置いてあるよ!

炊事用の水回りと電磁調理器があるよ!

トイレと洗面所とシャワー完備だよ!

窓からの眺めが壮観だよ!(岩手山が見えるよ!)

ていうか、ここだけでその気になれば3つくらいベッドが置けるよ!

すっげー、すっげー、すっげー!

でも、落ち着かねー!!(←超貧乏性)

人恋しい!!!(←ある意味ワガママ)

差額ベッド代一日につき3万1500円だそうです。
もちろん、3割負担にはなりません。全額負担です。
自腹だったら絶対泊まることはないであろう。
っていうか、ふだんはどんな人が泊まるの、ここ?!

でも、点滴付きの身体なので、
こんな広い病室を自由に歩き回れません。

2007年1月28日日曜日

新さわのの入院日記 第22夜

予想外に入院が延びてしまった。

最初は、症状も軽いし
前回の入院より早い2週間足らずで帰れるかな
と思っていたのだが、
どうも季節柄(?)病院が混んでたらしく、
いつもなら入院して数日で行われるカテーテル検査が
2週間以上後の予約となり、
(↑緊急性の高い患者が優先されるので)
おまけに、飲んでる薬の血液中の効きが悪く、
数日おきに採血しながら薬の量を増やしたり、
別の薬に変えたりと調整中で、
身体は元気なのにいまだに点滴も外れない状況である。

そんな大して長く入院するわけでもないし、
と思い職場など迷惑のかかる必要最小限に
あくまで短期の入院の連絡しかせず、
その後も何度も「そろそろ退院かな」という状況が
ずるずる来てたので
友人に「なんか本持ってきて(涙)」
と連絡するきっかけを失ってしまった。

たぶん、先生や看護師さんたちには、
見舞客の来ない、友達のいない
サミシイ人だと思われているに違いない。

でもまあ、特にふさぎ込んだ姿をみせているわけでもなく、
周囲に怒りやイライラをぶつけているわけでもなく、
そこそこ模範的で淡々と
迷惑もかけずに過ごしてきていたつもりなのだが、
ここ数日、点滴の追加や血圧測定などでやって来る
看護師さんが「この点滴さえ外れればすぐ退院なのにねぇ」と、
やたらと同情的である。

私は何か、とても可哀想な素振りを見せていたのだろうか?
それとも、こんな死にそうもないのに
なんでこの人は3週間経っても帰る気配がないんだろうか
と思われているんだろうか?
と、疑問に思っていたのだが、
一つ、思い当たることが。

私は、あまり体力や筋力をおとしては、
職場復帰がキツイと思い、
なるべくベッドに横にならないように気を付けて
(↑ これがなかなか難しい)、
時間があれば極力、ナースステーション前のテーブルで
新聞などを読むようにしている。

が。

点滴についてる機械のバッテリーが、
15分くらいしか保たない。
(私の点滴は、1時間に5ミリ流れるよう設定された機械がついている)
そのバッテリーの充電には最低でも1時間はかかる。

つまり私は、滑車の油が切れてギシギシいって煩い
移動用の点滴の棒(?)を1時間おきに持って移動して
ナースステーション前まで行き、
テーブルで15分ほど新聞を読んで、
その度に機械がバッテリー切れで
ピーピー音を鳴らして慌てて病室に戻る事の繰り返しを、
この3週間毎日、朝から晩まで繰り返していたのである。

そりゃ、同情もされるだろうよ。

2007年1月26日金曜日

新さわのの入院日記 第20夜

週に一度の教授回診で、珍しく顔を見せたK林先生がいたので、
(うちの病室に受け持ちの患者がいなくなったので、
あまり普段は見掛けない)
隣の患者さんの教授回診が行われている間、
K林先生と雑談していた。
(↑緊張感がない教授回診)

さわの「T代先生が最初に私の主治医だった時って、
     今の私くらいの歳ですかね?」
K林 「何歳になった?」
さわの「34歳です」
K林 「いい歳になったな~。最初に入院したのってどれくらい前だっけ?」
さわの「22、3歳だから12年くらい前ですね」
K林 「俺はもう(医大の第二内科に)入って
     すぐではなかったんじゃなかったかな」
さわの「F崎先生が新人でしたね」
K林 「あー、それくらいか」

