2009年12月25日金曜日

毎年、年賀状の宛名はみんな手書きです

クリスマス当日の、バイトの休みを入れる。
きっとイブにステキな夜が。
とうとう、さわのさんに春がやって来たのね。
と、バイト先で思われてるかどうか定かではないが、


医大の定期外来日である。


そして昨日は、バイト帰りに
駅で久しぶりにバッタリ会った、
高校時代からの友人Mに、
「今から、ヒマ?」と言われ、女二人で飲みに。
(イブの夜に「今から、ヒマ?」と訊く友も友である)
今日の夜は、八時の芝居小屋制作委員会会議。


さわのさん、まだまだ冬将軍到来中です。


まあ、せっかくクリスマス当日に
お呼ばれ(←診療に)されたので、
ちいさなクリスマスのお菓子セットを持参するも、
クリスマスちゅうより、もう気分は年末よね。

さわの 「先生、来年の年賀状はどこに出せばいいんですか?」
A孫子 「え?」
さわの 「“しんけっかん・じん・ないぶんぴつないか”ですか?」
A孫子 「ああ(笑)、それでいいよ」
さわの 「医局名もなんですか?」
A孫子 「医局は“じゅんかんき・じん・ないぶんぴつないか”
     だね」
さわの 「長いんですけど!! 宛名手書きなんですけど!!」


岩手医科大学附属病院 心血管・腎・内分泌内科
もしくは、
岩手医科大学附属病院 循環器・腎・内分泌内科

長い!!! めんどくさい!!!
昔は「第二内科」とか「循環器内科」で良かったのに・・・。


(※ちなみに、“財団法人盛岡市文化振興事業団”
・・・って書くのも長いんですよ、M浦さん!)


さわの 「先生、ふだんは循環器センターにいるんだから
      循環器センターに出しても届きません?
     (斜め向かい)」
A孫子 「今あそこ、センターじゃないんだよ」
さわの 「えっ!」
A孫子 「“岩手医科大学附属循環器医療センター”」


こっちも長い!!! そして画数が異常に多い!!!


さわの 「・・・ていうか、センターじゃないですか」
A孫子 「いや、独立したセンターじゃなく、
      岩手医大の附属施設に変わったの」


シロウトにはさっぱり違いがわかりません。


さわの 「今度入院するような事があったら
      わけわかんなくなりそうですね」
A孫子 「大丈夫(笑)、入院しないから」


何気ない会話だったが、そういえば最近、
お医者さんに「大丈夫」って言われることが
無くなったなぁと新鮮に感じた。
「インフォームドコンセント」の時代だから、
何をするにも想定されるリスクばかり念を押されてから
承諾書にサインさせられるものね。
なんか病院で「大丈夫」って、
久しぶりに聞いた気がする。

「こないだ『大丈夫』って言ったじゃないか!」
なんて訴訟起こしたりしないから、
お医者さんにはしょっちゅう
「大丈夫」って言葉は言って欲しいなぁ。

ま、その前に、入院しないうちに年賀状準備しないと。

2009年12月19日土曜日

来年の運勢は、12点満点中の3点らしい

18:00からは、盛岡のミニコミ誌「てくり」さんの、
忘年会に声を掛けられていて、
大慈寺町の十一代目源三屋へ。

(おなじみ、てくりさんのサイトはこちら。↓)
http://www.tekuri.net/

なんだかんだで実は、
てくりさんの発行記念イベントの時に、
トークセッションにも出演し、
その年の忘年会にも来ている私。

今、ネットで見てみたらそのイベントが2005年6月。
かれこれてくりさんとは
4年半のお付き合いのようである。
すごいなぁ。

その間、てくりさんは全国的にも知名度の高い
人気うなぎのぼりなミニコミ誌に成長し、
いろんな人に、「ナゼ、てくりにさわのさんが・・・」
と言われるワタクシでございますが、
皆さん、創刊号から最新号までじっくりと、
てくりを読み返してみてください。


めちゃめちゃ、マニアックですから!(笑)


そのマニアックさ(?)が、人気のヒミツなんですな。
そして、そのマニアック琴線に触れてしまったんですな。
きっと。

まさかねぇ、私も盛岡ことばで「赤いスイートピー」を
うっかりブログに載せてしまったがために、
ここまで友人知人見知らぬ人にまで、
声を掛けられる2009年というものは
想像してませんでしたよ。

会場では、出席していた占い師さんに
占ってもらったところ、
「来年はもっと人脈が広がります」
と言われてしまった。

正直、もうそんなに知り合い増えなくていいです・・・。
最近、顔と名前が一致しない症候群です。
私のキャパはもう、いっぱいいっぱいです。

今日いきなり、公会堂の沢村さんの
作品展会場でばったり会ったときに、
「今日、てくりさんの忘年会あるんだけど行かない?」
と声を掛けたら、これから仙台の
オープニングパーティーに出席予定
だっていうのを蹴ってまで、
「てくりさんの忘年会!? 行きたい!!!」
といって、ツマのはまさんと一緒に参加した直也くんには、

「さわのさん、マニアックな肩書きの知り合い
かなり網羅してるじゃん。
書家や民謡歌手からコンテンポラリーダンサーまでさぁ。
あとはもう、地元スポーツ選手しかないんじゃない?
ステラミーゴとか」

と、言われる。

あー、その方面は確かに全く未開拓。
いや、だからもう、人脈は広がんなくていいって。
ほんと、あのね、意外と人見知りなんだってば。
プライベートは引きこもり。

でも、せっかくなので、
私の知り合いの薄い方面を考察してみた。


体育会系ね。
理系ね。
外国人ね。
(↑ 英語で話しかける外国人には、
「プリーズ スピーク ジャパニーズ」って言うからな)


で、これが全部総合されると
(↑ 混ぜなくてもいいじゃん)、


外国人宇宙飛行士


という個人的結論が出ました。
と、いうことで、来年の目標は、
「外国人宇宙飛行士とオトモダチになる」
ということに決定。
(シュミが草野球な外国人物理学者ってのもどう?)

ま、夢は大きくなきゃね。

いや、だからこれ以上
知り合い増えなくてもいいんだってば。

沢村さんの書のライブパフォーマンス

14:00に、岩手県公会堂で、
アートショウ2010プレイベントの作品展を行う、
書家の沢村澄子さんのアートパフォーマンスを観に、
公会堂の会場へ。
(作品展は、公会堂ギャラリー(2階)22号室で12月27日までです)

こちらは、盛岡経済新聞の情報紹介記事です。↓
(事前紹介なので、今回の作品は無いですが、
県立美術館で行われた「動物哀歌」の作品が載ってます)
http://morioka.keizai.biz/headline/601/

今回は、20畳くらい?(ぜんぜんわかんないけど・・・)の
会場の中心の床に大きな紙が敷かれてあり、
紙の四方には柱が設置されていて、
周囲を透明な巨大ビニルシートで覆っている。
(無菌室みたいな感じ?)
その中で、沢村さんが縦横無尽に書きまくるのである。

その気迫といったら・・・!!

もう、いつ沢村さんが倒れるんじゃないかと
ハラハラするような渾身の製作で、
軽いキモチで
「またやってくださいね~♪」
とは、とてもいえないレベルのパフォーマンスだった。

沢村さんの作品展に行くたびに思うことではあるのだが、
今回は本当につくづくと
「私は『動物哀歌』の舞台に、
とんでもない人に軽く声をかけたもんだ・・・」
と思わされてしまった。

会場には、『動物哀歌』の朗読で出演してもらった、
江幡さんと、狩野さん、
舞台美術の直也くん、はまさん(2007年版)、
同時開催の写真展(2006年版)の宍戸くんの姿も。

江幡さんは、午前中のIBCの「じゃじゃじゃTV」に出てたので、
つい、「あれ?! 午前中テレビに出てたじゃないですか!」
「あの後、大船渡から盛岡まで!?」
と、言ってしまったが、よくよく考えたら、


江幡さんの出演シーン、録画だったね。


放送は何でも生放送だと勘違いしてしまう、
昭和な私。

支社長になっても
相変わらずアナウンサー時代の
よく響くイイ声が変わらない江幡さんは、
全くのプライベートで観客で来てたのに、
ちょっと声を発するだけで、
すぐその存在が周囲にバレていた。

2009年12月12日土曜日

「ハシムラ東郷」盛岡公演終了

今日は、劇団燐光群さんの盛岡公演当日。
今年はなかなか制作協力のお手伝いのできないまま、
公演日を迎えてしまいました。

これから、名古屋、福岡、伊丹(兵庫)と、
まだツアーが続きますので、
お近くの方、知り合いがそのあたりにいらっしゃるという方は
是非、気にかけて下さい。
公演詳細は以下のサイトでご確認を。↓

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/hashimuratogo3.html

客層ターゲットとしては、
社会学関係の研究職の方、
欧米に留学経験のある方及び、
国際交流関係に精通している方、
フェミニズムの歴史研究をされている方、
文筆業、読書好き、
そしてある程度「演劇手法」というものに慣れている方、
という辺りかと思われます。

東京公演前に台本を送っていただいて、
その後、改定台本まで送られてきて、

「すげー、改定前の
坂手さん(日本劇作家協会会長)の書いた
台本(戯曲集とかじゃなく)、今私持ってる!」

と、相変わらずのミーハー気分でいたのですが、
読んだら、その台本の難しいこと!
(台本というのは元々、読み慣れていない人には
とても読みづらいものでありますが)

なので、舞台を観ながらずっと、
「あー、あの台本がこんな風な舞台になったのね~!」
と、演出とはこういうものかと思いながら観てましたが、
初見でこの舞台を観る方は大変かも。

題材に興味のある方は、
帰りに、研究書の「ハシムラ東郷」を
買って帰られるのもよろしいかと思います。

それにしても、なかなか面白い題材ですよねー。
NHKあたりで、特集してくれないかしら。
「歴史ヒストリア」かなんかの番組で。

以下は、坂手さんが着想を得た、宇沢美子さんの本、
「「ハシムラ東郷 イエローフェイスのアメリカ異人伝」
(東京大学出版会)」
のasahi.comによる紹介記事です。↓

http://book.asahi.com/clip/TKY200811150161.html


ところで私が、燐光群さんの芝居で是非とも一度、
ナマで観てみたいのは、
「屋根裏」という作品です。
(燐光群さんによる、作品紹介はこちら。↓)

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/yaneura2009.html

制作の古元さんに、以前にNHKで放送された時の、
作品をDVDでいただいたのですが、
それは、NHKのスタジオで収録したものなので、
舞台の広さの感覚が全然違うらしいんですね。

肴町の風のスタジオなどの、
小さな舞台で、役者さんの息遣いを直に感じながら
目の前で見るのが夢です。

今までに燐光群さんの舞台を観たことがないという方は、
燐光群の皆さんは、東京で年中芝居してます(?)ので、
機会があったら一度足を運んでみてくださいね。

きっと、3作品見たらクセになる、
盛岡じゃじゃ麺みたいな劇団です(笑)。

安仁屋さーん、今度は、ホール利用申し込みの時に、
ちゃんと古元さん(制作)について来るんだよー。

2009年12月11日金曜日

じゃじゃ麺とラブシーン

昨日の夜から劇団燐光群の皆さんが盛岡劇場入りし、
公演準備を始めている。
昨日も劇団の皆さんとの交流会があったようなのだが、
今日の飲み会の方だけ参加した。
(連日飲んでる皆さんは、ほんとにタフである)

会場は、盛岡劇場近くの大吉。

劇団の皆さんと盛岡演劇人15人程でわいわい騒ぐ。
よりどりみどり老若男女各世代揃って、
20代から50代まで、
年齢差は30歳くらいあるんじゃないだろうか。

演劇人だとわからないと、
何の集まりなんだろうと思われるに違いない。
(しかもスーツ着てるのは、
仕事帰りのTCTの遠藤くんくらいで、
皆、どことなくカタギな感じがしないし)

しかしそこは、演劇人の飲み会慣れしているお店。
注文する時は、「劇団さん」というカテゴリーで
どうやら認知されているらしい。

今年の2月に盛岡じゃじゃ麺の芝居を作った、
架空の劇団のくらもちさんは、
ジャージャー麺と盛岡じゃじゃ麺の違い、
そして、「じゃじゃ麺は、3度食べないとわからない」
事などを、麺好きらしい劇団の皆さん方に熱く語る。

(※ちなみにウィキペディアによる、
 盛岡じゃじゃ麺説明はこちら ↓)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%9B%E5%B2%A1%E3%81%98%E3%82%83%E3%81%98%E3%82%83%E9%BA%BA

盛岡じゃじゃ麺を知らない皆さんは、
「肉味噌がしょっぱい」「麺はうどんやきしめんみたい」
というモノが想像できないらしい。

もう、10年以上もの間、
何度も盛岡にいらしている作・演出の坂手さんでも、
盛岡じゃじゃ麺を食べた記憶は曖昧のようだ。

燐光群の俳優・猪熊さんは、
くらもちさんから盛岡じゃじゃ麺の本家、
白龍(パイロン)の開店時間が朝9時と聞き、
公演(14:00)前に食べに行きたいと言い出して、
盛岡の人間たちに止められる。

そりゃあ、にんにくが凄いからね。

ひとしきり、
「ラブシーンで相手の女優に迷惑をかけるぞ」
「いや、いっそのこと相手もじゃじゃ麺食べれば」
「そうか、それだとどっちもにんにく臭いからね」

などとみんなで盛り上がり、
そうだ、相手と二人で食べに行けばいいんじゃん、
という結論になったところで、
坂手さんが、猪熊さんに訊いた。


坂手 「で、お前、ラブシーンあったっけ?」
猪熊 「(とってもうっかりしたような顔をして)
     ・・・あっ、ごめん。そういや俺、
     この芝居で、ラブシーンなかったわ!」


この辺の掛け合いの絶妙さが、さすがである。

猪熊さんは次の日、果たして盛岡じゃじゃ麺を
食べることができたのだろうか。

是非とも猪熊さんには、
盛岡じゃじゃ麺がクセになるといわれている、
最低3回食べるまでは、
とりあえずこれからもずっと
来盛し続けていただきたいものである。

2009年12月8日火曜日

今年も燐光群がやってくる。

ご紹介が遅れましたが、今年も東京から、
劇団燐光群さんが、盛岡公演をしにいらっしゃいます。
今週末、土曜の二時です(←紹介遅いよ!)

いやぁ、まさかね、今年もいらっしゃるとは思わず、
昨年だけの出血大サービスだと思って、
昨年いろいろと金額下げて無理難題を言いましたら、
その値段で今年もいらっしゃることになり、


・・・・・ごめんなさい、燐光群さん!!!
(東京ではこんな値段では見られません)


ちなみに、昨年は主宰の坂手さんの盛岡公演宣伝に、
同行させていただきました。
その時のブログはこちら。 ↓

http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_11_01_archive.html#2285668220936225857

毎回社会派で硬派な舞台を創られている劇団で、
主宰の坂手さんは現在、
日本劇作家協会会長を務めていて、
作品は、世界各国に劇団が赴き上演されています。
これまでにも様々な賞をとられている劇団さんです。
問題は、

軽かったり、お笑いだったり、
ど派手なミュージカルとかだったり、
ジャニーズや人気お笑い芸人が出てたり、

・・・ということが全くないため(!)、
手当たり次第むやみやたらな売り方ができないということです。
「ライオンキング」や宝塚、嵐のコンサート、
オードリーライブのチケットを売るのとはわけが違う!

内容は以下、公演企画書より。

********************

百年前、アメリカでもっとも有名な「日本人」は誰だったか。
おそらくそれは、「ハシムラ東郷」というコラムニストである。
主要な新聞雑誌に辛口のアメリカ文明批評を書き、
ハリウッド映画の主人公にもなった。

20世紀前半の数十年間、多くの米国人に愛され、
日本との開戦からは憎まれ、戦後は忘れられ、
米文学史の中で顧みられることもなかった。

ハシムラ東郷が登場したのは1907年、
ニューヨークの週刊誌「コリエーズ」への投稿の形を取った
コラム「日本人学僕の手紙」。
登場以来30年あまり、
永遠に35歳の日本人学僕(苦学生兼家内使用人)として、
「グッド・ハウスキーピング」など
アメリカの主要な新聞雑誌にコラムを書き綴った。

背景には、日本ではインテリ・上流階級でも、
アメリカでは「メード」のようにして生きなければならない
日本人留学生たちの姿があった。

連載は、わざと誤字脱字、誤訳、誤読、時代錯誤を織り交ぜ、
とんちんかんな東郷を笑う米国社会そのものが逆に批判され、
からかいの対象になった。
「職業」柄、東郷は白人中産階級の女性たちと関わり、
「問題ありの使用人」という道化師的な仮面の下から、
雇い主の主婦層のみならず、
家政学を通した鋭敏な社会批判を繰り広げた。

笑いの中に、辛口のアメリカ文化批評が展開された。
作家マーク・トウェインがこの連載を激賞、
1917年には日本人俳優・早川雪洲主演で
ハリウッド映画「ハシムラ・トーゴー」が作られた。

コラムには東郷自身の容姿についての記述がないが、
多くのイラストレーターが個別の東郷像を描いた。
「吊り目で出っ歯で丸眼鏡」「自分の価値観を曲げない、
卑屈であるが傲慢」といった
典型的な日本人観はここから生まれたとされている。

(以下略)

********************

どうです? 私は面白いネタ見つけたもんだなぁと、
思って興味深いし芝居も気になっているんですが、
一般的にはやっぱ、難しっぽいイメージですよね?
そうなんだよなぁ。
そこが宣伝の攻めとしても難しいんだよなぁ。

これを読んで興味をもたれた方、
もしくは、友人知人でこういう話が好きそうな方に、
ゼヒゼヒご紹介いただけますと幸いです。

こういうのは、盛岡および周辺で、
どういう人たちのツボなんだろう?
その辺も含めて個人的に興味深いところがあります。

以下、サイトと盛岡公演情報です。
うまく、こういう話が好きな方のもとに、
この情報が伝わりますように。

http://www.alles.or.jp/~rinkogun/hashimuratogo3.html


燐光群盛岡公演 「ハシムラ東郷」

日時:2009年12月12日(土) 2:00開演
会場:盛岡劇場メインホール

チケット:全席自由
前売2,700円  当日3,000円
大学・専門学校生/シニア(65歳以上)1,700円
高校生以下1,200円
(学生とシニアは前売・当日共通料金 学生は要証明書提示)

前売扱所:
いわてアートサポートセンター
プラザおでって
喫茶てあとる(盛岡劇場)
川徳デパート
大通佐々木電気

ご予約・お問合せ
◆TEL:03-3426-6294(燐光群/(有)グッドフェローズ)
◆E-mail:ticket-rinkogun@ee.alles.or.jp

2009年12月5日土曜日

「がんばって下さいね」と言ってくれた先生

新聞のお悔やみ欄で、高校時代に
生物を教わったM先生が亡くなったことを知った。
まだ、61歳の若さ。病気療養中だったらしい。

その亡くなった若さもだが、教わっていた当時、
まだ40歳くらいだったことにも驚いた。
もっとずっと年上の先生だとばかり思っていた。

うちは女子高で、理系に進む人間が
極端に少なかったので、
当時国立文系コースへ進む者は、
数学も理科も受験に必要ということから、
便宜的に「理系コース」とされていて、
こんなに理数がさっぱり分からないにもかかわらず、
私は3年間、数学の先生が担任だった
(全員違う数学の先生)。

M先生は、高二・高三とも、隣のクラス担任。
物静かで穏やかで、シャイな先生だった。
(先生の訃報について久しぶりに連絡をとった
高校時代の友人からのメールに、
「なかなか誰とも目を合わせようとしない、
シャイなM先生を思い出します」と書いてあった)
当時、校内の噂として、

「M先生は一年に一度だけ、もんのすごく怒る」

と、言われていて、「M先生が、○組で怒ったらしい」
という時は、そのニュースがものすごいスピードで
生徒たちの間を駆け巡り、
叱られた生徒は

「M先生が怒るんだから、よっぽどだよね」

と、誰にも同情はされないのであった。
(私の学年では確か、授業中に堂々と他の教科を
勉強していた一人の生徒が
よっぽど目に余ったらしいとの情報だった)

私は当時、中学時代までは国・英・社は
どうにかできていたが、
高校に入ったら、演劇部に入って毎日の部活と、
夏休み・冬休み・年末年始もないような日々で、
一年の夏休み明けくらいからは、
坂を転がり落ちるようというよりは、
崖から墜落するような学業転落人生を送っていた。

とはいえ、「この支配からのぉぉぉ~卒業~♪」
な反抗人生を送るでもなく、
見つからないように、目立たないように気をつけて
過ごしていたので、とりたてて先生方の
印象には残っていないタイプの生徒だったと思う。
生物の授業も、じっと息を潜めながら受けていた。

そんな生活だったので、大学受験は2度も失敗し、
2度目の不合格になった後で、
担任の先生などにご挨拶のために、
学校を訪れ報告をし、うらぶれた気分で独り、
家に帰るために来客用玄関へ向かって
足を進めていた。

玄関のすぐ脇には、金魚の水槽があった。
そこでM先生は、金魚にえさをあげていた。
その脇を、会釈しながら通り過ぎる瞬間に、
M先生は、こちらも見ずにぼそっと、


「がんばって下さいね」


と、私に声をかけた。
驚いて振り返ると、M先生は初めてこちらを見て
にこっと笑ってくれた。
私は、その日初めての笑顔をM先生に向け、
必死に涙をこらえながら校舎を後にした。

もうあれから20年近い歳月が流れ、
大学に落ちたくらいで人生が終わったような
気持ちなんて全く持たなくなってしまったけれど、
あの時のM先生の「がんばって下さいね」
という言葉は、私を今も
心のどこかを縛りつけている。

私は、「がんばれ」という言葉があまり好きではなくて、
他人に対して「がんばって」という言葉は、
なるべく他に使わずに済む言葉があれば、
そちらに置き換えて使うようにしている。
(それしか使う言葉が見つからないような時には使うけれど)

でも、あのときのM先生の言葉は、
今でも、仕事から帰る道すがらだとか、
休日に、街で信号待ちの瞬間とかに、
鮮明に思い出される。
そして、


「あぁ、私は今、がんばってないなぁ」


と、ほんの少し、
私の中の何かが揺さぶられる瞬間がある。


そう、私はまだ何もがんばってなどいないのだ。

2009年12月2日水曜日

日本救急医学会総会@岩手 非公認コラボエッセイ 2

昨年発売された、ほぼ日の健康手帳
「Dear DoctorS」
が、今年パワーアップして2010年版ができたので、
ネットで注文したのですが、(↓ 以下サイト)

http://www.1101.com/deardoctors/index.html

ついでといっては何ですが、
久しぶりに、バックナンバーも読み返していたら
色々面白かったのですけど
(前にも読んでいるはずなんだけど)、
その中で、以下の文章を見つけました。

********************

わたしは医師になる前に、アジア各地を放浪し、
いろんな地域の医療現場を見たり、
実際に働いたりしてきました。
そうした経験から、
わたしの信念になっていることなんですが、
なにもできないとしても、患者さんのそばにいることが、
医療従事者にとって、すごく大事だということです。
医学的にできることは、もうなかったとしても、
お医者さんにできることは、まだたくさんあるんですよ。

わたしは病院の医療安全管理室というところで、
トラブル事例にも接しているのですが、
憤っている患者さんやご家族、ご遺族というのは、
そのときお医者さんがいてくれなかったから、
あのとき看護師さんに声をかけたのに
立ち止まってくれなかったとか、
そういうことが、医療に対する不信の原点となっている。
そばにいてくれなかったというのが、
すごく大きな問題なんですよ。

ぼくは、技術偏重の医療者と
患者や家族が期待していることとが
すれ違いはじめているのではないかと、
そう思うんです。

(ホームページ「ほぼ日刊イトイ新聞」に連載中の、
「Dear DoctorS ほぼ日の健康手帳」
の中の「身近な医者の底力」シリーズ
「高山先生、新型インフルエンザについて教えてください。 7」
より、一部引用 ※以下引用したサイトのページ ↓)

http://www.1101.com/deardoctors/2009-04-14.html

********************

引用したのはほんの一部分です。
できれば全体を読んでいただきたいところなのですが、
引用してみたら一部だけでも結構長かったので、
あとは直接サイトへ飛んでください。

で、これで思い出した、というか、
前々からずっと私の中で
気になっていた思い出があるのですが、

私は1994年の6月に、初めて心筋梗塞を起こし、
救急車で岩手医大の救急センターに運ばれました。
この時が、これまで何度か発作を起こしているうちで、
一番大きくて、ものすごい発作でした。



なにがなんだかわからない状態で呻き苦しんで、
センターに運ばれると、
ざーっとお医者さんと看護師さんが集まってきて、
寄ってたかって(?)ものすごい勢いで
治療と検査をするわけである。

で、どうにか患者が小康状態になったぞ、
という事が明らかになると、
今度は一斉にそれらのスタッフが、
次の治療や検査の準備だとか、
今の治療や結果の確認のためだとかに、
別の場所へ各々散っていく。

今まで私の周りに群がっていた(?)人たちが、
そりゃもうすごいスピードで、
一斉に、一人もいなくなり、
だだっ広い治療室かなんかに点滴をつけたまま、
一人、わけもわからず取り残されるのである。


ここで初めて、ものすごい恐怖が襲ってくる。


なんかわかんないけど、助かったらしい安堵と、
これは一体なんなんだ?という混乱、
そんなところに取り残される強烈な孤独感。
もう、嗚咽どころじゃない、号泣である。
ああ、22歳の春。

と、そこに戻ってきた一人の若いお医者さん
(か、看護師さんか未だにわからない)が、
私が落ち着くまでずっと黙ったまま、
祈るような感じに手を握ってそばについていた。
けっこう長い時間だったように思う。

そして、私が少し落ち着き、
他の医療スタッフが、次の方針が決まって
わらわらと戻ってきたときには、
いつのまにか、そのスタッフの中に
紛れ込んでいってしまった。


あのお医者さん(か、看護師さん)が、
未だに誰だったのかわからない。


今と違って、昔は大きなネームプレートを、
首からぶら下げていたりもしないし、
特にきちんと改まって「私が主治医です」と、
全員揃って挨拶をしていた時代でもないし、
(してたかもしれないが、記憶が定かではない)
名前のわからないまま一般病棟に移るので、
短い1週間というCCU(集中治療室)滞在中に、
フルネームを知らない先生がいっぱいだった。
(ネットもない時代だし)。

今にして思えば、大事な救急治療中なんだから、
治療準備や診断が出来るんだったら、
私のそばにいるような時間的余裕はないはずである。
新人で救急に研修に来たばかりの先生だったのか。
だとすれば、当時20代半ばから後半くらいか。

本来であればその、私が手を握られてた間に、
私の治療のために奔走していた先生や看護師さん方が、
私が足を向けては寝られない、
一番の命の恩人な方々なわけで、
ほんとうに、ほんとうに申し訳ないことではあるのだが、

この時の、私の一番の思い出は、
この、泣いている間じゅう、
ずっとそばに寄り添ってくれていた
名前も知らない人なのである。

(その後、病室に心電図検査にもやって来たので、
私の幻覚ではなく、実在の人物であることは確かだ)。

とはいえ、今さら探し出して誰か判明し、

「あ。それオレオレ、俺だよ~~~ん」

などというノリの40過ぎオヤジが現れたりしても
私のウツクシイ思い出が壊れてしまうだけなので、
どうか、


探さないでください!!


お願いです。
私の清らかな思い出は、
どうかそっとしておいてください。

と、いうことで何が言いたいかっていうと、
「そばにいて寄り添ってもらう」ことの
凄さというかパワーね。

その後、何度となく入院しましたが、
なかなかこれ以上の
劇的な経験というのはそうそう無いです。
K地先生に入院勧められた時の
思い出といい勝負を誇ります。
(そういや、どっちも救急センターでの話だなぁ)


全くの個人的な意見なのですが、
ブラックジャックって実際リアルに近くにいたら
けっこうハラ立つと思うよ?

「お前に、そんな大金払うくらいなら、
断固として治療拒否してやる!!」

それより、こういう時にただ
そばで寄り添ってくれるだけの
普通の内科医というものを、
ぜひともクローズアップしていただきたいと、
常々思ったりするわけです。

2009年11月27日金曜日

予定は無いけど、一応訊いとく。

医大定期外来。
いつも通りに、採血結果を聞いたりしながら
血圧を先生に測ってもらう。
毎回、最高血圧が120ちょい。
昔は100くらいしかなかったんだけどなぁ。

さわの 「(何気に)・・・120もありますかねぇ、私」
A孫子 「俺の血圧の読みに不満があるとでも?(笑)」


言ってないじゃないですか、そんなことは。


いやね、昔、手術後に麻酔から醒めた後、
血圧が低すぎて、痛み止め(血圧が下がる)を
追加できないって言われて、
夜中じゅう、のたうちまわってた事がありましてね・・・

と、さわの、外科で受けた仕打ち(?)の
これ以上はここには書けない毒舌炸裂。

(普通、心筋梗塞になるような人ってのは、
高血圧なことが多いから、私以外の人は
上記のような心配は無いと思われます)

ま、当時の先生で残ってる人で知ってる人、
一人くらいしかいないんで、まあ、大丈夫
(↑ 大丈夫って何が?)。

いや、教授はすごい人でした、
全国の「名医のいる病院」に名前が載ってるような。
で、そんな教授の教えを請うために、
サポートする先生も全国から集うような。
今はまた、どっかに引き抜かれてっちゃいました。

そんな神の手を持つ教授に2度も執刀してもらいながら、
私の思い出の中では、夜中じゅう病棟で
のたうち回ってた記憶でどうもすみません。

さわの 「今の教授もなんか、すごい人
      なんですよね、確か?」
A孫子 「これまでに、7000の執刀経験があるらしいよ」
さわの 「・・・って言われてもわからない・・・」
A孫子 「一年で・・・」
さわの 「一日ではどれくらいなんですか」
A孫子 「昔は3件とかやってたらしいよ」
さわの 「!!! それは神経すり減りますね!」

毎日3人の生死が自分の腕にかかってるって、
ちょっと、精神的に耐えられないです、私だったら!
神の手を持つのと引き換えに、
いろんなものを背負わなければいけないんですね・・・。

さわの 「血管とか、心臓弁とか心臓全体とか、
     得意分野ってあるもんなんですか?」
A孫子 「ま、上手い人ってのは、どの分野でも上手いから」
さわの 「あー、わかるような気がします」


刺繍の上手い人は、レース編みも上手そうですもんね!
(そんな例えでいいのか、私。
って、さすがにそんな例えは先生には言わなかったけど)
そして、


さわの 「・・・いや、もうしたくないですけどね、手術は」

さんざん訊いといて、最後の結論は、そこですけどね。

2009年11月25日水曜日

現代版なまはげに認定

てくりの高橋さんとの会話中、何かの話題のときに私が、
「いや、うちのブログは、書かれた相手が、
画面の向こうで思わず笑ってしまうことを、
いつも目標にして書いてますから~」
と言ったら、高橋さんに、

高橋 「いやいや、さわのさん。
     ブログにあんなこと書いたら、
     蓮舫が仕分けに来るかもしれませんよ」

と、言われた。

大丈夫です。
蓮舫議員は、そんな器の小さいオンナじゃないと、


私は信じております!


世のお父さんお母さん、
これからは、子供がなんか
無駄遣いやもったいない事をしたら、

「そんなことすると、蓮舫が仕分けに来るよ!」

と、叱るのが教育的に効果があると思われます。

念願ツアーそして、求むハイスクールカフェ

おなじみ、てくりの高橋さんと、
念願であった、盛岡スコーレ高の生徒たちが
料理作りに携わっているというお店に、
ランチを食べに行ってきた。

ちなみにスコーレでは、パンやジャムや
トマトソースなども作ってて、
地元スーパーなどでも購入可能である。
高校生たちは、料理作りに、
どこまで関わっているものなのだろう?

もう、私たちの想像の中では、
高校生たちが、料理をする! 接客をする!
料理界における、汗と涙の青春ドラマを目の前で。

味は二の次!

失敗は想定内!

いやむしろなんか、アクシデントも値段のうち!

みたいな過剰なドラマを求めて向かったわけですよ。
そうしたらなんか、普通に美味しい、
普通のお店だったわけでね。
(確かに接客は高校生だったけど)
いやそれ(失敗のないこと)があたりまえで、
学校としてはそれを追求しているんでしょうけども、
なんなんでしょうねぇ、この、
部外者の無責任な心理は。

私たちが求めていたのはもしかしたら、
「メイドカフェ」や「執事カフェ」のような、

「ハイスクールカフェ」

というものであったのかもしれない。
昼に担任の数学の先生がご飯を食べに現れ、

先生 「おう、ユキナ。さすがだな、このオムハヤシ。
     この調子で期末試験の代数幾何も
     がんばってくれればいいんだけどな」
生徒 「それは無理ですよぉ~」
先生 「はっはっは。じゃ、午後の授業遅れるなよ!」

みたいな?

伝説のスパルタ家庭科教師が、
「こんなキャベツの千切りを、
お客様にだせるわけないでしょう!
もう一度、最初から!」
そして、涙ぐむ生徒。教師が去った後、
隣でぶっきらぼうになぐさめる友。

みたいな?


って、ねぇよそんなシチュエーション!!!


まあ、そんなわけで、メジャーリーグは興味ないのに、
高校野球は全試合見る、というおじさんたちの、
気持ちがなんとなくわかった初冬。

これを読んでる青年実業家の方(← いるのか?)、
「ハイスクールカフェ」、もしかしたら
こんな需要が世の中にあるかもしれませんよ。


その後、先日行ったらケーキが売り切れで
ちょっぴり残念な思いをした、
小岩井の風光舎に行き、風光舎ブレンドと、
念願のロールケーキ!

そして、菜園のHolzさんが新しくつくったお店
「物販+喫茶=物茶店」のラウムへ。

http://blog.livedoor.jp/holz/archives/cat_50028773.html

こちらも、11月1日にできたばかりで行きたかったのです。
今日は、図らずも念願ツアーな一日になったのでありました。

そして、なぜかオサレなインテリアのお店で、
江刺のりんごジュースを買って帰る私。

2009年11月21日土曜日

今年はちっとも鉄子じゃない

子供たちのためのネイチャーイベントで、
火おこしと飯ごう炊さんと、ブロック肉の炭火焼
をするというので、こっそり大人も混ざってきた。

会場は、都南のつどいの森。

一緒に行く、バイト先のスタッフのHさんに、
家が近いから、岩手飯岡駅まで
車で迎えに行きますよー
といってもらったので、盛岡駅から東北本線乗車


・・・の時点で、遅刻する。


切符売り場に到着の時点で、発車時刻!!
「乗り遅れました!!」のメールを送り、
慌てて駅前のバス案内所で、
岩手飯岡駅まで行くバスはないかと尋ねると、


「電車で行ったほうがいいですよ」


と言われる。

わかってんだよぉ! そんなことはよぉ!!
その電車にたった今、


乗り遅れたんだよぉぉぉ!!!


一番近いところまで行くバスが、20分ほど後。
そんな余裕はない。どこか近くまで行ってから、
飯岡駅までタクシーか。
地図無いから全然わかんないけど。
とりあえず、都南バスターミナル行きにでも乗って・・・

というテンパった状況のところに、
メールを見たHさんから電話。
私の全くの土地勘のなさを危険に思ったHさんが、
盛岡駅まで迎えに来てくれた。
そして、帰りも盛岡駅まで送ってくれた。

(ブログを読みながら余裕のある人は、
上記に出てきた土地を地図で調べてみてください。
私の無謀さがよくわかるはずです)

自己嫌悪に陥りながら、マリオス前で、
Hさんの車を待ちつつ読んだ今日の占いには、


「周囲からの評価が微妙に変化する日です。
日頃ルーズにしてきた人には、
悲しみがもたらされる可能性があります。
信用を回復できるような行動をこころがけましょう」


その後、Hさんからの信用を
回復できてるかどうかは、
定かではない。


(そして、それが私にとっての
今日一番のニュースのため、
火おこしその他ネタにたどりつけなかった。
久しぶりの焚き火、楽しかった・・・
紫波もちもち牛のブロック肉、旨かった・・・)

2009年11月15日日曜日

仕分けないでね

18:00より、盛岡劇場(河南公民館)会議室で
いわて演劇通信「感劇地図」編集会議。

出席者は、くらもちさん、浄さん、よんちょさん、
麻湖ちゃん、前川さん、私。の6人。

それにしても、ここ最近の「仕分け人」ってやつ、
こーわいっすよねー。

うちも、個人スポンサー(一口1000円より)からの
ご協力と岩手県演劇協会からの広告費(県内劇団短信掲載)、
企業からの広告費(本紙を印刷している印刷会社さん)
などもありますが、その予算の多くは、
財団法人盛岡市文化振興事業団さんからの、
助成金でなりたっている活動なわけです。
(年間6号の印刷費と発送費がそのほぼ全体を占めてます)

これも、税金なんですよね?