K林 「・・・・・もう充分長生きしたじゃん」

さわの「えぇぇぇぇぇ・・・・・!!」
K林 「じゅうぶん、じゅうぶん。それくらい生きりゃ。なぁ?」

お願いです。後生なのでもう少しだけ長生きさせてください。

さわの「T代先生は、今日(教授回診に)いないんですか?」
K林 「あ、今日は午後から出かけてるよ」
さわの「なんだー、週に一回ここでしか見ないのに」
K林 「ちゃんと毎日来て仕事してるよ!(苦笑)」
さわの「T代先生も、すっかり偉くなっちゃって見かけないし」
K林 「まあ、今はうちらヒラの中でのトップだからね」
さわの「・・・・・それはビミョーな偉さですね・・・・・」

天下の岩手医大第二内科講師も、
私たちにはこんな会話の扱いである。

2007年1月25日木曜日

新さわのの入院日記 第19夜

目下の悩みは、呼び方である。

お医者さんの事はたいてい
「A孫子先生」とか「N沼先生」というように、
名前で呼んでいるのだが、
(ナースステーションに行って、ただ「先生!」と呼びかけても、
みんな「先生」なので、
呼んだ先生に気付いてもらえない)

看護師さんは毎日担当が変わるので、
いちいち名前を憶えにくい。
しかも普段は「あのー・・・」とか
「すいません」と声をかけている。

でも、かれこれもう3週間弱。

いい加減顔と名前を一致させようと、
密かに名札をチェックしていて、
何人か、よく担当となる看護師さんの名前は憶えたのだが、
今度は使うときがない。

今さら3週間近くも経って看護師さんも
名前で呼ばれたら驚くであろう。
でも、今一つ看護師さんと
ハラを割ってぶっちゃけた話ができないのは、
この「看護師さんを名前で呼ばない」せい
ではないだろうかと密かに考えているところである。

このフロアに不足しているのは、「笑い」だ!
(ま、病院だし・・・)

あと、この「看護師さん」という名称。どうにもまだ慣れない。
ついつい「かんごふさん」と呼んでしまう。
今日も廊下で看護師さんが「市長!」と呼ぶ声がしたので、
谷藤市長が来てるのか?! 
と、一瞬考えたが、
どう考えてもそれは「(看護)師長!」であった。

もう病院に「婦長さん」は存在しない。
男性の師長さんというのも、もう誕生しているそうですね。

2007年1月24日水曜日

新さわのの入院日記 第18夜

点滴の針を刺しているところから、
血が少し吹き出てかたまっているようになった。

看護師さんによると、長いことつけっぱなしにしているので、
刺しているところの皮膚がだんだん広がってきて、
中の血が外に出てしまったためらしい。

「別なところに刺しなおしますか? もう、2週間以上経ちますもんね」
と看護師さんに聞かれ、恐る恐る聞く。

さわの「・・・A孫子先生は点滴の針刺すの、上手いですか?」

どう答えていいものか唸る看護師さんに
なおもしつこく聞く。

さわの「じゃあ、じゃあ、A孫子先生とN沼先生どっちが上手いですか?」
看護師「・・・まあ、先生を信じて」

そう、採血の注射などは看護師さんの仕事だが、
点滴はお医者さんの仕事である。
今まで、即入院の朦朧とする意識の中で、
何度恐ろしい目に遭ってきたことか。
しかも、一般病棟の先生なんて、
CCU(集中治療室)の先生に比べて、
日常で患者に点滴の針を刺す回数なんて、
比較にならないくらい少なそうじゃないですか。

そんな恐ろしい目に遭うくらいなら、
少しくらい血が漏れようともこのまま退院まで頑張るほうが・・・。

点滴の針の刺さってるところを見つめながら
なおも悩み続ける私を尻目に、
看護師さんは、さっさとナースステーションに戻り、
「A孫子先生がいたのでお願いしてきました。
今いらっしゃるそうです」と、
さっさと新しい点滴の針の準備を始めた。