もし、蓮舫議員とかに呼び出しくらって、

「どれくらい市民の利益に貢献できてるんですか?」
「それは、どういう統計データによるものですか?」
「今示してください、今」
「これだけの助成金が本当に必要なんですか?」

なんて責められて、
こちとらディベート技術なんて全くもってない、
こう見えて意外と口は達者じゃない
超東北の民ですから、「あわあわ」言ってるうちに
助成金カットになったら、
泣いちゃうね、きっと。


苦しくって悲しかったら、
コートの中でも涙が出ちゃう。
打たれ弱い文科系女の子だもん。


そんなわけで今日は、
「あと、予算どれくらい残ってる?」
「封筒の印刷って、来年度になってからでいいよね?」
「こないだのメール便の請求書って、まだ来てない?」

などと、妙に経理な話の充実していた会議でした。

お願いです。削減するなら
もっとでかいヤマで勝負してください。
何百万何千万の怪しい支出のところに戦いを挑んでください。
うちなんて、誰も天下って来てませんから!
天下りたくなるような権限もないですから!
個人にお茶代すら支払われてないですから!

てゆーか、委員が執筆してもタダですから!

(依頼原稿・投稿原稿には、通年利用可能な八時の芝居小屋の
公演チケット(八芝が続く限り有効)2枚=2000円相当が
謝礼として支払われます)

そんなことを思いつつ、最近のニュースを眺めています。
ま、あっちは億単位の戦いですけど。
何をもってして「ムダ」なのかっていう判断は、
すごく難しい問題ですねぇ。

「そんなところに税金をまわすくらいなら、
子供たちのためにインフルエンザのワクチンもっと買って」
と言われたときに、どういう反論を、
私たちは示していけるのだろう。

2009年11月7日土曜日

いわゆる、速報。

いろいろ、書こうと思っていたネタはあるのですが、
たった今、盛岡駅前を通り過ぎようと思ったとき、
滝の広場前で、面白いアートパフォーマンスを
している男の子を発見しました。

ナマモノ情報なので、先にこちらをアップしてから
前の日に遡ったネタに戻ろうかと思います。
マスコミ関係にお知り合いのいる方は、
早めに教えてあげてください。
全国行脚中で、月曜には
ここを離れると告知してましたから。

いやー、この季節の盛岡で、路上パフォーマンスで得た
投げ銭だけで全国行脚はキツいでしょう。
まず、野宿はムリね。
ライブさせてくれるお店も探してます、と言ってました。

ちなみに今、ネットで検索したらこの人です。
(よくこれだけの情報でネット検索できたよ、私・・・)
「ユキンコアキラ オフィシャルブログ」 ↓

http://f27.aaa.livedoor.jp/~painterg/top.html

どういうパフォーマンスだったかというと、
クラブDJ用の機材を肩から提げて、
クラブミュージックっぽい曲を流し
(↑ 専門的な用語がわからないけど・・・)、
曲に合わせて踊りながら、
ライブペインティングをしていくというものです。

と、いっても、曲にノリながら描いてる抽象画ではなく、
けっこう具象画に近い絵でした。
私の見たときは、リアルな拳。
踊りながら描いてるのに、かなり丁寧な絵でした。

見ていた女の子たちに、盛岡の繁華街はどの辺か
というようなことを尋ねていたので、
大通りとかにも出没するかもしれません。

見かけたら参観料をね。

別に、一言も会話を交わしたわけでもなく、
ただ、通りすがって見ただけなのですが、
そろそろ冷え込む時間帯で、つい、
母ゴコロになってしまいましたので、なにとぞ。

2009年11月6日金曜日

東京藝大資料に名を残す

今年のもりおか映画祭で、
昨年の「八咫の鏡」に引き続き上映となった、
十文字さんの作品「セジと少年合唱団」を観に、
大通のアートフォーラムへ。

(ちなみに、作品については以下の東京藝大大学院の、
映画専攻第三期生の特設サイトへどうぞ ↓)

http://www.fnm.geidai.ac.jp/geidai3/films.html

教授に、監督の北野武・黒沢清が名を連ね、
修了作品は、渋谷のユーロスペースなどでも
一般上映されるような、
超注目度の高い生徒さんたちの中に、
岩手大学教育学部の芸美(昔で言うとこの“特設美術科”)
から合格したという、前代未聞(?)の快挙を遂げた
十文字香菜子さんが修了制作をした作品である。

作品の場所に選び、撮影をしたのは、
彼女の生まれ育った二戸市。

どんなところにもなぜか引っかかってくる
ワタクシ、さわの。
彼女のことは、おそらく大学一年か
二年生くらいの頃から知ってまして、
今回は、地元で役者をやってるか、
もしくはイメージに合うような地元の人で、
撮影期間中に参加できる人がいないかの相談を受け、
一日だけ、撮影期間中には
炊き出しに参加もしてまいりました。

とはいえ、盛岡で芝居をやっている人というのは、
基本的に他に(バイトとかじゃなく本業で)
仕事を持っている方が多く、
長期間二戸(盛岡から車で1時間半くらい?)
に滞在し、撮影に参加できる人というのは
なかなか現実的には難しいということで、
主役級のメンバーは、東京から連れてきた役者さん、
あとは、地元の一般の方々という事に落ち着いた。

つくづく、もったいない。が、しょうがない。

それに、十文字さんが直接声をかけた
盛岡の役者さんの方が多く、
結局、私が仲介できたのは劇団香港活劇姉妹の、
千葉伴さん(二戸在住)だけであった。
(↑ ほんとは主役に推していたのだけど・・・)

あまり役に立てなくてごめんなさい、十文字さん(涙)。

そんなわけで、罪滅ぼし(?)に、炊き出しにも参加。
それだけしかお役に立ててないにもかかわらず、
十文字さんは数ヶ月前にDVDまで送ってくれた。

というのに、まあ、このブログを長く
ご覧になっている方はお分かりかと思いますが、
ワタクシ、自分のパソコンが壊れてからはずっと、

ネットカフェでブログをアップしております!

ちなみにDVDプレーヤーなぞという文明の利器も
自宅にございません!(いわんやWii、i-podをや)。
テレビは地上波のみです!
(↑ 衛星放送の必然性がわからない私)

そんなわけで、今日が始めての鑑賞。
(いや、大画面で見れるんならその方がいいやと思って)

いろいろツッコミどころの多い状況の中、
久しぶりの十文字さんに会い、

一日だけ炊き出しに参加した二戸の景色を懐かしみ、
盛岡で役者をやった後、平田オリザさん主宰の
東京の劇団青年団に現在所属している
今回のヒロイン中村真生ちゃんのカワユサにしびれ、

盛岡の演劇関係者には心の中で大爆笑な、
(知らない人には心温まるシーンに違いない)
まさやようこさんと、劇団ゼミナールの斉藤弦くん登場と、
ああぁ、これがウワサの・・・という、
伴さんの登場シーンにいちいち関係者的反応。

いやー、面白かった。
と、思ってエンドロールを眺めていると、
スタッフや関係者のずっと最後のほうに、


沢野いずみ


の文字が!!
まさか自分の名前が出てくるとも思わず、
出るとしても
「二戸市の皆さん」みたいな感じの、
ご協力者団体の中の一部に
紛れ込んでるのかと思っていたので、
さすがに動揺。

だって、炊き出しくらいしか
きちんとお役に立ててないのに・・・。

上映後、十文字さんの横で客出しをしていた
映画祭の関係者の作家の斉藤純さんが
にこにこしながら私のところにいらっしゃった。

斉藤  「ねぇ、これは何に関わってたの?」
さわの 「炊き出しです」
斉藤  「はっはっはっ!(大笑い)」
さわの 「いやー、東京藝大に保存される資料の中に、
      私の名前が残されるなんて!!
      あ。それから、伴さんを熱く推薦したのはこの私です」

そこ、ちゃんと言っとかないと、
ほんとに炊き出し協力だけの人になっちゃうからね。

一年ぶりに会う間に、
いきなり子持ちになってる十文字さんは、

十文字 「出産痛くてマジ、ひきましたよー!」

と、全く変わっていなかった。
来年も(映画祭に)呼んで欲しいなぁと言うので、
「今から撮影しないと間に合わないじゃん」
「自分の子供を今から撮ってろ」
「出産シーンは撮ってなかったのか」
と、みんなでやいのやいの言ってきた。

来年の作品(十文字Jr.出演、勝手に確定)が楽しみだ。

2009年10月31日土曜日

オフィシャルイメージ

岩手演劇通信「感劇地図」の最新号の発送作業が、
9:00より盛岡劇場(河南公民館)の会議室にて行われる。

が、10分ほど遅れて到着。

いつもは、「遅れます」などメールするのだが、
メール送ってるより、そのまま向かったほうが早いな、
と思って、「急ぎ」を選択した。

部屋に入るなり、くらもちさんに、
「最近(感劇地図の)連絡メールに
全然反応がないから、
また入院でもしたのかと思ったよ」
と、(特に安堵という風でもなく)
当たり前のように言われる。


発送作業終了後、解散し、昼食を食べてから、
14:00より、おでってリージョナル劇場公演の
パンフにちらしをおり込ませていただくため、
おでってホール前に。

たまたまこの日に、普段あまり身に着けない、
襟ぐりがフリル状になっているカットソーを着て、
スカートをはいていたら、
すかさず、劇団ゼミナールの睦さんや、
劇団よしこの大沼さん達に囲まれ、

「ナニ?! なんか今日めずらしいカッコしてんじゃん!」
「スカートはいてる! スカートはいてる!」

と、やたら反応される。

さわの 「・・・・・いや、十年ぶりくらい前にはいてた、
      昔買ったスカートが、またはけて嬉しかったから」

あと、「大雨で、ジーパンだと裾がびしょぬれになる時」
なども、仕事に行くときにスカートをはくことが多いです。
基本的に、色気のない理由ではきます。
(持ってないわけじゃないんだけど)


しかし、今日判明したのは、
周囲に思われている私のイメージは、

「基本的に(事務的な)メールの返信がマメ」で、
「女らしい服を着ない」

と、いうことのようだということである。
なんて地味なイメージなんだ。
裏方仕事ばかりしてきたツケか。
ていうか、化粧とファッションに金かけないしな、普段。

ちくしょー。
そのうち、杉本彩的フェロモンで勝負してやろうと思う。

そのうち、っていつだ。

日本救急医学会総会@岩手 非公認コラボエッセイ

10月29日(木)から31日(土)まで、
日本救急医学会総会・学術集会が、
ここ盛岡で開かれるということで、
木金にバイトで足を運んでいるアイーナには、
全国から来た医療関係者でごった返している。

おそらく、岩手医大の救急センターであるとか、
循環器医療センターのCCUの先生も来ているかも。

ちなみに、毎月定期外来でお世話になっている
主治医のA孫子先生も、専門分野の学会で、
同時期に東京に行っている、はずである。
と、いうことはですよ、もし今私が倒れたら、

岩手医大に私のことを診ることのできる先生が
今、いないかもしれないじゃないですか!!

いやー、もう、ドキドキの週末ですよ。

がんばれ私。おとなしくしてろ、私。
近寄るな、インフルエンザ(←これも怖いね)。

もしかしたら、知ってる先生や看護師さんが
来てるかもしれないと思い、
昼休みに、気もそぞろで会場を眺めてたのですが、
そんな簡単にバッタリ会えるような規模の
人数ではありませんでした。さすが総会。

そんなわけで、今日は
「テーマ:私と救急医療」でお送りいたします。



これまでの人生の中で私は、
少なくとも最低3回はシャレでなく死にかけている。
9歳と、22歳と、27歳。

9歳で罹った病気が元で、
22歳と27歳で心筋梗塞になり、
その時に心臓の冠動脈のバイパス手術を受けている。

その時々で、今でもふと思い出すような、
救急センターやCCUの先生の
(名前も知らない先生も含め)思い出があるのだが、
こうして今、改めて振り返ってつくづく思ったのは、

私は、2000年に死んでいても
全然おかしくはなかったのだ。

ということである。
昨年、ブログにも書いたが(↓)、
http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_10_01_archive.html#753425335060095921
2000年の6月に、胸が苦しくて救急に行ったとき、
2人の先生に、「心電図に変化がない」からと、
心筋梗塞の診断をされなかったのである。

一度目は自宅に帰り、でもやっぱりどう考えても
尋常じゃない症状だったので、再度訪れて受診し、
そこでもまた違う医師に
「異常はない」と言われて帰されそうになった。

ここで、昔の主治医のK地先生が現れて、
私の心電図を診て異常を発見し、
循環器センターのCCUに手配をしてくれなかったら、
私は、また自宅に戻ってしまって、
手遅れになっていたかもしれない。

生死というのは本当に紙一重である。

それは、医療ミスというよりも、
運不運といっていい。

生身の人間は、教科書とは違うのだから、
たまたま私だけの、他の人とは違う診断結果の見方があり、
それを覚えていてくれた先生が、
たまたま、その時間にその場に居合わせていたのは、
逆に奇跡だったといってもいい。

それ以降、医大では私が異常を訴えて受診すると、
とりあえずはその場で異常が見つからなくても
「まずは検査入院しましょう」と言ってもらい、
結果的に私の判断が正しいことを
知ってもらえるようになった。

その後、2、3回くらいは
K地先生に会う機会もあったのだが、
きちんとしたお礼もしないままに、
K地先生は数年前に、県外に出られてしまった。

こちらには、「救急センターにいるんだろうな」
という漠然とした安心感と油断があったのだが、
まさに、「孝行をしたいときには親はなし」とばかりに、

「感謝の言葉を言いたいときには先生はなし」

という感じで、お世話になった先生がどんどんいなくなる。
CCUでお世話になったS木先生は、
実家を継ぐために開業医になってしまったし、
前の主治医のT代先生は、
臨床現場での患者の担当はもう持ってない。

ここでA孫子先生やF崎先生が、
開業で辞めたり、どこかに異動したりしたら、
「引継ぎを受けた、カルテのデータ」だけではない、
生身の私の身体の情報を持ってくれている先生は、
全くいないに等しいといっていいほどである。
(主治医を受け持ってもらった事のある先生はまだいるが、
分かってもらってると思うほど接している先生は少ない)

また、なにかにつけ「よっ、いずみちゃん」と、
声をかけて気にかけてくれる先生も、
もうごくごく僅かだ。

ここ最近は、何かにつけ、
地方の医療崩壊を防ぐための手助けを
私は何ひとつできる術を持たないという
歯がゆさを感じるのだが、
(大学病院という環境は、また別かとも思うのだが)
今の私には、こうしてお世話になった
先生方への感謝の気持ちを、
改めてこういう小さな場でだけででも
明言していくしかないのかもしれないなと思う。

私は「ER」や、「救命病棟24時」といったような、
ヒューマン系医療ドラマというものを
殆ど見たことがない。

それは、私がこれまでに受けてきた、
たくさんの先生方や看護師さんとの思い出のほうが、
よっぽど私にとってはドラマティックな記憶だからである。
(ま、ハラが立った事例も含めてね)

2009年10月23日金曜日

患者だもの。

午前中は、医大の定期外来で血液検査。

最初は来週の予定だったのだが、
先日病院受付から電話がかかってきて、
「先生が30日に急きょ外来診察が
できなくなったので、
日にちを変更してほしい」
との電話があり、前の週に変更したのである。

と、いうことで外来が通常の2倍!

病院の壁に貼ってある、患者の要望と回答一覧に、
「予約を入れた主治医が不在(出張?学会?)だった。
事前に連絡して予約日の変更をしてほしい」
というような要望があり、病院側の回答として、
「実際のところなかなか難しいが、まぁ、できる範囲で」
というようなことが書いてあった。
(記憶を頼りに書いてるので、とてもアバウトで
正確ではないですが)

ま、どっちの言い分もわかるよなぁ、
と思っていたところだったが
(いい加減もう、かかりつけ医みたいなもんだから、
わざわざ大学病院まで来て、
初めて主治医が不在とわかり
いきなり知らない先生に、
一から細かいことを説明するのもめんどくさい。

かといって、その日の外来予約患者全員に電話して
説明して、予約日変更をとりつけるというのもまた
大変な作業であることは想像に難くない)


でも、それを実行したんですね、先生・・・(涙)。
(診察前に、看護師さんが
「今日は、A孫子先生がんばってるのよ~・・・」
と、いたく同情的なフォローを私にした)

ところで、来週、いったいナニがあるのだろう?

(1)また岩手の医療者が流出し、人手不足で遠方出張診療
(2)なんかの医療講演会の講師を頼まれた
(3)遅い夏休み(または早い冬休み先取り)
(4)実は奥さんの出産予定日
(5)えっ、もしかして、学会とか?!

久しぶりの2時間弱の待ち時間に、
平謝りのA孫子先生と看護師さんの
言葉を聞くのも早々に、

さわの 「先生、先生、来週ナニがあるんですか?」
A孫子 「東京に行くことになって・・・」
さわの 「えっ! 学会・・・かなんか研修・・・」
A孫子 「学会にね」
さわの 「おおお!」

現場では、新人や後輩を指導する立場のヒトに向かって、
「研修?」とか訊いてる失礼な患者。

皆さんの中には、
「論文より目の前にいる患者が大切だろう!」
とおっしゃる方も多いかとは思いますが、
意外と、知ってる先生が学会に行くとかいうと、
患者も普通に喜ばしく、興味深いものです。
親戚のお兄さんが、なんかのコンクールに出場、みたいな。
ていうか、私が喜んでどうする。


「権威に弱くたっていいじゃないか。さわのだもの」


(ま、自分が発表してくるのか、発表を聴いてくるのか、
詳しい事は訊かなかったけど・・・)

A孫子 「で、今日の検査結果、(数値は)どうだと思う?」
さわの 「・・・低いと」
A孫子 「あー、自分で思い当たるフシが(笑)」
さわの 「昨日おととい、口さみしくてつい、焼き海苔を大量に・・・」
     (海藻類は、私の服用する薬の作用を
      阻害する成分が多い。特に海苔)
A孫子 「他には? ビタミンドリンク剤毎日飲んでたとか」
さわの 「いやもう、絶対焼き海苔です、これは。
     そりゃもう大量の焼き海苔をただただ食べてて・・・」

2時間待ちの大学病院の外来で、
こんなのん気な会話をしていていいんでしょうか。
まだまだ、診察はたて込んでるというのに。

さわの 「・・・先生、そこの張り紙に
     『診察前に、患者のフルネームを確認しましょう』
     って書いてますよ(そんなことされてませんよ)」
A孫子 「いいんだよ、そんなのはっ(泣)!!」

私もいまさら診察前に先生から
「お名前を、フルネームおっしゃって下さい」
と事務的に訊かれたら、
きっと一日やさぐれると思います。
(ちなみに、採血室では毎回、生年月日を言わされ、
名前の貼ってある採血容器が
合ってるか確認をさせられる)

さわの 「あと、何人診察残ってるんですか?」
A孫子 「それを言っちゃうと(まだそんなにいるのかと思って)
     やる気なくなるから(笑)」
さわの 「お疲れさまです」

診療の最後に、患者からお礼ではなく
励ましの言葉をかけられる医師。
がんばれ先生、来週は学会だ。

2009年10月18日日曜日

パーティーにお呼ばれしてみた

舞台美術家・彫刻家の長内先生が、
岩手日報に毎週連載していたエッセイ、
「美術屋の道具箱」が書籍化されたということで、
出版祝賀会に呼んでいただき、出席してきた。

ここ2週間ばかりの間に、
披露宴、葬式2つ、ミニコンサート鑑賞、
出版パーティー出席って、
どんだけセレブの生活かっちゅうねん。
(葬式がセレブ生活と関係あるかはおいといて)

冠婚葬祭目白押し!

話は戻り。
長内先生はここ最近、
たまたまブログにもお名前を出していたが、
本当に顔が広く、人柄も穏やかで素敵な方なので、
200人近い出席者が集まっていた。
しみじみと、「人柄って、財産よね」と思う。

演劇関係、美術関係、教育関係(元美術教師なので)、
公共施設職員(舞台美術のワークショップやらなにやら、
色々なお手伝いをされているので)はおろか、
出版・マスコミ関係、地元文士・名士
(盛岡文士劇に毎年出演してるので)がずらりと並ぶ。

ど、どこに混じっていればいいんだ・・・。

と、思ったら、てくりでお世話になった、
カメラマンの奥山さんを発見。
「どういうお知り合いですか? 長内工房繋がりで?」
と尋ねると、
「いや、全然。飲み屋でしか会わない(笑)」
という返事。
なんという混沌とした世界。

あまりの人の多さに「人あたり」をしそうだったので、
末席(←立食なのに勝手に)に他の演劇人たちと陣取り、
きのこ採りの話題や、城好きの話題、
インフルエンザの話や菌類の話など、
全然セレブなパーティーと関係ない話で盛り上がってきた。

そんなワカモノ達にまで声をかけて下さって、
一緒の場に集めているところが長内先生らしい。
ていうか、演劇人はほんとに老若男女、
劇団の枠を超えて大勢集まっていた。

本は荒蝦夷という出版社から出たばかりです。
ん?まだ出版前?
ちょっと本はネット検索できませんでしたが、
盛岡市内であれば、地元本コーナーに
おそらく並ぶ(か並んでいる)はずです。
地元の方はぜひ、本屋でお手にとってご覧下さい。

けっこう長いこと続いた人気連載だったので、
岩手日報をごらんの方には、
すでにお馴染みのイラストなことでしょう。

しかし今日は、これだけ大勢が密室に集まり、
おまけに、家族中で一人だけまだ
新型インフルエンザに罹ってないという、
くらもちさんや似内さん(フリーの役者さん)が、
ものすごく近いエリアにずっといたというのが、


今一番の恐怖。

2009年10月17日土曜日

負け犬催眠

もりげき八時の芝居小屋「モノ・オペラ 声」
にも出演してもらった
友人のピアニスト、滝沢善子が、
岩手県立美術館のグランドギャラリーで
ミニコンサートに出演するということで聴きに行く。

数日前には、友人知人にも
ご案内メールを流していたのだが、
2、3週間くらい前に、盛劇で
ものすっごい「よれよれ」な風情で
感劇地図のスケジュール表校正をしている時に、
バッタリ出会った、小学時代からの(高校まで同じ)
同窓生(当時からフランス人形みたいに可愛い)と、
メルアドの交換をしたので、
ちょうどいいと思い、彼女にも送った。

そうしたら、他の同窓生たちにも連絡したらしく、
「○○と一緒に行きます」
という爽やかな返信が。

わー! もう、大変だ、と。

いや、善子はいいですよ、善子は。
だって、めちゃくちゃ綺麗に(もともと綺麗なコですが)、
ドレスを着て、かっちょよくピアノ弾きこなすわけですから。
ハレの舞台っすよ。おっけーっすよ。


問題は、自分だぞと。


普段はよしこのコンサートだろうとなんだろうと、
やす子(友人の民謡歌手)と一緒に、
Tシャツにくたくたのジーンズで、
勝手にクラシック鑑賞の敷居を低くした服装で
現れるワタクシでございますが、
ある意味、


プチ同窓会。


なわけっすよ。
女同士の視線に晒されるほうが怖いわけっすよ。
日常、すっぴんで盛劇に赴き、
年の近い異性でもあるH部さんやM浦さんに会って、
「いやー、大変っすよー。はっはっは」
とか世間話してても全然おっけーなのに、
(↑ お二人ごめんね。ま、既婚者にフェロモン出してもな)

同級生に遭うかもしれない恐怖というものは、
デート以上に服装に真剣に悩むわけっすよ!
(しかも、あとあとまで語られ広められそうだしな、
その時の服装とか、現況とか)

同性、怖し!!!

でもって、普段は善子とか、やす子のような、
「永遠の女子中学生」みたいな同世代とばかり
つるんでいるので、今日しみじみと、
「負け組」とか「負け犬」とか「アラフォー」
とかいう言葉が現実味を帯びて、
身につまされた。

世の37歳というものは、
こういう口調と雰囲気を身に纏って、
こういう話題をしているものなのか。

どんぐり拾いは楽しいな

なんてきっと、言ってないんだろうな。
(それは、年に関係なくそうだろう)

その後、感劇地図の最終校正をしに、
盛劇に向かい、肴町アーケードを通ろうとしたところ、
中学からの同窓である友人やす子が、
自分も出演する岩手芸術祭の民謡部門
「いわて民謡まつり」
(11月22日(日)県民会館大ホール)の、
告知宣伝を終えたところに遭遇した。

「なーんで、教えてくれなかったのよー!」
「今、善子のコンサート聴いてきてさー」
などとでかい声で大騒ぎしながら、
そういや「負け犬」ライフでも別に
愉快な日常であったわねということを思い出した。

ここでやす子に会わなかったら、
うっかり「婚活」にでも走るところであった。
アラフォー同級生怖し。

2009年10月14日水曜日

ミス喪服

私が今までに買った服の中で、
一番高いのはおそらく喪服である。
(成人式には参加すらしなかったので、着物も無い)
しかも、夏冬2着も持っている。

とりあえず、当時必要に迫られて
買ったものだったのだが、
ちゃんとした給料を貰っている時代に
買っておいて本当によかった。

ここ数年、年をとってしまった両親の代理として、
(ご近所や遠い親戚などの)
葬式に出る回数が飛躍的に増えた。
今年は現段階で3人。

というか、ここ3日の間に、
ご近所さんと、本家の伯父さんと立て続けで、
葬式、火葬、葬式(&法事)という生活である。
(あ、私は喪中ではないので年賀状は下さいね♪)


喪服、大活躍(←不謹慎)。


数年前には、昼前に中学の同級生の仮通夜、
午後から隣のおじさん(年齢的にはおじいさん)の
告別式という、
「葬儀のはしご」も経験したことがある。

でも、何度経験しても
葬式のマナーってのは慣れませんねぇ。
そして、年々、(学生時代以来の付き合い)という
お年寄りの弔辞に涙腺の緩みが加速度を増す。
弔辞というのは、なんと
ドラマティックな物語なのであろうか。


うちのおじさんは、アマチュアのカメラマンで、
観光協会の写真コンクール等によく出品していて、
岩手の年配の写真関係者には知られていたが

その昔は、演劇をやっていたらしく
地元で作られたラジオドラマ(NHK)が行われていた頃、
(地元の人はお祖父ちゃんやお祖母ちゃんに
訊いてみてください。意外と知ってると思います)
出演もしていたということで、

10年位前に「いわて演劇通信『感劇地図』」で、
当時の演劇状況を聴くという座談会に、
出てもらったことがある。

残念ながら、私はその時ちょうど勤務していた、
プラザおでってがオープンする前か何かの
大変な時期で、この座談会には
出席することができなかった。
かえすがえすも残念である。

でも、当時出席いただいた3人のうち、
うちのおじさんと、盛内政志さんは亡くなってしまい、
火葬に来ていただいた、
盛岡で一番長く女優を続けている
真木小苗さん(森光子と同い年らしい)には、
「一番古くからの友達だったのよ・・・」
と、しみじみと言われ、座談会を懐かしんでいただき、
あのタイミングで座談会で話を伺って、
紙におこしておいて本当に良かったと思った。

そして、今のうちに話を聴いて
おかなければいけない地元のお年寄りが
たくさんいると、改めて思った日でもあった。

もう90近くで亡くなったので、
そう悲壮感の漂う葬儀ではなかったのだが、
小さい頃にずいぶん可愛がってもらった思い出や、
豪快な笑い声が、ふと、思い出される。

年を追うごとに、
「無条件に可愛がってくれる大人」というものが、
こうして減っていくのだなぁ、と、
改めて思い、切なくなる。

2009年10月7日水曜日

アート@つちざわ&「南極料理人」

昨日の夜、てくりの高橋さんから、
急に明日都合がついたので、
アート@つちざわ(花巻市東和町土沢)に行きませんか?
とメールが入ったので、急遽行くことに決定。

(※ちなみに、アート@つちざわの詳細はこちら ↓)
http://www.arttsuchizawa.com/

やっぱり、こういう歩き回るイベントものは、一人で見てるより、
誰かと一緒に「あーだこーだ」言いながら見る方が楽しいですね。

時間足りねー!!

産直にも寄らず、萬記念美術館にも入らず
けっこうハイスピードでがんばって歩き回りましたが、
それでも商店街の裏通りと駅前は
タイムアウトで見れませんでした・・・。

やはり、途中でうっかり「どんぐり拾い」
に夢中になったのがいけなかっただろうか・・・(←それだな)。

あとですねー、今年は土沢地区だけじゃなく、
隣の晴山地区まで広がっていたので、
けっこうヘヴィでしたね。

高橋さんに車で連れてってもらえなかったら、
晴山地区のはまさんの作品とか、
土沢地区と晴山地区の中間地点にある、
アニアス・ワイルダーさんの作品
(↑ これ、オススメ!)とかまで
廻って歩くのは、
レンタサイクル使っても、ちょっと厳しかったかもなぁ。

で、こういうイベントの度に思うのですが、
「アートの定義」とは何ぞや? と。

もう、至る所に作品が潜んでいるので、
(だってさー、売り物のトイレのスリッパ群の中
にまで作品が潜んでたりするんですよ)
私と高橋さんは次第に、商店街の何かの飾りや、
土崩れを防ぐネットまでが、
「・・・もしかして、これも作品・・・???」
と、疑心暗鬼(?)になりだしのでありました。

でも、相変わらず(作品展示できる)廃屋や空き家が
多いのはちょっと複雑な気持ちになりますね。
このイベントが開催されていない時期は、
この廃屋とか空き家とか、そのままなのかなぁ、とか。
なので、

「この空き事務所の中に長内先生を抛りこんでおくと、
あっという間にギャラリー作ってくれますよ」

などと、好き勝手な事を高橋さんに吹き込んでおく。

・・・いや、長内先生ならやりかねないかも。

(ちなみに、肴町のただのビルの事務所を
「風のギャラリー」に作り変えたのは長内先生である)


※ちなみに、2007年に行ったときのブログはこちら ↓
(やはり、この年も(別の)ヒトヅマと行っていた私。
そして今年も小桜家で鰻丼を食っていた私。
私ゃ、オヤジか)

http://morioka-zsk.blogspot.com/2007_11_01_archive.html#7458737182651365768

http://morioka-zsk.blogspot.com/2007_11_01_archive.html#2339933324376643476

********************

あ、話は全く変わるんですけど、
盛岡に帰ってきて、高橋さんに
映画館のフォーラムの近くで降ろしてもらい、
『南極料理人』を見てきました。
(9日で上映終了)

いやー、なんかとぼけた感じが面白かったです。
つい、パンフも買っちゃいました。
買ったら、「そんなネタもあったのか!」
と思って、また見たくなって困ってます。
皆さんも、機会がありましたら、DVDでどうぞ。

(↑ って、ここまで書いてから上映時間見直したら、
16日まで12:50、一回上映に変更でした。
行ける方はどうぞ・・・って、盛岡限定情報でした。
どうせなら、食事時間の2時間前上映スタート
だったら面白いのに。ちょうどおなか空くし)

※こちらは、映画「南極料理人」公式サイト ↓
http://nankyoku-ryori.com/

※こちらは主演の堺雅人が、「ほぼ日」で糸井さんと
「南極料理人」について対談している特集 ↓
http://www.1101.com/iijima_shokudo/sakai/index.html

ちなみに私は、「ドラえもん」の登場人物の中では、
出木杉くんが一番好きで、
私がしずかちゃんだったら絶対に、
のび太じゃなく、出木杉くんを選ぶのに!
と、真剣に(?)考えてるのですが、
(だって、自分の日常生活がのび太っぽいから)
オトナグリコCMの「ドラえもん」バージョンがあったら、
出木杉くん役は、堺雅人ですね。

2009年10月4日日曜日

「LOVE LOVE LOVE」

先日、「バリバリの恋愛ソングも(翻訳)制作中」と、
ブログに書いておりましたが、
いわゆる「王道の恋愛ソング」とは何ぞや?
という難題が。

「真夏の果実」はもう作っちゃったし、
http://morioka-zsk.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#1793122581082588642

藤井フミヤの「TRUE LOVE」とか、
米米クラブの「浪漫飛行」とか、
チャゲアスの「SAY YES」、
尾崎豊の「I LOVE YOU」とか。
ウルフルズの「バンザイ」あたりも?

と、思ったら、普段は全然気にしないんだけど
なんだかほんと、歌と世代って密接に
関わってくるのだなあと思いました。

披露宴だと
安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」、
SMAPの「らいおんハート」などが
出し物で歌われてますが、
もうこの時点で私はギブアップです(←早っ!)。

ていうか、カラオケ行かないから
歌がよくわかんないんですよね。
最近だと、絢香とかですか?
もう全くもってわかりません。

と、いうことで今日は
ドリカムの「LOVE LOVE LOVE」です。
直也くんとはまさんの結婚祝いにしようかと思ってましたが、
よくよく歌詞見ると、これって、
失恋か片思いの歌なんですか?
(↑ ほんとに流行り歌に疎くてスミマセン・・・)
ん? 違う???
祝い歌はまた、別なものを翻訳することにします。

でも今回、盛岡ことばの女性らしさと口語体が
うまい具合にのった気がするんですけど、どうっすか?
ラストがちょっと改善の余地ありか。

********************

「LOVE LOVE LOVE」

作詞:吉田美和
作曲:中村正人
唄  :Dreams Come True
翻訳:盛岡絶賛系


ほに なしてだべ
ほんでくてねンたけ 好ぎだってコド
ぺっこ 言(そ)いてぇだけだっとも
ルルルルル
うまぐ 言(そ)わさらねぇんだぇん

ほに わんつかばり 夢で会いてぇと思わさる
晩(ばんげ)さ限って 一度(いぢど)も
ルルルルル
出はって来てくれねぇんちぇ

ほに なしてだべ むったくた好ぎな人(ひど)さ
「好ぎだ」って言(そ)うだけで
ルルルルル
涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

お前(め)はんのコド おべた日が
わんつかづつ 思い出さ なってっでも

お前(め)はん好ぎだ お前(め)はん好ぎだ
ルルルルル
ほに なしてだべ
涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

涙っコぁ 出はらさるんだぇん・・・

LOVE LOVE 「好ぎだ」って叫ぶむしぇ
          「好ぎだ」って呼ばうむしぇ
LOVE LOVE 「好ぎだ」って叫ぶむしぇ
          「好ぎだ」って呼ばうむしぇ

********************

ところで、RCサクセションの
『雨上がりの夜空に』も、ちょっと訳してたんですよ。
でもね、この歌は
ちょっとセクシーな暗喩もかかってるんで、
下手な訳をのせてしまうと、ただの


田舎のオヤジのエロトーク


みたいになってしまって、どうしても、
キヨシロー詞の持つ、粋さとか可愛げが
消えてしまうという問題が。

「何如(なじょ)したんだぇん? Hey Hey Baby
バッテリー ハァ ビンビンだべ~ ♪」

だと、ちょっとちがうよなぁ。
セツナサ系では『スローバラード』の方が向いてそう。

歌詞に出てくる「市営グランドの駐車場 OH」は、
盛岡バージョンでは
「三ツ割(みづわり)の球場の駐車場 OH」かな。

「三ツ割の球場の駐車場」で、
「あいづと 毛布さ 包(くる)まさって」
「昨日(きのな) ハァ 車っコの中(なが)で 寝たんだぉん」

あ、意外と情景が目に浮かぶかも。

2009年10月3日土曜日

大宴会2009

今日は、「動物哀歌」と「モノ・オペラ 声」で、
舞台美術を担当してもらった高橋直也くんと、
美術家(舞台美術も手伝っていただきました)の
はまちひろさんの披露宴(大宴会2009)があり、
大清水多賀に行ってきた。


いやもう、面白かったですね!