仕事が速い。

ココロの準備もままならないうちに登場したA孫子先生に、
やはり、しつこく聞いてみた。

さわの「・・・先生、点滴上手いですか?」

やな患者である。

A孫子「良いときと悪いときが」
さわの「こーわーいーよぉぉぉぉぉーーー!!!」
A孫子「いや、ちゃんとやりますよ!」

そんな医者をすこぶる不愉快にさせる会話を浴びながら、
前日、看護師さんが採血を失敗して
内出血をおこしている場所を横目に、
A孫子先生は、さっさと一発で決め、
さっさと仕事に戻っていった。
(しかも刺す位置の希望-手首のそばは手を洗うとき不便とか、
利き腕じゃない方がいい?とかーまできいてくれた)


カッコいい。


思いっきり信用してなくてスイマセンでしたっ。
もしかして「健康運・腕のいいドクターとの出会いが」という占いは、
A孫子先生の方だったのか!
そういや、あの占いは今日までの日付だった。

ああ、青い鳥はいつも身近なところに。

意外と、一般認識とは違い、
お医者さんより注射が下手な看護師さんも
多かったりするのも現実である。
(ほんっとに上手い看護師さんは、
刺してるのがわかんないくらい上手いが)

でもって、ベテラン看護師だから上手いとも限らず、
意外と若い人の方がすごく上手かったりすることもある。

先入観はイケナイ。

今までの入院中の採血失敗最高例は、
早朝に起こされての採血で、
血管に上手く刺さらず、
腕の中を血管さがして針でまさぐられること
3回(ギャー!!!)、
出直しでもう一回来て、
やっと成功という記録が。

患者も、鍛えられてます。

2007年1月23日火曜日

新さわのの入院日記 第17夜

カテーテル検査である。
昨年4月の入院日記にも書いたが、大きな検査である。

右脚の付け根のところを通る太い動脈から
カテーテルという管を刺し、
そこから動脈の中を通って心臓まで通すんである。

そこから、X線を通さない液(ヨード造影剤)を
血管内に流して、何度もX線写真(及び映像)を撮るのである。
(いわば、血管のバリウム検査?)

大変な検査なのである。
しかも、足の付け根だけの部分麻酔だから、
その全貌が、横になった状態で全てわかっちゃうんである。

こわいよー。

でも大丈夫。私にはマシ○リの占い
「健康運・腕のいいドクターとの出会いが」
とのお言葉が。

と、思いきや、午後に検査待ち
(前の人が終わったら連絡が来る)をしていると、
緊急の患者が運ばれてきたので、
今日最後の検査になるとの突然の連絡が。

出鼻をくじかれる。

だっ、大丈夫さ。ははははは。
と、やっと呼ばれていったら
カテーテル室の治療台に寝かされたまま30分待ち。
だんだん足が冷えてきて、
看護師さんに足にタオルをかけてもらう。

いつになく、まったりした空気が流れる。

まー、治療のカテーテルじゃなく
検査だけのカテーテルだからねぇ。

そして、先生がとても若い。
いや、若いのは別にいいとして、
2人ともなんとなくまだ不慣れっぽい雰囲気が。

緊急治療の緊迫感とスピードが、ない。
(↑ いや、まあ検査だけなんだけどね)
隣室で私のカテーテル映像や資料を見ている(らしい)
昔の主治医のF崎先生の指示を仰ぎながら進めているようである。

これは、カテーテルの研修か?

いやね、どんなベテラン先生だって最初は新人ですよ。
毎日毎日、患者はひっきりなしに担ぎ込まれてきますよ。
健康な人間を被験者にして実習のできない分野の、
実地でしか経験できない作業ですよ。
急を要する患者や、難しい症例はそりゃベテランが手掛けるでしょう。
ただの検査カテーテル患者なら、
失敗の確率は極端に低いでしょう。
とくに私の血管は、お年寄りと違って
まだまだ弾力があって瑞々しくて、
そうそう管で傷が付いたりもしないでしょう。
そして患者自体が検査に慣れてるし。
こういう事例からこつこつと。

わかりますよ、わかりますよ。
理性としてはとっても分かりますよ。
でもね、


すっごく怖かったのよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!


なにせ、全部見えて聞こえてますからね。
奥からのF崎指令を受けて、作業中の先生たちが、
「はい!」
「すみません!」
と目の前で言ってる声が。

いったい、何をしたことに対して今
「すみません!」
だったのぉ!?
「すみません!」って・・・「すみません!」って、
今言ったよねぇ?

今、私の身体にどんな
「すみません!」
な事が行われたのぉ!?
しかもそれ、一回じゃなかったよねぇ!?

医師A「○○○(←点滴する薬の名?)を」
(たぶん)放射線技師「はい」
医師A「・・・あ、いや、やっぱり△△△で」
技師 「△△△ですね?」
医師A「(しばし悩む)・・・・・うん、△△△」
技師 「△△△なんですね?」
医師A「△△△で」

ほんとーに、△△△なんですかっ!!!
いいんですね、私の処置には○○○じゃなく、
△△△でいいんですねっ!!!!!

まったりとした時間が流れる割には、
私のココロの中ではスリルとサスペンスに満ちた1時間半。

カテーテルを受けてかれこれ25年。
その間10回程度。
カテーテル技術の進歩を身体でじかに感じながら生きてきた。
そんな中、これまでで一番、手に汗を握るカテーテル検査だった。
(逆に言えば、それだけ周りを見回す余裕があったって事だが)

でも、終わってから特に問題もなく、痛みもなく、
ヨード造影剤の副作用もなく。
なんだかんだ言って、
若くして「腕のいいドクター」ではあったのは
確かだったのかもしれない。
(今までだって、一度として失敗されたことはないが)

次の日、主治医のN沼先生にそんな恐怖を語っていたら、
「いや、年齢と腕は別ですからねぇ」と言われる。
(↑それは暗に、自分も若いけど腕を信じてくださいよ!という自負ですか?)

そうかもしれませんが、施術中の
「すみません!」
はビビるんですってば。

2007年1月22日月曜日

新さわのの入院日記 第16夜

患者の受け持ちを持つ病棟の先生たちは、
だいたい20代後半から40代前半くらいである(たぶん)。
多くの患者さんは、主治医より歳上である。

でも、先生によっては
おばあちゃんとかにタメ口(というのか?)だったり、
偉そうな口振りだったりするのが、
以前はどうも見ていて違和感を感じることが多かった。

でも、色々な先生をよくよく観察していると、
敬語で丁寧な口調の先生だと、
どことなくよそよそしく聞こえてしまう感じがあったり、
ぶっきらぼうででかい声で威圧的な口調のようにみえて、
会話を注意して聞いていると意外とそんなに感じが悪くなかったり、
敬語だし、一生懸命説明もしてくれてるんだけど、
なんかしゃべり方がかんに障る先生がいたりと、
一概に敬語の有無ではくくれないなあと思うようになった。

まあ、あとは主治医との相性やキャラクターだよなぁ、
と最近は思う。

「あの先生は、口が悪いからねぇ」と、
患者同士で笑って話題に上るのか、
「医療現場でこんな傷つく言葉を言われた」と
投書されちゃうのかは、
その人の受け止め方であったり、
出会った状況の運不運が大いに関係する。

それを、数日の入院で見極めるのは、
実はとっても危険かもしれない。

私なんかは母の入院時に対応した医者の横柄さに、
当時ものすごく憤慨したが、
その医者と同僚であった私の友人の薬剤師は、
私の話を聞いて
「あー、○○ちゃんは誤解を受けやすいタイプだからなぁ~」
という反応だったし、

逆に、私がこれまでに内科で受け持ってもらった主治医の方々は、
私は入院して毎日見ててどういう先生かだいたい把握して、
まあ、これまでハズレの主治医に当たったことはないなあ
と思えるが、
別の患者さんなり家族の人たちが
それらの先生たちをどう思っているかは、
私と同じ感想ではないかもしれない、
と、患者さんと先生の空気をみていて思ったりもする。

先生や看護師さん間では
「あの先生は、患者受けはいいんだけどねー・・・・・」
みたいな評価の先生も、いたりするのかもしれない。
そこまでは観察しきれなかったけど。
でも、いるよなー、きっと。

2007年1月21日日曜日

新さわのの入院日記 第15夜

基本的にお医者さんは、当番でない限り土日休みである。
検査もないし、回診もない。

と、思って油断した格好でくつろいでいたら
主治医のA孫子先生が現れてビビる。

そういえば昨日も来てたし、
先週の土曜は、まだ病室内しか歩行許可が出てなくて、
シャワーも浴びることができなかったので、
病室内の洗面所で洗面器にお湯を張って、
足を洗っていたときに現れて驚かされた。