大清水多賀で立食パーティー
っていうのも想像つかなかったけど、
それ以上に、披露宴がとにかく楽しかったです。
あれは披露宴なのか?
(あ。大宴会って書いてたか)

新郎新婦の席はなく、お色直しもなく、
キャンドルサービスも、ナミダの母への手紙もなく、
ケーキカットしたケーキは相手に食べさせることなく、
お互い自分で自分の口に入れて司会にツッコまれ、
ずっと新郎新婦は羽織袴と着物で会場を廻って、
出席者と話をして歩き、
看板と出席者のネームプレートは新婦お手製。
二人の生い立ちスライドショーは、
新郎のパソコン操作。

要所要所の仕切りと司会は新郎新婦が行い、
ハナヨメ自ら、豪華景品大量準備の
じゃんけん大会を仕切り、
主賓挨拶で最後の言葉が新郎の、
「では、ここでイベントの告知を・・・」と、
ハナヨメの参加している美術展ご案内。

帰りに新郎新婦からいただいてきたお土産は、
「チョコボール」(これくらいあれば、一人くらいは
金のエンゼルが当たるのではないかという
二人の期待のこめられたプレゼントでした)

百数十人(くらいだった?
 全然人数把握してないけど、とにかくいっぱい)の、
出席者の8、9割が10・20代で、
(↑ 10代は直也くんの美術部の教え子たち)
出席者のやはり8、9割が美術関係者という、
権威も格式もないけど、とにかく華やかで楽しい宴は、
岩手の美術界の未来の明るさの象徴のようでした。

それにしても、はまさんの恩師は
揃いもそろってキャラが立ってて面白かった。

「新郎の直也くんにお願いがあります。
はまちひろを、風呂に入れてやってください!」

と、中学の恩師(♂)に披露宴の席で言われる
新婦がいたということは、
将来私の輝かしい思い出の一ページを飾る
貴重な出来事になるに違いありません。

恩師A 「この子は、ずっと絵を描き続けているので、
      きっと、ほうっておくと風呂に入るのを忘れます!」
恩師B 「先ほどA先生は、風呂の心配をされてましたが、
     私は、トイレも行かないんじゃないかと
     心配しています」


はまさん、キミはいったいどんな生徒だったんだ。


あと、
「卒業のときに記念に書いてあげた言葉は『生涯独身』」
とか、
「私は担任じゃなかったのに、なぜか今日呼ばれまして
・・・・・あれ、俺、担任だった? 3年の時の?」
とか、
「高校のとき、将来の夢に『キリンに乗りたい』と書いていた」
とか。

鉄板ネタ持ちすぎですよ、先生方!

つくづく、今この席でスピーチを頼まれるような
立場じゃなくて心底よかったと、安堵。
(誰がこの盛り上がりのスピーチの後で話せるものか)

きっと、この二人が別れるとか言い出した場合は、
今日ここに出席した友人知人全員が、
必死で「それだけはさせるものか」と説得するに違いない、
と、思うような心に残る披露宴でした。

そうそう、はまさんのお父さんは、
さすがに今日はジャージとパーカーではなかったよう。
(いや、出席者に濃いキャラ勢ぞろいで、
どこに二人のご家族がいるのか全然わからなかったので、
実は着ていたかもしれない(←まさか))

そして帰り際、新郎から掛けられた言葉は、

直也 「あー、今日さわのさんと話できなかったなー!
    ・・・・・ま、そのうちどっかですぐ、会うよね?」

あー、そうですね。
これからもお二人、どうぞよろしくお願いいたします。

2009年10月1日木曜日

ボサノバと影武者所長の繋がりは

cartaさん主催のコンサート、
「吉田慶子+笹子重治 DUO LIVE」
を聴きに、内丸教会に行ってきた。

お洒落なボサノバを聴く機会なんて、
ここ最近はほんとうに無くなっていたので
とても楽しみに。

しかも、教会でコンサート!
そう滅多に入れるところでもないですしねぇ。

えっ、さわのさん、ボサノバとか聴いたりするの?

とか、思う方もいらっしゃるでしょう。
それが意外なことに、CD持ってるんですよ。

私はTHE BOOM
(及びGANGA ZUMBA)のファンなので、
ていうか、ヴォーカルの
宮沢さんの崇拝者(?)なので、
宮沢さんセレクトの南米音楽CDとか
いろいろ持ってるんです。
ま、2、3枚程度だとは思うんですけども。

THE BOOMの宮沢さんといえば、
沖縄音楽から、スカ、フォーク、テクノ、
ロック、レゲエ、ヒップホップ、ポエトリーリーディング、
南米音楽でもボサノバ、ブラジルロックなどなど、
ありとあらゆる国の音楽やら表現やらに興味を持ち、
自分の中に咀嚼してアウトプットする
というタイプのミュージシャンなので、
おかげでファンである私は、
色々な音楽を抵抗なく聴く素地を作ってもらいました。

(しかし、途中からそういう方向性に移ったバンドなので、
最初のころはかなり戸惑いながら
ついて行ったファンの一人でもあります)

岩手民謡、クラシック、ポエトリーリーディングを、
何の抵抗もなく、普通の舞台に
乗せてしまおうとする感覚は、
THE BOOMを聴いて育ったおかげといっても
過言ではありません。

とはいえ、数多あるコンサートのうち、
聴きに行こうというきっかけになるのはやはり、
信頼できる方々のお薦めであるというのは大きいですね。
「この人が薦めるんだから、いいコンサートに違いない」
みたいな。
ワタクシもそういう信頼ブランドになりたいと
思いながら日々精進でございます。

そんなわけで、内丸教会でボサノバ。

ボサノバがほんとうによく似合う声をお持ちの
吉田慶子さんは、福島在住で
東北を中心にライヴ活動をされている方だそうで、
今日は3時間車を運転していらっしゃったらしい。

「福島の相馬というところから来ました」
「野馬追いが有名です」
とおっしゃった途端、野馬追いといえば、
私の中ではもう、ブログ「相馬弁研究所」が、
やたらと脳裏をよぎり、

(ちなみに、こちらが相馬弁研究所のブログ ↓)
http://blog.goo.ne.jp/kage-yh7

お洒落なボサノバを聴きながらも、
「いやぁ~、ホレにしてもアレだなぁ~」
「あやまっちま~な~」
「ま、ほんなコトはど~でもいいげんちょ・・・」
などというフレーズ(&時々下ネタあり)がまとわりついて
困ってしょうがなかったので、
休憩時間中に、相馬弁研究所の影武者所長に、
クレーム(?)のメールを送っておいた。
(↑ 所長いい迷惑)

あんなステキなコンサートでそんな事をこっそり
脳裏をよぎらせていた観客は私くらいなものであろう。

ちなみに、野馬追いが有名なのは「相馬市」ではなく、
「南相馬市原町区」らしい。
(所長からのツッコミ返信による情報)
失礼しました所長。その通りでありました。

しかし、一度も足を踏み入れたことのない南相馬市が、
どんどん身近になっていく不思議さよ。

あ。

コンサートの感想全然書いてないや。
(素晴らしかったのは前提で書き進めてますから。
どうしてもネタだけで長くなってしまう不憫な私)

2009年9月20日日曜日

木村指令を遂行する

てくりの木村さんが、
「小岩井のCRAFT市に来てね。バスと電車で来れるから」
というので、ほんとにバスで小岩井農場まで行ってきた。

今日と明日、小岩井農場隣の
お店「どんぐりコロコロ」の隣の森で、
『森の暮らし たいまぐら便り』の著者・安部智穂さん
(※本はこちら ↓)

http://store.shopping.yahoo.co.jp/7andy/32091515.html

が主催するCRAFT市が開催され、
安部智穂さんからお声のかかった
全国各地のクラフト作家さんが、各々テント一区画分で
自分の作品を販売する、
ハイレベルなフリーマーケットみたいな?
(たとえが上手くできないのですが・・・)イベントである。
今年は80くらい集まったそうな。

その中に、てくりさんも一区画参加し、
「てくり」バックナンバーと、てくり別冊「てのて」、
てくり特製てぬぐい、
安部智穂さんの「森の暮らし たいまぐら便り」を販売。

・・・ということもそんなに詳しくわからないまま、
「木村指示」による催眠状態で小岩井に向かう。

アレですよ、ドラえもんの秘密道具でたまに、
「一回出した指示は、どんなことがあろうと
遂行し終えないととまらない道具」
とかがありますけど、あんな感じ。

「なぜ私は、たった一人で大混雑の観光地・
小岩井農場に公共交通機関で行かなければならないのだ」
と、思ったら負けである(←なんの勝負なんだ)。

田沢湖線で小岩井駅に行き、そこからバスに乗るか、
駅から小岩井農場までバス一本で行くかを検討するため、
盛岡駅に着いてから(!)調べたところ、
ちょうどいい時間で、盛岡駅から小岩井農場まで
直通のバスが出ていたので、それで行くことに決める。

出発10分前にバス停に着いたら、大行列。
イオンショッピングセンター行きも同じバス停だったので、
「イオンにも、けっこうバスで行く人多いんだなぁ~」
とのんきに思っていると、先に来た
イオン行きのバスには数人しか乗車せず。


えっ!?

あとみんなこの人たち、小岩井農場に行くの???


その後もあとからあとから行列に人は増え、
「・・・今から30分立って行くのか・・・。しかもきっと渋滞・・・」
と行く前からどんよりしていたら、
現れたのは大型観光バス。
全員ゆったりと椅子席で出発(でも、8、9割は埋まってたと思う)

そして、未だに謎なのだが、この直通バス、
全く渋滞に引っかからず、
めちゃめちゃスムーズに農場まで着いた。

てっきり
「そうかー、高速道路が安いから、
みんな高速道路使うような観光地に行ったんだなー。
意外と、小岩井農場すいてんのかなー」
などと勘違いな事を思うくらい、
ひと気の無いマニアックな道路を、
この直通バスは使っていた。
小岩井農場の入り口付近まで来て驚愕。

めちゃめちゃ大渋滞じゃないっすか!!!

なんでも、車で来た人情報によると、
小岩井農場入り口から3キロ強の渋滞だったそうな。
そして、とめるところが全く見当たらない、
大混雑の大駐車場。

みなさん、
意外とバスで小岩井農場、お薦めですよ。
(盛岡駅-小岩井農場ノンストップ、片道720円)
ちなみに今日は「バスの日」で、
小学生以下はバス料金無料だったそうな。

そんなこんなで、昼から何気に私も
「てくり」販売のお手伝いもちらっとしてました。

「てのて」を指さして、「買いましたよ!」
と言って下さったお客さま、大変申し訳ありませんでした。
「ありがとうございます!」と笑顔で返事をしたワタクシは、


「てのて」を一切作っておりません!


木村さんがたまたま席を外してた時に、
木村さんを差し置いて、
まるで自分一人で「てのて」を作ったかのような笑顔で
対応いたしましてただ今、とても心苦しく思っております。

それにしても、てくりの威力。
ここ数日、木村さんや高橋さんと一緒にいたため、
てくりファンの方々に、
「・・・あぁ、『あの』!」という反応をずっとされていた。

「金曜に、十一月さんにいらしてた時、私もいたんですよ!
・・・その後、ブログ見たけどまだ、書いてないみたいですね」



すみませんすみませんすみません!!!!!



今日、今日! 今日アップしましたから、ちゃんと!
最近ちょっとサボってましたっ!!

帰りに木村さん一家の車に乗せてもらって帰る事になり、
CRAFT市の出口で、木村さんたちと一緒に、
安部智穂さんに挨拶して出ようとしたら、
智穂さんに声をかけられた。

智穂 「・・・なんかどっかでお見かけしたことがあると
     思ってたんですが、
     あの「赤いスイートピー」の・・・!」

てくり、こわい。

2009年9月19日土曜日

わらしべアートツアー

昨日、スーパーでバッタリ会った、てくりの木村さんに
「どぉぉぉして今日、Holzに来なかったのよ!」
と、責められたので、菜園のHolzに出向く。

ただ今Holzさんでは、てくりさんの別冊「てのて」の
発行を記念して、

「「てのて」の展」

を昨日から開催中。
陶器、南部鉄器、ホームスパン、竹細工などなどの、
岩手の工房を取材した本で、
それらに掲載されている作品を販売している。
※詳しくはてくりさんとHolzさんのサイトで ↓

http://www.tekuri.net/

http://blog.livedoor.jp/holz/

木村 「あと、『岳』と『深夜食堂』(どちらもマンガです)の、
     まだ読んでないやつ、貸してね ♪」

と言うので、一緒に『暴れん坊本屋さん』全3巻と、
まだ返してなかった
『動物のお医者さん』(上記全てマンガです)全巻も併せて、
紙袋に2つ抱えて、オシャレなHolzさんに入店。
誓って、決してオタクではありません。
(アキバ系なおにーさん達が読むようなマンガは一つも無い)

昨日は、料理好きな高橋さんに、
『クッキングパパ』を大量に紙袋で渡したので、
気分は、貸本屋さん(いや、全部マンガだけど)。


ていうか、ジャイアンのご機嫌をとるスネ夫みたいだ。


そんなスネ夫・さわのの紙袋の物量に驚く
てくりの水野さんと談笑しつつ、
Holzさんとは、昨年のbook cafe以来ご挨拶してないし、
私のことは覚えてないだろうなぁと、
こっそり存在を消しながら作品を眺めていると、
逆にHolzさんからご挨拶されてしまった。

あああぁぁぁぁぁ!
そんな、先にご挨拶していただくような
大そうな人間じゃないのに私!
オトナなんだから、ちゃんと挨拶しようよなー、私。
(深く反省)

会場では、元(今も?)シネマストリートプロジェクトの
彩子さんにバッタリ会い、一緒に作品を眺めた後、
てくりの木村さんに、

木村  「明日は、小岩井のクラフト市にいるから来てね。
     大丈夫。バスと電車でちゃんと来れるから」

と、明日の指示を受けてから
(↑ まるで、体育会系の先輩と後輩の関係だ)、
肴町の風のギャラリーで行われている、
「いわてアート・バトル ~異種格闘展、五番勝負~」
を見に向かう。
※こちらは、盛岡市ブランド推進課のサイトより ↓

http://moriokabrand.com/modules/news/article.php?storyid=86

9月下旬からは、「モノ・オペラ 声」で
写真展でお世話になった黒澤さんが展示予定。
(おそらく、写真じゃなく版画の方かな?
黒澤さんは、今年も岩手芸術祭版画部門で受賞してます)
今日は、石川優太さんとコバヤシケンジ子さんのバトル展中。

すると、会場でバッタリまさやさんに会う。
まさやさんは、盛岡のフリーの役者さんであり、
プロのマンガ家さん(ユニット「にざかな」の「かな」さん)。
先日は、石神の丘美術館の
岩手の漫画家展にも作品が出ていた女の子である。

そのまさやさんが、
「今、肴町のフラッグアート展の
作品描き終わってきたところなんです~」
というので、せっかくなのでその足で
肴町アーケードのフラッグアート展に向かうと、
今回のこの一連のイベント(アートスクエアinいわて)の、
実行委員である舞台美術家の
長内先生(昨日のブログ参照)に、
バッタリ会う。
※フラッグアート展のサイト(肴町商店街)はこちら ↓

http://flagart.sakanacho.com/

ちょうど昨日、長内先生のとこの工房に行ってきたんですよ!
と、十一月さんのお店を熱く語ったりなどしつつ別れ、
アーケード内に展示している
フラッグアートを見上げながら歩いていると、

今度は、てくりの大関さんにバッタリ会う。
(大関さんは、肴町商店街の
青年会?実行委員会?の方でもある)
肴町商店街って、いつも賑わっててがんばってますよねー、
などと感心しつつお別れし、

その足で今度は、美術家のはまさんが展覧会をしている、
旧石井県令邸(盛岡市清水町7-51)を見に行くと、
ちょうど、はまさん本人に会うことができた。
花ヨメ・はまさんには、

さわの 「ちょっとー、披露宴にナニ着てけばいいのよー」
はま  「ほんと普通の格好でいいですよー。
     たぶんうちのお父さんはパーカーとジャージですよ」

と、大ウソを吹き込まれてくる。
なにはともあれ、はまさんご結婚おめでとう。

その後、岩手公園の
「盛岡彫刻シンポジウム野外彫刻展」を見てから、
内丸の喫茶店cartaさんへ。

cartaさんでは、
「Holzさんに行きましたか?」
と、まるで私の行動を見てきたかのような事を訊かれる。
(だって、昨日始まったばかりなのに!)