油断できない、休日の昼下がり。

ナースステーション前で新聞を読んでいると、
今日は何故か、先生がいっぱい出てきている。
病室に回診に来ないだけで、
病院には出てきてるのか。
明日、なんかあるのかな?
と思いつつ夕方になる前にはいなくなっていたので、
そんな事もすっかり忘れ、
日が暮れる頃やはり油断しながら職員用のエレベーター前で
夜景を眺めていたら、この階で降りてくる人影が。

さわの「!! A孫子先生、まだいたんですか?!」(←失礼な言い草)
A孫子「今日は当番(当直)です」
さわの「・・・・・お疲れさまです・・・・・」

てことは、この2週間で1日しか休んでないって事ですか。
しかも、そのうち一日は当直!
お医者さんは、大変だなぁ・・・。

って、帰宅拒否症とか。
(↑ ウソです! 毎日お疲れさまです!)

2007年1月20日土曜日

新さわのの入院日記 第14夜

ここのセンターは、高次機能病院(ていうのかな?)なので、
治療の目途がつくとさっさと退院
もしくは地域の病院に転院させられる。
従って、重症患者さんが多い割に回転率がやたら高い。
(と、いうよりそういう一般的にそういう流れなのだろうか)

今日退院の隣の患者さんがいなくなると、
2週間目にしてすでに私がこの部屋の一番長い入院患者になる。
その割には先輩風が吹かせられないのは何故だろう。

それは、同室患者さんが私以外みな
70・80代のおばあちゃんだからである。

気分は、老人ホーム体験入園記。

しかも、ヘルパーとしてではなく、
当事者としての。
この歳でパラマウ○トベッドに寝てるのは私くらいなものである。

同棟には、「家に帰る!」とゴネて
看護師さんや先生と押し問答しているおじいちゃんがいたり、
同じ病室には、身体がフラフラなのに毎回トイレに行くときに、
(補助をしてくれる)看護師さんを呼ばないで
点滴を付けたまま一人で歩くので
危険でしょうがないので
いつも看護師さんに怒られるおばあちゃんがいたりと、
(とうとう次の日にはナースステーション内にベッドを移された)
まさに病院というよりは老人ホームのようである。

そんなところに、外出もできずに24時間拘束されている。
正直、ストレスもたまる。

志高きワカモノであれば、この体験を元に、
医者や看護師を目指すのかもしれないが、
残念ながら私は初めて入院した小学生の時点で既に、
「私には向かない職業」だと悟っていて、
一度たりとも「将来の夢」に「お医者さん」とか「かんごふさん」
と書いたためしがない。

だが、この状況を見ていて思うのは、
本当に看護師さんは人手不足で
ものすごく忙しそうであるということだ。

看護師さんが何人も全速力で
廊下を走っている姿を見るのは日常茶飯事だ。
先日も6日間髪を洗ってもらえず、かなり難儀した。

別に、不満とか告発とかいう次元の話でなく
(昔はそれで片付けていたが)、
患者に付き添いの家族がつかないシステムをとっているこの状況で、
一人ひとりの患者に目を行き届かせるのは
かなり厳しい状況だろうと正直、見ていて思う。

だいたいにして、患者さんが
「かんごふさん、忙しそうだからこれくらいの用で呼ぶのは・・・」
と、我慢してたり、自分でやろうとして
逆に看護師さんに迷惑をかけたりしている。

それじゃあ、いかんのではないか。

言ってみれば、シーツ交換や食事の配膳なんてのは、
シロウトでもできるんじゃないか。
研修を受ければ、足を洗ったり髪を洗ったりというのも、
一般の人でもできそうだ。

私なんかはベッド上安静や、
病室内のみの歩行しか許されていないときに、
売店で必要なものを買ってきてくれるとか、
車いすで売店や検査室に
連れて行ってくれる人がいると大助かりだ。
(ちょっと売店に行くために看護師さんに
車いすを押してもらうのはどうしたって頼めない雰囲気がある)

有償の「病院ボランティア」を募って、
そういったところの作業を手伝ってもらい、
ヒマな患者さんの話し相手になったりしてもらっていれば、
(カルテのデータには表れてこないような
メンタル面も分かる一助になるし)
看護師さんの本来の医療実務に専念できる環境が整って、
患者への目配りがずいぶん変わってくるように思う。

ヒマなのと、
新聞の地方医療の崩壊みたいな記事を
毎日読んでいて、
ふと、そんなことを考える。

2007年1月19日金曜日

新さわのの入院日記 第13夜

教授回診の金曜日。

カルテやレントゲン写真など
資料をそれぞれの患者のベッドの足下に揃え、
教授に説明する準備を着々と始めるN沼先生。
(見ていると、どこもグループのトップの主治医ではなく、
若い主治医がやっている。
若い主治医のための研修っぽい回診である)。

そんな忙しそうなN沼先生に世間話をしてみたくなる(←いじわる?)。

さわの「N沼先生は、いっつもナースステーション前で
     患者さんに説明してますね」
N沼 「そうなんですよ(笑)」
さわの「新聞読んでると(退院する患者さん連れて)やって来て、
     「あ、また?!」と思って」
N沼 「(笑)」
さわの「あ、でもこないだ退院するときは私、
     A孫子先生に説明してもらった・・・」
N沼 「難しい症例の患者さんは、
    A孫子先生が担当する時もありますね」

患者は退院する直前に、
家族と共に主治医からの説明を受けて帰る。
それは、入院中の検査結果による診断であったり、
今後の生活習慣の気を付けなければならないことの
説明であったり多岐に渡る。

中には、心臓病を疑われて検査入院したものの、
カテーテル検査をするまでもなく、
「心臓病ではない」と判断されて、
数日で帰る人もいたりと、
とにかく入退院の回転率が高いので、
その都度、受け持ち患者のカルテを覚え、
覚えた頃には退院で患者に説明の日々の繰り返しで、
想像するだにめんどくさそうである。

さわの「主治医グループ(3、4人構成)はいくつあるんですか?」
N沼 「4グループ」
さわの「じゃあ、(病棟に)40人患者がいるとして、
    1グループ受け持ち10人ですか!」
N沼 「ああ・・・まあ、だいたい」

しかも、その10人を1カ月とかずっと見てるわけではないですからね。
検査だけだと5日かそこら。
治療の人でも、めどが立てばだいたい2週間程度で退院。
時々、突然発作などで症状が重くなった人が
CCU(集中治療室)に送られたり、
逆に、私みたいに予約無しで緊急入院してきて増えたり。
毎日毎日、受け持ち患者は入退院で構成が変わっていく。

でもって、受け持ち患者以外に外来診療や、
県内の病院に出張診療のある先生もいて、

うわ、めんど!

そう考えるとA孫子先生とか、
突然の私の質問に、私のカルテも見ずに即座に回答するのとか、
今は主治医ではないF崎先生が、
私の病歴をよく把握してるのって、
実はすごいことなのかもしれない。

しかも、大学病院(の附属センター)だから、
先生によっては研究論文とか作成したり。
って、いつそんな事をしてるんだ。

大学病院で赤ひげ先生を目指すのは(求めるのは)
物理的に難しそうですね。

少しくらい、N沼先生が普段あまり回診に来なくても、
時々、A孫子先生が短くぶっきらぼうな口調でやって来ようとも、
まあ、大目にみてあげよう(←みてあげちゃうんだ)。

まあ、生身の身体見てるより、
データ(検査結果)見てる時間の方が長そう
という心配もないではないですが。

でも逆に、こういう受け持ち患者持ってない、
偉い先生たちって、
ふだんは何やってんでしょうね? 
授業?

2007年1月18日木曜日

新さわのの入院日記 第12夜

母が、今週号のマ・シェリを持ってきてくれた。
24日までの占いを見ていたら、
健康運に、


「腕のいいドクターとの出会いが」

とあり、なんてナイスタイミング!と笑う。
来週はカテーテル検査という
ちょっとした手術くらいの負荷のある
大きな検査を控えているので、
是非ともここは期待したい。

しかし相変わらず、これが
「恋愛運」
ではなく、
「健康運」
であるところが、私らしい。

2007年1月17日水曜日

新さわのの入院日記 第11夜

夕飯を終え、主治医の回診などが済み、
だいたい20時くらいになると、
看護師さんの数が減り、
先生たちも帰り(または医局に戻り)、
お見舞い客もいなくなり、
患者もナースステーション前から減り、
病棟内がとても静かになる。