それにしても今日一日で私はいったい、
何人と偶然バッタリあって立ち話をしたのだろう。
つくづく、日常の身なりには気をつけないといけない、
ということを痛感する。
(そして忘れてまた痛い目に遭う)

2009年9月18日金曜日

高橋さん、木村さんもデートしたいって言ってましたよ。

午前中は、医大の定期外来。
猛威をふるっているらしいインフルエンザの影響で、
病院内が物々しい雰囲気に包まれている。

こんな所にいたら、
採血した傷口から菌が入り込んだりなんかして
よけいインフルエンザに罹っちまいそうだわと、
早々に退散し、外に出てから携帯に電源を入れると、

てくりの高橋さんから、
今日お休みなんだったら、
明日の午前中に行く予定にしていた
十一月さんのお店に午後から行きませんか?
というメールが入っていたので、
速攻OKの返信をする。

十一月さんというのは、
岩手山麓の長内工房内にある
クラフト作家さんのお店で、
土日はめちゃくちゃ混むらしい。
なので、明日より今日のほうが
まだゆっくりできるかもという高橋さん予想。

ちなみに、長内工房は、
彫刻家&舞台美術家
(今年の盛岡市民演劇賞舞台美術部門受賞)で、
盛岡の演劇人のその殆どといっていいほどが
なにかしらどこかでお世話になっている
であろう長内努さんの
奥様(陶芸作家さん)の工房である。

長内先生、いつもこんな遠いとこから
盛岡に来てたんですね・・・。
ていうか岩手、土地は広いが人のつながりは狭い・・・。

(ちなみに、次の日にたまたまバッタリ
長内先生に会って伺ったところ、
十一月さんのお店や、お店の前のベンチは
全て長内先生の手作りらしい。
がしかし、これまでの長内先生の
舞台美術の数々を知ってれば、
そう驚くことでもないかもしれない。ていうか
「ああ、やっぱり」と思った私)

車のない私には、これまで
全く行く機会のない場所だったのだが、
今、岩手山麓には、数多くの陶芸作家さんや、
木工作家さんやらなにやらのクラフト作家さんが
結構な人数住まわれていて、
よく工房まつりとか工房フェスタとかを開催し、
盛況なのだそうである。

十一月さんのお店にいらっしゃるA.O.さんは、
お作りになるバッグが大人気で、
岩井沢家ギャラリーや、
Holzさんで販売を兼ねたイベントをすると、
たくさんのファンが集まり、大混雑なのだそうな。
(全てが伝文体で申し訳ない。
だって、車がないと行けないイベントばかりなんだもん)

もう、こんな日にはインフルエンザウィルス払いに
岩手山麓に行くしかないでしょう。
マイナスイオンよ、マイナスイオン。
私にまとわりつくインフルエンザ菌を払っておくれ。

そんなこんなで、おもちゃみたいに可愛い
ちっちゃいお店でコーヒーをいただき、
トンボを指にとまらせたり、
昔はよく家の周りに咲いてたけど
最近見かけなくなったような草花を懐かしみ、
謎の赤い実を齧ってみたりと、
すっかりオトメゴコロ満喫。

それにしても、先月の松ぼっくりや風光舎といった、
小岩井周辺のお店の混み具合といい、
今日の十一月さんといい、
こういうところ
(下手すると過疎地になりかねないような土地)が
街からのお客さんで混むってすごいよなぁ、と、
改めてその底力に圧倒された。

その後、盛岡に戻ってきてから、
高橋さんに近所のスーパーで降ろしてもらって
買い物をしていたら、
今度はてくりの木村さんファミリーにバッタリ会ったので、
今日、高橋さんと岩手山麓に行ってきた話をする。

さわの 「あと、帰りにマイヤーリンクでケーキ食べて、
      カワトクの全国うまいもの市とキューブⅡも行きました」
木村  「ほんとにデートじゃん」


まったくですね。


木村  「いぃぃぃぃぃ~なぁぁぁぁぁ、さわのさんばっかり~。
      私だって、ヒトヅマとデートしたーい!」
さわの 「独身30代はダメですか? 私ならいつでも・・・」

辛気臭い30代独身女より、
いつも笑顔でカワユイ20代のヒトヅマがモテるのは、
決して、異性に限った話ではないことを、
夜のジョイスで痛感する。

2009年8月29日土曜日

「高橋直也展」に行く

「動物哀歌」や「モノ・オペラ 声」の公演時に、
舞台美術でお世話になった直也くんが、
初個展をする(30日で終了しました)ということで、
花巻の湯本美術展示館まで行ってきた。

直也くんとはもう、8、9年くらいの付き合いになり、
それこそもう、大学2年か3年生くらいの頃から知ってて、
近所のスーパーでレジのバイトしてたのなんかも見てるので、
新聞記事で年齢が(29)とあって、遠い目になる。

そんな直也くんは今や、高校の美術教師になり、
教え子を何人も
高文連の美術部門で全国大会に出場させたり、
岩手大学の芸美に入学させたり、
この話の流れでは関係ないけど
今年の4月には結婚なんかしちゃってもう、
おねーさんは、びっくりさ!

だが、今までは合同展の企画などは主宰者として
いろいろよくやっているが、
個展をするのを見たことがなかったので、
自分が表現者であるというスタンスよりも、
表現者を育てたり、プロデュースしたりという方が
好きなのかとずっと思っていたので、
個展の知らせにすごくびっくりした。

なので、来ちゃいましたよ、湯本!

まず、東北本線で「花巻空港駅」に到着し、
駅前のバス停で、土日はバスが運休という事実に驚愕。
(花巻駅まで行ってからの方が、バスがあったようである)
しかも、平日一日2本だけ!!

会場は、駅から徒歩で40~50分程度。
盛岡市内であれば余裕で歩く距離ですが、
見知らぬ土地なのでタクシーです。
湯本体育館のところで降りて1300円。
メーターにドキドキですよ。

会場では、展示館のオーナーに、
タクシーで来たと話すと、とても驚かれ、
「次に来るときは、ここに電話してください!
私が迎えに行きますからっ!!」
と、説得され、直也くんには、

「まさか、車以外でここに来る人がこんなにいるとは・・・」

と、半ば呆れられる。
(私の来る前に来たお客さんも、車で駅へ送ってきたらしい)

よきことではないですか。
それだけ直也くんの作品見たいって事っしょ?
ま、でも、普段から萬美術館や石神の丘美術館に、
列車で行くような私でも、今回はちょっとひるみましたね。
直也くんの初個展じゃなかったら行かなかっただろうなぁ。

これからは、恋人(ていうかもう、奥さんね)の
個展プロデューサーから、
「夫婦展」の当事者にシフトしていくのですね。
そちらも楽しみにしています。
この度はおめでとう。

だというのに、手ぶらで行った挙句、
帰りは駅まで送ってもらってどうもすみません。
(↑ 失礼な客の私)

2009年8月28日金曜日

こっそり生誕37年

仕事を終え家に帰る途中、
本屋で藤子F不二雄全集の「ドラえもん 2」等を買い、
(↑ 意外と買うのに勇気が要る)
ワインと、スーパーの惣菜などを買って家に帰り、
ダラダラと酒を飲んで酔っ払いつつ
買ってきた「ドラえもん」を読み、
そろそろ寝ようかと、ヘロヘロの状態なところに、
大笑いしている母に声をかけられた。


「・・・・・もしかして、今日いずみ、誕生日だった?
(うひゃひゃひゃひゃ)」


ああ、そうですとも。
両親に気づかれないまま、今日が終わるかと、
わざと黙っておりましたとも。

母よ、その笑いは、
「娘の誕生日、気づかないなんて私ったら・・・」
という自虐の笑いだったのですか、それとも、

「いい年して、誕生日に誰とも一緒に
ご飯も食べて帰って来ないなんて・・・」
という嘲笑だったのですか。

いやもう、37歳なんで、気づかずにそっとしといてってば。
うわ、37だってよ。マジかよ。

2009年8月26日水曜日

ヒトヅマとの短い逢瀬は

平日の昼下がりに私とデートしてくれる
キトクなヒトヅマといえば、
ご存知、てくりの高橋さん。

今日は、雫石のお店・まつぼっくりまで、
ジェラートを食べに連れてってもらいました。

いやー、ふだんドライブデートなんかするこたぁないですから、
平日の午後に、こんなに山奥のアイス屋さんが
大混雑なんて、思いもしませんでしたよ。
皆さん、ドライブ満喫ですね。
車を持ってる人はいぃなあ。

・・・はっ!!
私の思想に乱れがっ!!(←単に免許持ってないだけです)

これからも皆さま方の助手席でがんばります。
どうぞよろしく。
その代わり、「助手」席にいても、
なんの助手にもなりません。
いやむしろ、足手まといです。
私が座ると「邪魔席」です。

隣でずっと、
「あ、今変な店が・・・」とか、
「この庭の花、珍しい!」とか、
運転の妨げになる情報しか伝えてません。
高橋さん、いつもいつもスミマセン。

そんなこんなで、雫石の山々を見てココロ潤し、
帰る途中に、てくりの木村さん情報だという、
雫石に新しくできた喫茶店に立ち寄る。

これがまた、とってもステキな喫茶店で、
滅多に来られない場所だし、
せっかくなのでデザートも食べたいなぁと
思いながら席に着くと、注文の前に、
「申し訳ありません、今日はケーキが終わってしまいました」
とのこと。

こんな山奥の平日の午後(←しつこい)、
ケーキ売り切れとな?!
なんだ、なんなんだこの、みんなの情報収集力は!
すごいなぁ、人気なんだなぁ、ちょっと残念だなぁ、
などと思いながらコーヒーを頼むと、

お店の方が「今日は申し訳ありません・・・」と、
ちょっとした、チョコレートだとかお菓子を、
サービスで持ってきてくださった。
その他、お店の隅々に気遣いが行き渡っている。
大きな窓からは、山々の眺めが素晴らしい。

なんでも、東京の知る人ぞ知る超有名喫茶店で
修行されてきたご夫妻とかで、
コーヒー通な方が唸るような味らしいのですが、
どシロウトな私たちは、
「コーヒーの味はわかんないけど、すっごい気に入った!!」
という感想を持って帰ってきたのでありました。
(↑ すいません、美味し○ぼみたいなコメントができなくて)

小岩井の有名な一本桜のある道路を、
松ぼっくりのお店に向かって車を走らせていくと、
右手に「風光舎」という看板が見えてきます。

という情報だけで、皆さん、がんばってたどり着いてください。

cartaさんとか、六分儀さんとか、
ふだん私のよく行く喫茶店というのは、
もちろん味もとっても大事なんだけど、
行き着くところはやはり、
「お店の方の人柄」であるのだなあと、今日つくづく思った。




というまとめ方をしておいてなんなんですが、
今日のドライブで最終的に出た結論は、

さわのさんは、何気に「しらす好き」。

そんな話題は、また、別の機会に。

2009年8月16日日曜日

舟っこ流しを最初から見る

お盆満喫ライフ最終日は、やはり盛岡人ならこれです。

「舟っこ流し」

(※ちなみに、こんなの ↓)
http://www.iwatetabi.jp/event/detail/03201/27.html

これ、地元の人間でも最初から最後まで見た人って、
少ないんではないかと思われます。
19:00からの花火大会は見る人も多いと思いますけどね。
私も若いころは、中高時代の友人たちと
「花火見に行こう!」と誘い合って、
花火はよく行ったものです。

もう最近は、そんな友人たちも
県外に行っちゃったりとか、
結婚、出産、子育て、仕事でとか、
もうなかなか「花火見るためだけ」に
集まる機会も少ないですが。

でまあ、話は戻りますが、
これはあくまでも「花火見る」のが目的。
大体は、舟っこ流しが終わりかけくらいを
待ち合わせ時間にしてから、
会場の明治橋のたもとにたどり着くので、
今までは燃え尽きた舟の残骸しか
見ることはなかったわけです。

ま、ね。
地味なイメージだしね。
(↑ 地元民が言うな)

それを、あーた、始まりの読経から見てきましたよ!

この日は、劇団ゼミナールの20周年記念公演を観てから、
その足で盛岡劇場から明治橋へ。
16:00過ぎくらいに自転車置く場所と
お茶の自販機を探してふらふらしていると、
それぞれの町内会で作った「舟っこ」が、
盛岡秋祭りの山車みたいに曳かれてやってくるんですよ!

うわ、燃える前の舟っこ、初めて間近でみたかも!
私は南大通側の川原で見てたんですが、
仙北町側だと、本部があるので
もっとたくだん、でっかい舟っこが勢ぞろいしてて、
「あー、双眼鏡が欲しい!!」
と、身もだえしました(でも、この日は風下で煙そうだった)。

いやー、5、6艘くらいかとずっと思ってたんですが、
あれ、毎年16艘も燃やしてたんですね!?
(↑ ほんとに私は観光協会に7年もいたのだろうか・・・)
しかも、結構危険なのね!?

なんつーかこう、牧歌的に、
木枠と紙のはりぼての舟を、
お経唱える中で燃やす、お盆の行事。

などとずっと思ってましたが、
火薬バチバチ・花火ガンガンで、
いくら水の中で舟引っぱってるとはいえ、
ほんとにあれ、火傷する人いないんですか?!

「熱っ! あっつ!!」「やべ、やべ、やべ!!」
という声がかなり聞こえてきましたよ?!

長いこと私は、大阪のだんじり祭りの映像を、
テレビで見るたびに、その危険な絵面に、
「こういうテンションは岩手にはないな」
と思ってましたが、いやいやいや、
こっちの方がよっぽど危険ですよ。
だって、裸に大火に火薬で、大きな川に入水ですよ!
よく今まで死人が出ませんでしたよ!
繰り返しますが、16艘ですよ!

今日はいつもより「!」をばら撒きでお送りしております。

いやー、まぁでも全体的にオトナの祭りなので、
(お盆、送り火、読経などなどのイメージ)
さんさ踊りの時などにわらわらと湧いてくる、
「キミたち、普段はどこに生息してるんだ???」
という風情の危なげな若いおにーちゃんもあまりいず、
若いカップルも少なく(←花火前になると急速に増える)、
盛岡の良き風景という感じでした。
(あと、山梨の南部藩の投げ松明ってのもやってました)

でも、さすがに16:00から見るのは早かったかなぁ。
16:30から開会と読経のあと、
17:30からの舟に流すスタートまでには
かなり時間が空くので、
一人で時間を潰せない方は飽きるかも。
(しかも、夕方とはいえ日差しがまだ強い)
17:30ちょい前くらいから見るか、
その空き時間の間にビールとつまみを買いに行くか、
てな感じでしょうか。

花火大会が終わるのが19:50くらい。
それくらい時間のある方、来年はゼヒ!

2009年8月15日土曜日

ちょっとトウのたった、ひまわり娘

♪ 誰のぉ~ ためにぃ~ 咲いたのぉぉぉ~
  それはぁ~ アナタのためよぉぉぉ~ ♪

ということで、行ってまいりました、煙山ダムのひまわり畑。
(私は花見に行ったら、ナツメロを歌わないと
ブログを書けない身体になってしまったのか・・・?
でも、この部分しか歌詞よく知らない)

場所の詳細は、こちらの岩手の観光サイトをどうぞ ↓
http://www.iwatetabi.jp/spot/detail/03322/1155.html

一週間くらい前の岩手日報に、
「お盆あたりが見ごろ」と書いてあったので、
今年のお盆はゼヒ行きたいと思ってて、
ほんとは昨日行こうかと思ってたのですが、
ちょうどいい時間帯で往復できるバスがなくて、
今日に延ばしました。
つくづく、車の免許がないと不便。

ていうか、そういう社会にするとあとがタイヘンよぉ。
公共交通機関をちゃんと残さないとね。
ということを、我が身で体感しつつ暮らしております。

で、岩手県交通の矢巾温泉線、
「バストラルバーデン行き」、
バスセンター(中三向かい)バス停より、11:05発。
片道710円。

やっぱ、なんというか、
温泉に県交通バスに乗ってく人なんかいなくて、
矢巾町に入ったあたりから、ほぼ貸切バス状態。
南昌病院前で、お見舞いの人らしき人が一人降りたら、


私一人。


そりゃ、運転手さんも声かけるってなもんです。
心配そうに「終点まで?」
と訊かれたので、
「はい。煙山ダムのひまわり畑を見に行こうと思って」
と答えると、運転手のおじさんは、
ひまわり畑の存在を知らなかったらしく、
しかも私の異常に軽装を見て非常に困惑し、
「煙山ダムに来たことは?」
「いや、初めてです」
の私の答えに困惑最高潮。

「・・・あれが、煙山ダムだよ」
「かなり歩くと思うよ・・・」

と、やたら心配されて降ろされたのでありました。
そこで私もちょっとは
「・・・軽率だったか・・・?」
と心配し、脳裏を最近の登山者の
遭難事件がよぎったりもしつつ、

しかし、マンガ「岳-みんなの山-」の三歩さんの
「よくがんばった!」という言葉が
走馬灯のように駆け巡る暇もなく、
バス停降りてすぐの
「マースやはば」脇の道路のところには、


「ひまわり畑」の簡易案内板が。


しみじみと、バスで来る人って
(バスの運転手さんが知らないくらい)
ほんとにいないんだなぁ・・・
と、実感するのでした。

で、道路をてくてく歩いていくと、
ずらっと「ひまわり畑」の幟がはためき、
駐車場入り口にも、目立つような看板が。
賞味、徒歩5~10分程度。
(ま、さすがに歩いてる人いなかったのは確かだけど)

でまたこの、ひまわり畑、壮観でした!

ただし、菜の花畑との違いは、
ひまわりは成人の身長くらいあるので、
一面のひまわり畑を見渡すには、
畑内に設置された、パイプで組まれた台に上らないと、
その全貌が見えないという問題が。

ひまわり畑の真ん中に立とうとすると、
ひまわりのほうが背が高くて、
茎しか見えません。
あと一つ問題は、


「クマ出没注意」


の看板が、ひまわり畑の脇に堂々と。
人がいっぱい見に来てる時間帯をオススメいたします。
(この日は結構な数の家族連れが。
くっ・・・ここでも家族連れだらけ・・・)

そんなこんなで、南昌山ハイキングもせず、
矢巾温泉にも浸からず、
木陰でデパ地下のおにぎりを頬張り、
(でも、そこから上に上がると、日陰のところはないけど
ダムの水面を渡る風が涼しくて気持ちよかった!)
汗びっしょりの身体で13:30のバスに乗って
14:10過ぎに盛岡に帰ってきた私は、
肴町アーケード内に停めてた自転車で、
岩手県立美術館の
「細見美術館展」に向かったのでありました。

(書ききれなかったけど、こちらもオススメです。
つくづく日本美術は日本のマンガ・アニメの世界の祖先。
とくに今回は「とりぱん」風味炸裂)


うふ。お盆満喫!


(こんなに楽しいのに、
どこか抹香臭くなるのはどうしてだろう)

2009年8月14日金曜日

マンガ百花繚乱展(石神の丘)

昨日より久々に4連休。
ビバ、お盆。

と、いうことで医大の定期外来
(だって空いてるんだもん・・・)。

金曜の午前にもかかわらずガラガラの待合室。
去年も今年もこの時期に、
「先生、お盆休みないんですか?」
「だって、病院開いてるし」
という会話を交わし、お盆もお医者さん大変ね。
と思って今日来ましたが、見つけましたよ!