今日も、当直の先生も医局に戻ったのか、
ナースステーションに若い看護師さんが2、3人くらいしかおらず、
めずらしく、フリースペースみたいなところに
誰一人患者さんがいないところで、
(数人はいつもテレビ見ていたり新聞読んでたりするのだが)
ひとりぼんやりと座っていたら、
背後のナースステーションから、
若い看護師さんたちが、
「今までに会ったことのある芸能人は誰か?」
という話題で盛り上がっているのが聞こえてきた。

声だけ聞けば、給湯室のOLだよなぁ・・・
どうみても私よりみんな若いんだもんなぁ・・・

聞こえてくる話し言葉の雰囲気が、
いつもの患者さん相手の時と違うので、
そのワカモノ口調に改めてしみじみする。

そして一人、若い看護師さん(♀)に、
水の愉快犯のよしだ君にソックリの人がいて、
彼女に妙に親しみを持ってしまうと同時に、

「いつか点滴にいたずらをふっかけられるのではないか」

と、毎日ドキドキしている。

2007年1月16日火曜日

新さわのの入院日記 第10夜

主治医のA孫子先生が、
珍しく白衣を着て回診に来た。
(いつもは青い治療着を着ている)

さわの「先生、白衣着てるの珍しいですね!」
A孫子「うん。今日寒いからね」

そんな理由で白衣なんですか。

そういえば最近、白衣を着ている先生が
増えたような気がしていたが、
理由はそれだったのか(←ほんとか?)。

前回入院したとき、向かいのベッドのおばあちゃんは、
やはりいつも青い治療着(←アレの名前は一体なんて言うんだろう?)
を着てやって来る若い主治医の先生が白衣で現れたとき、

「あら先生、今日はカッコいいわね」

と、言ったらしい。
女性はいくつになっても白衣好き。
かどうかは定かではない。

2007年1月15日月曜日

新さわのの入院日記 第9夜

前回の入院時から飲んでる、血液に作用する薬が
全く効いていないので、入院してから飲む数を増やされていた。

主治医・看護師の誰一人追求してこないが、
密かに最近の酒の飲み過ぎのせいだろうかとドキドキしていたが、
どうやら季節などによってやその時々で数値が変わると聞き、

「関係なかったのか。あー、退院したらまた酒が飲める・・・」

と、こっそりと思っていたら、
今日、めずらしく一人で回診に現れた
一番年輩の主治医のM田先生が、
(いつもは後輩主治医と共に現れる)
「肝機能に高い数値が・・・」
と、不吉なことを言って去る。

酒か? 
酒なのか?? 
酒なんですよね??? 
酒でしょう????

一人、ココロの中で密かに動揺して、
退院してからの禁酒をココロに誓っていると
(↑ つか、これまでだって飲むなよ!)、
もう一人の主治医のA孫子先生がやって来た。

さわの「なんか、肝機能に高い数値が出てるって言われたんですけど・・・」
A孫子「そうなんだよねぇ。痛み止めと吐き気止めの
     副作用じゃないかと思うんだけど」

実は、入院して数日、点滴の副作用で酷い頭痛に悩まされ、
1週間近く痛み止めと吐き気止めを飲んでいたのである。
でも先生、もしかしたら薬のせいではないかもしれませんよ。

その理由は・・・・・

言えないっ! 
そんな事私には言えないっ・・・。

必死に動揺を抑えながらなおも聞いてみる。

さわの「それは、今日の採血結果だけですか?」
A孫子「そうそう」
さわの「入院直後にはその数値は出てなかったんですか?」
A孫子「うん、出てないよ」
さわの「良かったー、てっきり(酒を)飲んでたせいかと・・・」
A孫子「(苦笑)」

しまった。
うっかり自分からバラしてしまった。

まー、そんなわけで、これからも適量で飲んでいく所存です。
(肝機能の数値は、痛み止めの服用を止めて数日で元に戻りました)

2007年1月12日金曜日

新さわのの入院日記 第6夜

3人の担当主治医の中で一番若い
(たぶん、私よりずっと若い)N沼先生は
けっこう二枚目である。
記憶する歴代主治医の中で、
たぶん首位を誇るに違いない。

でも実は、そういう先生ほど会話がしづらい。
なんか、あまりバカな話もできなさそうな感じが。
(↑だからといって、他の先生とは
よくしょうもない話をしているからといって
他の先生がそうではないという事では断じてありません。
他の先生もみんなステキですってば。
ええ、カッコいいですとも。そ
りゃもうカッコいいから。
だからカッコいいんだってば(←逆ギレ))