「○○先生は、出張のため13日は外来はお休みです」


の張り紙を!!
そして、
「ぜーったい、出張じゃないでしょ!」
「お盆休みでしょ、○○先生と▲▲先生は!!」
と食い下がって、
がっつりA孫子先生に無視されてきました。
(いや、本当にお盆のために、
地域病院の出張診療対応だったらごめんなさい)

ま、そんなこんなで昼前には外来も済んだので、
今日は午後から久々の小旅行を。
(もちろん鉄道利用の旅/盛岡駅-いわて沼宮内駅)

というわけで行ってきました、
「マンガ百花繚乱―いわての漫画家50の表現―展」
(岩手町:石神の丘美術館)

詳細はこちらの美術館のサイトへ ↓
http://museum.ishigami-iwate.jp/

「とりぱん」や「伝染るんです」
「六三四の剣」「リトルフォレスト」
などなどの原画を見てきました。

私はマンガに全然詳しくないんですが、
それでもかなり面白かったです。
こんなに石神の丘美術館に
人がたくさん入っているところを初めて見ました。
(ていうか、そんなに頻繁に
足を運べる距離じゃないんで
なかなか来られないんですが)

芸術監督が斎藤純さんになってから、
ポピュラリティとのバランスの取れた
企画展が増え始めて、
(とはいっても、企画展はまだ2つめくらい?)
芸術音痴な私としては、とても来やすいです。
前回の「印象・いわて―7人の画家の表現―」
もとてもよかったです。
でも、


「恋人の聖地」


っつーのは、どうにかしてくんねぇかなぁ。
一人で行きづれーし。
だからといって、どっかの観光地で、

「おひとり様の聖地」

が出来たって、ぜってぇ行かねーけどな。

お盆、それは意外とクリスマス並みに
一人で行動するのが難しい季節。

隣の産直は幸せそうなファミリーだらけでもう!
(それでも意地で、春みどり(特産キャベツ)の
ソフトクリームは食べてきた。一人で)

2009年8月6日木曜日

裏表紙の男

バイト帰りのヘロヘロの体を引きずって、
エスカレーターに乗って下に向かっていたら、
反対側のエスカレーターを上ってくる青年の顔に見覚えが。

「あああぁぁぁぁぁっ! ナルキくんっ!!!」

そう、そこには、先日のてくりに
私が記事を載せていただいた時、
同じ号で裏表紙にエッセイを書いていた竹村育貴くんが。

思わず、エスカレーターを逆流して駆け上がってみたものの、
ヘロヘロの私がエスカレーターの速度に勝てるはずもなく、
ナルキくんがニコニコしながらこちらのエスカレーターに来て、
一緒に下の階に下りてきてくれた。

もう、最近の私のブログしかご存知ない方は、
私とナルキくんの繋がりがまったく分からないと思いますが、
私はですね、ナルキくんが
大学2、3年生の頃から知っとるんですよ。

今から6、7年くらい前、この盛岡絶賛系は、
まだブログというものの無い時代、
盛岡の面白い人たちに依頼をして、
コラムやエッセイを書いてもらっていたサイトでした。

その時に、サイトのDMを作って、
舞台公演時にパンフ折込してもらったり、
喫茶店やお店に置かせてもらってたりしてまして、
その時のDMイラストを3種類ほど
手がけてくれたのがナルキ君でした。

最初は、劇団ゼミナールの安曇くんにお願いをして、
(ちなみに安曇くんは、てくりさんの記念すべき
第一号の表紙の写真を撮った青年でもあります)
「2種類作って見せてくれる? そのうちの1枚を使わせて」
と言ったところ、彼のデザイナー魂に火をつけてしまったらしく、

「一枚は自分が作り、もう一枚は別の人間に作らせるので、
その2枚からさわのさん、選んでほしい」と。
オトコとオトコの、デザイナーの対決であると。

その時に安曇くん(岩手大学の特美)が連れてきたのが、
一年後輩のナルキくんでした(当時2、3年生くらい)。

ま、面白かったのでどちらも使わせていただいて、
同時に印刷して、同時に配布したんですけどね。
で、その後も継続で2回ほどお願いして作ってもらいました。

それがねぇ、二人ともこんな凄い才能のワカモノだったとはねぇ。

さわの 「また機会があったら、何かお願いしてもいい?
     ・・・・・なるべく安値でどうか、ひとつ」


ビンボーで、すまん。


ナルキくんの作品は、以下のサイトでご覧になれます。
盛岡絶賛系のDMも2点掲載されてます。
IBC岩手放送の番組ロゴもあるので、
知っている方もいらっしゃるのでは。
私の代わりに、誰か高値で発注してください。

http://www.naruking.com/works/

2009年8月4日火曜日

弱点

ただ今バイト先では、とてもめんどくさい
書類の受付とチェックなどの業務を大量にやっていて、
海千山千な業者のおじさんたち相手に、

「このメーカーの型番の最大出力は何キロワットで」とか、
「建物の所有者の承諾書と登記簿謄本が必要で」とか、
「契約書の内訳書の業者の代表印が契約書の印と違います」
なんていう、脳内消耗度が異常に高いことをやっている。

しかし、私の座っている窓口自体は、
子供たちがよく来る公共施設の窓口も兼ねているため、
夏休みに入ってからは、受付に来た小さい女の子に、

「うちのふくこうちょうせんせいが、
かわで、たくさんイモリをとってきて、
ぜんぶのクラスに、プレゼントしてくれたので、
いま、きょうしつで、いっぱいイモリをかっている」

という話を熱く語られていたりする毎日である。
(一体、さわのさんは今、どこでバイトしてるんだ???
と思った方は、直接さわのに耳打ちしてください。
こっそりアナタだけにお答えいたします)

今日は、全く日本語がわからない
欧米系っぽい青年旅行者に、
ペラペラと英語で話しかけられたため、
開き直って堂々と、

「アイ キャント スピーク イングリッシュ。
プリーズ ジャパニーズ スピーキン」

と答えたら、背後のスタッフ達にウケられた。
いや、だってねぇ。わかんないんだもん、しょうがないじゃん。
ここは日本だ。少しは日本語で会話しようと努力したまえ。

その代わり、あなたの国に行くときは、
ちゃんと「地球の歩き方」と「会話練習帳」は持って行くよ。
(今、パスポートすら持ってないけど、私)

ちなみにそのおにぃさんは、
「コンバンハ!」
と言って近づいてきたので(昼ごろです)、
さわのの100万ドルの笑顔で、
「コンニチハ!」
と、訂正してあげた。

「これが私の優しさです」((C)谷川俊太郎)

とりあえず、インターネットという単語を強調していたので、
施設内の一般利用者向けの
検索用パソコンを使わせてあげたら、
どうにか目的は果たせたようなので、良かった良かった。

なんだかもう、いろんな意味で、
毎日鍛えられてるような気がする。
では最後に、


【今日の豆知識】 さわのは、英語が話せない。

2009年8月1日土曜日

祝・昇進

IBCの「じゃじゃじゃTV」を見ていたら、
大船渡からの中継で、江幡さんが
「支社長」というたすきをかけて映っていました。

江幡さん、昇進おめでとうございます。
いや、IBCの「平ちゃん」が、支社長っすか!びっくりですよ!!

昔の沢野日記では「過労死に一番近い男」として、
ずいぶんとフューチャー(?)させていただきましたが、
前の職場で、仕事をお願いしたりとか、
私のプロデュースの舞台にノーギャラで出ていただいたりとかで、
いろいろお世話になって身近で見てみたら、
ほんと、江幡さんは将来偉くなる人だろうと思っておりました。

こういう人をIBCさんは大事にしないといかんと思いますよ、えぇ。
江幡さんがどれだけよく働くかについては、
原稿用紙20枚は軽く語れる自信があります。
なにせ「過労死に一番近い男」ですから。

江幡さん、「島耕作」みたいにどんどん昇進して、
代表取締役でもなった暁には、
ぜひとも和かなとか大清水多賀とか
駒龍とか銀河離宮とかでおごってください。
もちろん私の肩書きは「プロデューサー」で。
今から楽しみにしております。

そんな江幡さんには、先日、八芝の100回記念公演の、
「なんだりかんだり読みがたり」の会場でバッタリお会いし、

「てくり読みましたよ。良かったですね~さわのさん・・・写真が」

と、言われました。
その後すぐ、「あ。写真が、って言い方はまずいか」
と、動揺していた江幡さんでありました。

2009年7月24日金曜日

今日は、全部でヤクルト1本分くらい採血された。

医大で採血検査。

いつもは、服用している薬の
効き目を調べるためのみの採血検査だが、

今日は、いわゆる一般的な
「血糖値」とか「貧血」とか「コレステロール」とか「肝機能」
とかいう検査をしたい(検査する機会がないので)と、
前回の外来でお願いをして検査してもらった。

普通の医院とかでは、診察の後の採血で、
結果は「次の外来で」ということが多いが、
(同じ医大内の外来でも、そういうところもあるが)

A孫子先生の外来では、
受付に診察券を出すと、すぐに呼ばれて
採血室で採血をするよう指示され、

採血した後、診療科に戻ってきて
ロビーで診察を待っているうちに、
検査結果データがパソコンに届くので、

数十分と経たないうちに、
その日の採血検査結果がわかり、
先生は、パソコンの画面を見ながら説明する。

いやぁ、外来も進歩してますなぁ。
(まあ、定期外来なのでできる事かも)
ただし、


NA
K
Cl
UN
CRE
UA
AST
ALT
TC
TG
HbAlC
WBC
RBC
Hb
PLT
%HYpo ・・・・・


としか書いてないので、


はっきりいって全くわかりません!


でもって先生は、全体を眺めて「うん、全部正常値!」
としか言わないので(何か重大な症状が見つかれば別ですが)、
大学病院の血液検査結果の説明に慣れていない人は、

あんだけ血ぃ採られて、
2000円近く取っといて、それだけ?!
(薬の処方代など含む)と、


モヤモヤすること請け合いです!


しかし、私の性分をよくお分かりなA孫子先生は、
プリントアウトした検査結果の、
この暗号のような文字列の横に、

「あ、これ(UN)とこれ(CRE)が腎機能ね」
「これ(WBC)が白血球でこれ(RBC)が赤血球、
これ(PLT)、血小板」

などと、目ぼしい検査をサラサラと書き込んでくれます。
そしてこの、
「(虎の巻を)何も見ないで当たり前のように書き込んでいく」
という行為(←そりゃ医者だし)に、思わず、


さすがお医者さん・・・・・


と、うっかり尊敬してしまった私は
(↑ 今までどう思っていたんだ)
毎月「雑草と芋煮の話題ではムキになる」とか、
全然医療と関係ない事で
ネタにしてごめんね、先生・・・・・。
と、心の片隅でお詫びをするのであった。

とはいえ、3割負担で2000円近い診察代(薬代別)は、
時給生活者には大きいですから、
「検査料 5,140円(のうちの3割負担)」
(他に再診料と投薬料と消費税がかかる)
の、「キモチ的」モトはとりたいじゃないですか、
伝説の(?)「病院の検査好き」としては。


さわの 「白血球って、怪我したりすると増えるんですよね?」
A孫子 「あぁ、そうだね」
さわの 「こないだ、中指に火傷したんですけど、
      白血球増えてないんですか?」
A孫子 「それくらいで増えるわけないじゃん(←鼻で嗤われる)」
さわの 「えー! だって、同じ側の腕から採血したんですよ?
      ちょっとくらいは何か変化があっても・・・」
A孫子 「そんなの、全身火傷でもしないと」


・・・・・まあ、「検査好き」っつっても、
質問のレベルはこの程度なわけですが。

つーか、全身大火傷でもしない限り、
私がA孫子先生に心配される機会はないようである。


それにしても、昨日はビタミン総合ドリンク飲んだり、
ここ最近、市販の胃薬飲んでたり、
昨夜は自宅で酒飲んだり、
夕飯時にポテチ食ったりしてたわけですが、
検査結果に、どこにもその片鱗が窺えないってのは、


大丈夫なんすかね??? 現代西洋医学は!


検査結果だけ見ればたぶん、
そこらへんの肝機能が高いおじさんとか、
血糖値が心配なマダムなんかより、
ずっと健康そうな数値が並んでるワタクシでございます。
でも、カラダは弱いんです。信じてください。

一度、検査入院で試してみたいのが、
入院しながら、専門医の保護観察のもと、
毎日酒飲んで、甘いものとか揚げ物とか、
コンビニ弁当とかスナック菓子とか、
コーヒー(及びカフェイン多いお茶系)とか、
焼肉、ステーキ、カツ丼、天丼etc を摂取して、
どれくらい数値に異常が出るのか。
というのを調べてみたい。
(↑ 医療的M気質?)

2009年7月18日土曜日

勝手にキャスティング パート2

先日、オトナグリコさわのキャスティング
というのをお届けしたのですが、
その後再び真剣に考えましてね(←バカだ)、

フネさんの八千草薫にたいして、おカルさんを池内淳子
っつーのはどうっすか?(←誰に訊いてるんだ)

で、カツオの先生は蟹江敬三、
堀川くんは堺雅人、
波平さんは大滝秀治、
ウキエさんを鈴木京香で、
甚六さんに佐藤浩市、
アナゴさんに柄本明。

カオリちゃんと早川さんは壇れいと江角マキコで、
花沢さんは寺島しのぶ。
そしてタマの声は、ここはやはり山寺宏一で、


どうっすか??(←だから、誰に訊いてるんだ)


いったい誰と盛り上がれるネタなのか、
試行錯誤でただ今お送りしております。

で、のび太たちの25年後(35~40くらい?)も、
勝手に考えてみたわけですよ。

のび太=筒井道隆
しずかちゃん=麻生久美子
ジャイアン=伊原剛志
スネ夫=香川照之
出木杉くん=堺雅人

のび太の息子、ノビスケには、
トヨタのCMのこども店長やってる子を希望。

最近は、マンガ「深夜食堂」に出てくるマスターが、
実写だったらだれがいいかを
真剣に考えている今日この頃です。

えぇ、ヒマ人ですけど、何か?

2009年7月17日金曜日

「勝手にシンドバッド」

こんにちは。
ふとブログを振り返れば、
てくりネタと、通院ネタと、盛岡弁ネタくらいしか、
たいした事を書いてない最近のさわのです。
皆さまお元気でしょうか。

去年の、あんだけ遊んでたツケが、
今頃まわってきてるのでしょうか。
最近はもう、疲労で休日は家でゴロゴロして、
マンガ読むばかりの日々です。

あぁっ、遊びたい!!!

ちゅうことで、やっぱり今日も盛岡弁の歌をひとつ。
盛岡弁で恋愛ソングは難しい、
との説を、てくりさんの企画で
展開していたワタクシですが、
もう一つ難しいのが

「早口な盛岡弁」

だと思っております。
そんな高いハードル克服(←なんのだ)のために、
今日はこの曲をお届けいたします。
バリバリの恋愛ソングも、難しいだけに今、
チャレンジ制作中です。

その情熱はどこからくるのか?
それは私にもわかりません。


********************

「勝手にシンドバッド」

作詞・作曲:桑田佳祐
翻訳:盛岡絶賛系


じゃ じゃ じゃ じゃじゃじゃ じゃじゃじゃ
じゃ じゃ じゃ じゃじゃじゃ じゃじゃじゃ
じゃ じゃ じゃ じゃじゃじゃ じゃじゃじゃ~

砂まじりの中津川 ひとも波っコも 消ささって
夏(なづ)の日の 思い出 ハァ
ぺっこ まなぐの中(なが)さ 消えてらほどに

それにしたって 涙っコァ
止まらさらねぇ 如何(なじょ)すんべ

おぼこな女子(おなご)みでぇに
ぺっこ この晩げ ハァ 熱(あづ)く 胸ば焦がらかす

さっきまでオレひとり
お前(め)思い出してら時(どき)
しょすがる ハートさルージュの色っぺが
たんだ 浮がぶ

好ぎにならずにいられねぇ
お目さかがれで

何時だぇん? んだな だいたいな
何時だぇん? ぺっこ 待ってるむしぇ ほにほに
何時だぇん? まんた 早(は)ぇんちぇ

妙(ひょんた)なもんだな お前(め)はん見たば
胸ダッガめぐ 腰づぎ
胸ダッガめぐ 腰づぎ
胸ダッガめぐ 腰づぎ


********************

どうですか? 歌えそうですか?
私は口がまわりませんでした(!)。
歌える方はゼヒ、カラオケでチャレンジしてみて下さい。
2番作ってないけど。

早口の盛岡弁も今後の課題です(←だからなんの課題だ)。

2009年7月4日土曜日

「てんとう虫のサンバ」

先月、従姉妹の結婚式があったので、
(ジューンブライド!)
お祝い(?)に「てんとう虫のサンバ」の盛岡弁を
考えていたのですが(別に歌う予定もなかったけど)、
すっかりアップするのを忘れてました。

「愛の接吻」と「愛の光」は、盛岡弁にはなさそうだなー。
「微笑む」は何だろう?
やっぱ、恋愛方面の盛岡弁は鬼門だなー。
大阪弁や京都弁はどうなんでしょうね。

********************

「てんとう虫のサンバ」

作詞:さいとう大三
翻訳:盛岡絶賛系


お前(め)はんとおれ達(たづ)ぁ 夢の郷(クニ)
杜の小っちゃけぇ 教会で
結婚式ば あげあんした

しょしがる お前(め)はんさ 虫達(たづ)が
キスっコするむしぇと 囃したで
こそっと お前(め)はんは くれあんした

赤(あが) 青 黄色の 衣装ばつげた
てんとう虫っコぁ なった気してらっけ
さんさに合わせで 踊り出す

好き合う二人さ 鳥達(たづ)も
赤(あげ)ぇリボンの 花かごと
愛の接吻 くれあんした

赤(あが) 青 黄色の 衣装ばつげた
てんとう虫っコぁ なった気してらっけ
さんさに合わせで 踊り出す

丸っけぇ 丸っけぇ お月(づぎ)さん
愛の光で 微笑んで
杜の月夜(つぎよ)ば ふけあんした

********************

そんなわけで、盛岡弁バージョンの場合、
「てんとう虫のさんさ」
と、タイトルを変更させていただきたく。
あぁ、あとひと月でさんさ踊りのシーズンですね、
早いなぁ。

2009年7月3日金曜日

オトナグリコ・さわのキャスティング

先日バイト先で、サザエさんの年齢は24歳で、
マスオさんが28歳という設定ということは、
マスオさんの同僚のアナゴさんも28歳なのか?!
(「アナゴくん」「マスオくん」と呼びあってるから、おそらく同僚)
という話をしていた。

以前に友人たちと議論した結果(←ヒマな若者たち)、
「アナゴさんは数年浪人をし、
大学も留年を繰り返してから入社したのではないか」
「だから、年上でも同期だから敬語を使わないのでは」
という考察をしたのですが、どんなものですか、皆さん。

やっぱ、41歳のバカボンのパパと同じで、
(↑ ♪ 41歳の春だから~ ♪ という歌詞なので)
アナゴさんの28歳も
がんばって理解してあげるべきなのでしょうか。

さて話は変わり、オトナグリコのCMで、
カツオ=浅野忠信
ワカメ=宮沢りえ
タラオ=瑛太
イクラ=小栗旬
という「25年後」のキャストがあるじゃないですか。

こうなると、他も考えたくありません?
個人的には、花沢さんは、すっげー綺麗に成長してて、
(しかも下級生に慕われ、料理も家事も得意。
しかも人情味に溢れ、恋に積極的でスポーツも得意)
小学生時代に冷たくしていたカツオを
ゼヒとも後悔させて欲しい。

山口智子あたりはどうでしょうね?
藤原紀香とか。
江角マキコはちょっと顔が細いか。
(丸顔で元気な30代半ばの女優さん募集中)

以下、さわのキャスティング「オトナグリコ」

マスオさん=中村正俊
ノリスケさん=中村勘三郎
タイコさん=樋口可南子
アナゴさん=佐藤浩一(または柄本明)
ウキエさん=壇れい
中島くん=大森南朋(または永瀬正敏)
スズコちゃん=深津絵里
花沢さんのお父さん=ベンガル
フネさん=八千草薫
おカルさん=木野花(または、もたいまさこ)

あぁ、なんてオトナだ!!
向田邦子に脚本を書いて欲しいくらいだ!