さて、今日もN沼先生は、
ヨン様のような微笑みと(←顔は似てないけど)、
皇室関係の方々のようなおっとりした頷きのテンポで
回診にやってきた。

N沼 「さわのさんは変わりはありませんか?(笑顔)」
さわの「ありません!」
N沼 「そうですか(笑顔)」さ
わの「はい」
N沼 「・・・・・(笑顔)」
さわの「・・・・・」
N沼 「・・・・・・・・・・(笑顔)」
さわの「・・・・・・・・・・」
N沼 「じゃ、お大事に・・・・・(笑顔)」

だってほんとになにもないんだもん。

仮にあったとしたって、他の患者さんのように
「いやー先生、ここんとこ便秘なんすよねー。
下剤出して欲しいんですけど」
なんて、

言えませんっ!! 言えるものですか!

武士は食わねど高楊枝。
さわのは便秘でもニセ元気。
(便秘じゃないですが)

でもやっぱ、カッコいい主治医は、ちょっと嬉しい。
もう少し世間話ができれば、なお嬉しい。

2007年1月10日水曜日

新さわのの入院日記 第4夜

斜め向かいの患者さんの主治医のK林先生
(主治医になってもらったことはないが、昔から知ってる先生)が、
「今日は元気そうだね」
と私に声をかけた。

そう、昨日まで私は、
点滴の副作用で頭痛と吐き気が酷く、
頭を抱えて寝込んでいた。

昨日も声をかけられていたのだが、
それどころではなかったのだ。

昨日は、「どうしたの?(今回は何で入院になったの?)」
と訊かれ、
「薬の副作用で頭が痛いんです・・・・・」
と、答えてダウンしていた。

全然会話がかみ合ってない。

そんなわけで、やっと今日はまともな会話になる。
そして、K林先生はのたまった。

K林 「少し太ったんじゃない?」
さわの「そうなんですよー」
K林 「(入院のきっかけの)理由はそれだな」

そこまで太っちゃいませんよ!・・・・・たぶん(←弱気)

それにしても、またしても男性に太ったと言われた。
何人目だ、もう。
今回の入院目的はダイエットということで。

2007年1月7日日曜日

新さわのの入院日記 第1夜

新年早々、まだ松の内も明けないうちから、
また入院してしまった。
(前回の入院は、昨年4月中旬のさわの日記を読んでね♪)

歩いていて、どうも息切れがするなぁ、
運動不足にもほどがあるなぁと、 思って
道路の途中で休んでいても、胸の苦しさが治まらない。
日曜日なので、そのまま医大の救急センターにタクシーで向かう。

苦節7年。
これまで、症状を訴えても心電図変化も血液結果も表れてこないため、
(血液検査に反応が明確に表れてくるのは、
発作から24時間後くらいから)
「気のせい」扱いをされて帰されたり、
ものすごく持たされたり、
私を受け持ってくれたことのある先生が呼ばれてやって来て
心電図を見て 初めて入院が決まったり
(見方が難しいらしい)という歴史の中で、
今回は比較的症状が軽いにもかかわらず、
循環器内科当直の初対面の先生のみの判断で
初めて入院の指示を受けた。

快挙(?)である。

ありがとう、もうお世話になることはないかもしれない、
初対面だったM先生。
(そしてほんとにその後、病棟で二度と会うことがない
↑循環器センターの患者は持たない、
医大だけの常勤の先生だったんだろうか?)

でも、一番初めに対応した何の専門かわからない
若い女性の先生が、 私の心電図を見ながら
他の当直の若い先生に、

「なんかぁ~、いろいろ病気してきてる患者さんみたいでぇ~
(この心電図結果見ても)よくわかんな~い」

と最初話してるのを聞いたときは、
一時はどうなることかと思った。

で、症状は前の入院の時より軽いので、
今回は CCU(内科集中治療室)ではなく、
循環器センターの内科病棟からの入院。

医大の救急センターから循環器センターまでは、
斜め向かいの距離にもかかわらず、
建物内をベッド搬送ができないので、 救急車で運ばれ、
相変わらず身ぐるみ剥がされ管づくしになる。

厄年はもう、過ぎたと思っていたのだが。