サザエさんと波平さんが思い浮かばないんですよねー。
イメージでは、榊原郁恵か岡江久美子か?
だと、ちょっと上記キャスティングには浮くような。
福岡生まれつながりで松田聖子とか。

どなたかあと、サブちゃんと、伊佐坂先生と甚六さん、
リカちゃん、カツオの担任の先生、
かおりちゃんと早川さん(カツオの同級生)、
堀川くん(ワカメの同級生)あたりも
網羅していただけると嬉しいです。
(↑ 途中から他力本願)

ちなみにこちら、オトナグリコのサイト ↓

http://www.glico.co.jp/otona/cm.htm

2009年6月21日日曜日

読書に必要なのは、もしかしたら健康な身体

医大で定期的な検査のため採血をされたあと、
いつも通りに昼ご飯を食べ、
自転車をこいでバイト先に向かっていたら、
珍しく具合が悪くなった。

うっかりしていたが、そういや採血されてから
変な湿度の気候のなか、
勢いよく自転車漕いで仕事場に向かい、
ヘヴィな業務量をこなせるほど、
自分の体力を過信するべきではなかった。

(その前の週は、週のうち4日芝居の観劇が続いたり、
(八時の芝居小屋100回記念公演と「乱暴と待機」)
今週は市による父の介護認定調査や、
盛劇に出向いて感劇地図のゲラ校正などもあったりして、
知らず知らず疲労も蓄積していたに違いない)

そんなわけで、バイト先に着いてから、
その日のバイトを休ませてもらい(←迷惑な奴)、
家でごろごろしてゆっくり身体を労わった。
土日は本来の休みの日。

こういう、降ってわいたような時間が出来ると、
やっとアレに手をつけられる。


村上春樹の新刊「1Q84」である。


発売日当日だったか次の日だったかに買ったものの、
集中して一気に読んでしまいたい私は、
なかなかその機会が掴めないでいたのである。

私が村上春樹の新刊を「積ん読」しとくなんて・・・

あぁ、若くないってこういうことね。
先週の「違う芝居を4本立て続けに観る」というのも、
芝居のクオリティとかそういうこととは全然関係なしに、
私にとってはかなり体力のいることになっていた。
そして最近は、常に自分の感性が衰えていないかと
意識的に対峙してばかりような気がする。


話は変わるが、最初の心臓の手術を受ける前、
友人に、買ってきてもらうのを頼んでいた村上春樹の
小説が本屋になかったからと、代わりに友人は、
同じく村上春樹の別の長編小説
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
を買ってきてくれた。

その頃まだ読んでいなかったのでまあいいかと、
読み進めようとするのだが、
まったく内容が頭に入ってこない。
時間は(手術前までは)一日中たっぷりある。
にもかかわらず、ページが遅々として進まない。
入院中は、とにかくわけのわからない小説であった。

そして結局、上巻の半分も読み進められず、
しおりを挟んで、次の日の手術を迎えるときに、

「もしかしたら私は、この小説の続きを
読めないまま人生が終わるのかもしれない
可能性もあるのだ」

という事を、漠然と考えていた。

その後、無事手術は成功し、
退院して元気になってから改めてゆっくりと小説を読んだ。
そして、その内容に深く心を揺さぶられた。
なぜ、この内容が全く頭に入ってこなかった
のだろうというほどにのめりこんで読んだ。

そんな事を今回、この小説を読みながら思い出した。

無意識に息をつめて本を読んでいて、
気がつけば途中何回も深呼吸をするほどの小説を、
またこうして味わえているということ。

そして、まだ私にも、小説から深い感動が
得られるだけの感性(=身体)が残っていること。
それは本当にありがたいことなのだということを。

でも、やっぱり相当のエネルギーが必要。
普通の精神状態に戻ってくるのに、
けっこう努力が要ったのは相変わらずだった。

2009年6月19日金曜日

ツッコミ下手

医大循環器科定期外来。

・・・・・と、今まで書いておりましたが、
ワタクシ、嘘をついておりました。
今日、よくよく領収書を見てみたら、


「心腎内科」


と書いてあるではないですか!?
聞いてないよ!?
正式名称は、

「心血管・腎・内分泌内科」

だということで、A孫子先生は、
病院の玄関脇の一覧では、
「循環器内科」の医師ではなく、
「心血管・腎・内分泌内科」の保険医として掲載が。

でも、昔の主治医の先生は、
「循環器内科」の保険医に掲載されてるんですよ。
で、外来の担当も場所も同じなんですよ。

え、ナニ? ナニがどう違うの???

昔は第二内科、略して「二内」と書かれてました。
それが今や、


しんけっかん・じん・ないぶんぴつないか


ですよ?
なんか、別の病気になったような気がしませんか?
A孫子先生に身売りされたような気がしませんか!
分泌物がどうにかなってそうじゃないですか!

にきびとか!(←若ぶってみる)

と、会計から何から済ませた後で気づいたので、
この心の叫びを
どこに向ければいいかわからなかったので、
試しに、ここに書いてみました。
(おそらく新年度から変わっていたようだ。今頃気づくな)


ということで、心腎内科定期外来。
(なんか馴染めないなー、この名称)


さわの 「今日の(血液検査結果の)数値は普通ですか?」
A孫子 「(パソコンを凝視して)・・・普通じゃないよ・・・」
さわの 「えっ・・・・・(動揺)」
A孫子 「「普通」じゃなくて、「すごくいい」数値!」
さわの 「は。」


イッツ・ドクタージョーク!


しまった。
うっかりスルーしてきてしまった。
関西人の血が一滴も流れていない、
ツッコミ下手な私を許して。

この場合、
「そうですか、すごくいいんですか・・・って、いいんかい!」
というノリツッコミをするのが
吉本芸人的基礎反応だろうか。
と、真面目に考察する東北人。

そんなドクタージョークが飛んでた今日は、
A孫子先生にてくりを贈呈してきた。

さわの 「あ、T代先生とF崎先生には
      『自分で買ってね♪』って言っといて下さい」

主治医を外れたとたん、さっさと恩を忘れる薄情・さわの。
ていうか、それは贈呈ではなく、
「サンプル無料提供」というのでは。

てくりの高橋さん的には、
ぜひともA孫子先生に「ウコギのほろほろ」のページを
熟読していただきたいとの事です。

そんな高橋さんの熱い思いを知ってか知らずか、
てくりをパラパラとめくっていた先生の第一声は、


A孫子 「あ、カメラのキクヤ・・・」


なぜそんな、源蔵さんのプロフィールに載ってる、
ちっちゃい文字に一番反応するのか!
(ちなみに源蔵さんのお店、カメラのキクヤは
医大の裏手にある)
大々的に特集している「ベル」はいいのか、
「キッチンたくま」は驚かないのか。

つーか、自分の患者の「いずみさん」が
一体ナニモノなんだこいつはという疑問はないのか。

こちらもうっかりツッコミし忘れてきてしまった。
東北人であるというのは、時として不便だ。

2009年6月3日水曜日

見合い写真か遺影に

ミニコミ誌 てくりさんから、
掲載本誌と、撮影していただいた写真を
いただけるという連絡をいただき、
てくりの高橋さんと六分儀で会ってお茶を飲む。

もらってびっくり、その数10枚(そして、でかい!)!

本誌に掲載されなかった写真もたくさん戴いた。
撮影してくださった奥山さん、ありがとうございました。
今後、お見合い写真か遺影に使わせていただきます。

ちなみに、これまでにプロデュースした芝居では、
「卯の卵」の宣伝写真には、rakraなどで活躍されている
カメラマンのおおたにひろきさんに撮影していただいたり、

舞台写真と稽古風景を、
岩手大学写真部の精鋭達や、
フォト&カフェ SoLUNAを経営する
カメラマンの澤村明彦さんに
撮影していただいたりしているばかりでなく、
何気にこっそり写りこんでいたりした
私の写真もそれぞれ戴いてるので、
被写体としての要求クオリティが無駄に高い。


あとはアラーキーと篠山紀信を残すのみである。

あ、それから源蔵さん(岩手県写真連盟名誉会長)。


そんな私にとって、奥山淳志さんといえば、
もう本当にぜひ一度お会いしたかった
カメラマンなのであった。
(ちなみに、岩手県美で公演したときの
宣伝写真を撮っていただいたのも奥山さんである。
この時は直接お会いする機会が無かった)

てくりさんでの写真ばかりでなく、
rakra、銀花をはじめとして、
全国的な写真誌でも活躍されていて、
写真と共に執筆されている
硬質で透きとおるような文章も素敵だ。
そんな夢膨らむイメージいっぱいの私の前には、


毒舌炸裂の関西弁のおにいちゃんが。
(たしか私と同い年)


奥山さん、
「雑誌に書いてる写真と文章のイメージと全然違う!」
と、指を差して非難してごめんなさい。

もし、次にお会いする機会があればその時には、
「さわのさんといえば、ネットカフェでブログ書いてる人」
というイメージだけでない私を
お見せいたしたいと思う所存です。

2009年6月1日月曜日

ケータリングは塩と水

昨年12月に、盛岡の制作協力をさせていただいた、
東京の劇団、燐光群制作の古元さんが、
仕事を兼ねて来盛中である。

昨日は劇団赤い風の舞台「鼠小僧次郎吉」を見たあと、
盛岡劇場で稽古中のTCTや劇団ゼミナールに挨拶、
劇団赤い風の公演打ち上げに参加という、
劇団制作のプロフェッショナル的な
盛岡滞在を満喫(したらしい)。

今日はせっかくなので、一緒にご飯食べましょうと、
劇団ゼミナールの睦さん、
劇団香港活劇姉妹のあやぞうさん、
いわてアートサポートセンターのいなべ君
(↑ てくり的には編みぐるみ作家)、
市文化振興事業団のN沼さんと、
私の6人で桜山のMASSで夜に飲み会。

カシワギさんが来られなかったのが
とても残念だったが、
図らずも燐光群の昨年12月の盛岡公演の、
制作打ち上げもできてよかった。

(結局、燐光群盛岡公演後に、
盛岡の制作協力隊で集まっての
打ち上げの機会が今日まで
もてなかったのである)

演劇関係者で飲み会といっても、
盛岡で演劇制作者同士が集まって
飲んで語らう機会というのは、
そうそうあるものでもない。

ふだんの演劇関係の飲み会では
あまり聞くことのない、
ちらしに掲載する情報量とデザインについてや、
チケットの販売方法、宣伝戦略などが、
ディープに熱く語られるという展開に。

後半はたぶん、普通の役者さんたちでは、
ついていけない話題の数々であった。
(いわんや一般人をや)。
でも、他の制作スタッフがどんな事をしているのか
というのは興味深いしとても面白い。


さわの  「こないだの八芝(「ホテル寿」)、
       すごい人入ったよねぇ。
       あれは何? 盛岡市民演劇賞受賞効果?」
あやぞう 「いやぁ、どうなんでしょうねぇ。
       あ。今回、「チケットが一枚も売れなかった人は、
       ケータリングは“塩と水”」という事にしたんです」


ケータリング代として2000~3000円払ってて、
公演中ずっと食事が塩と水だったら、


泣くね。


あやぞう 「さすがに0枚の人はいませんでしたけど。
       まさかそんな、私がほんとに塩と水
       出すわけないじゃないですか~」


いやぁ、ほんとにやったら面白そうだけどね。
ていうか、やりかねないけどね!


さわの  「(気の利く)あやぞうさんの事だから、
      高級岩塩とボルヴィックとか」
あやぞう 「まさか。食塩と水道水ですよ」


ちなみに、0枚が「塩と水」、
で、チケットの手売り枚数が増える毎に徐々に
「パンだけ」「パンにジャム付き」「カレーパン」
などと、ランクが上がっていき、
一番売った人は「鮨にケーキ付き」となるらしい。

私個人の制作の主義としては、
公演関係者にチケットの手売りの強制をさせる
というのはしてなくて、手売りをするにしても
どう、公演関係者が自発的にチケットを
売りたくなるような芝居作りをしていくかと、
なるべく手売りに負担をかけないような、
効果的な宣伝は何か?

という方向性で考えていこうとするので、
こういう発想は無いのだが、
手法としては、アリだと思う。

だって、参加者が面白そうだもんね。

いやぁ、いろんな事を考える人がいますね。
果たして古元さんは、この飲み会で、
何か影響された事はあったであろうか。

燐光群主宰の坂手さんが、公演中ずっと
「ジャム付きコッペパン」
を、古元さんに食べさせられる姿。
を想像してみるのも、
なかなか趣き深いものがある(←そうか?)。

2009年5月29日金曜日

デビュー

えー、友人知人には報告メールを送っておりましたが、
ワタクシ、さわの。
この度、ケッコン・・・なんていうことはまるでなく、
何をここで報告いたしたいかと申しますと、


さわの、「てくり」デビューをしております。

グラビアデビューです。(ウソです)


そう、ここのブログにもよくスタッフさんのお名前が
出てきております、盛岡のミニコミ誌としてだけではなく、
最近は、読者が全国展開までしている、
ファンのとっても多いあの、ミニコミ誌、てくりです。


あぁ・・・なんで顔出しオッケーにしちゃったんだ、私・・・。


今までどんな新聞やテレビでの取材も、
その公演の演出や出演者に対応を丸投げし、
プロデューサーからのコメントとかが欲しい
と言われても頑なに拒否してきたのに!
なぜ、てくりの依頼は断れないのか!
一体、てくりにどんな弱味を握られてるのか、私は!

そして、てくりの木村さんは、
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、誰も読んでないからぁ」
と、


ありえないウソをつきます。


そんなありえないウソに何故、騙されるのか。
いや、騙されてることはわかってるんだけど、
何故、了承してしまうのか。
キャッチセールスに騙される心理とはこういう感じか。


恐るべし、木村マジック。


そんなわけで最新号のてくりで、ワタクシさわのは、
岩手県芸術文化協会会長の松本源蔵さんに、
盛岡ことばを教わるという企画で、
「赤いスイートピー」の
盛岡ことばへの翻訳をご指導いただき、
御歳82歳の松本源蔵さんと、


「恋バナ」


をしております。5ページモノです。
たぶんもう、二度とそんな事はないと思われます。
(だって二人とも「おしょしぃがり(恥ずかしがり)」な
生粋の盛岡人なんだもの)
貴重な記事ですので、良かったらお読みください。

他には、うこぎのほろほろの作り方が載っていたり、
劇団コトナコナタ代表のいなべ君が
「あみぐるみ作家」として、和服を着て、
中津川河畔で編みぐるみを作っていたり、
裏表紙には、絶賛系のDMを昔作ってもらってた
ナルキ君がエッセイを書いていたり、
「なんぶくん」を制作した、
桜山神社の権禰宜さんが登場してたりするので、


「木村さんのシュミ炸裂号(←さわの心の命名)」


と、個人的には呼ばせていただいております。
ちなみに、うちのブログでの出演(←勝手に)回数の多い、
スタッフ・高橋さんが執筆デビューをしております。

そんなこんなで、何気に
てくり×盛岡絶賛系コラボな号
(↑ うちの一方的な片思い)
になってますので、どうぞよろしくお願いいたします。

あぁ・・・どんどん「世を忍ぶ仮の姿」でなくなっていく・・・。

ちなみに、以前私が制作した時の、
「赤いスイートピー」盛岡弁翻訳バージョンはこちら ↓
松本源蔵さんバージョンとの
盛岡弁の年季の違いをどうぞお楽しみください。
(まだまだ私もヒヨッコね)
http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_11_01_archive.html#1978711529568479221


※てくりさんのサイトに、販売店情報が載ってます。
 (なんと青山ブックセンターにも!)
 あと、ネットで注文もできるみたいです。
http://www.tekuri.net/

2009年5月24日日曜日

スギナを喰らふ

さんざん私が雑草・・・いや「摘み草料理」に
興味を示していたら、
母が、家庭菜園ではびこっている
スギナの若いところを採ってきた。

ちょうど、数日前に岩手日報の家庭欄で、
スギナ料理の記事が載ったばかりでもあった。
天ぷらがいいか、ご飯に混ぜるかと悩む私に母は、
自分は、絶対食べないの一点張り。

「戦時中ですら食わなかった」

と、さんざんな嫌いようである。
だったら何故採ってくるのか。
娘にツンデレ、シャイなさわの母・やはり貴方も盛岡人。


と、いうことで、レッツ・クッキング!


炊いたご飯にスギナを混ぜることにしてみる。
まずはスギナの茎の硬い部分を取って、
きれいに洗ってから、茹でる。

普通の青菜より、かなり湯掻く時間は長めに。
そして、水にさらす。
見た目はおかひじき(って知ってますか?)と変わりない。
このまますりおろしショウガと醤油か
マヨネーズと醤油で和えたら美味いんじゃ・・・?
と、ちょっと齧ってみたら、


硬くて味がない。


想像以上の挫折感の片鱗をここで感じ、
味に色々な保険をかけることを決定。

とにかく、ひたすら細かく刻む。とにかく刻む。
刻んでも切れないような硬い部分が残ったら、
容赦なくその部分は、捨てる。

そして、塩を揉みこんで全体を絞って水出しし、
とにかく塩味をなじませる。

「うこぎのほろほろ方式」と命名し、
山ぐるみをひたすら細かく刻み、
刻んだスギナと山ぐるみを、ご飯に混ぜる。

混ぜたご飯を、塩むすびにし、
海苔でまく。

塩と、山ぐるみと、海苔。
この三大保険をかけて、いざ実食。

美味いとか、不味いとか、苦いとか、
クセがあるとか、アクが強いとか、
そういう問題ではありませんでした。


スギナ、まったく風味がございません!


まあ、なんですか、「スギナ食ってみた」
というネタとしては面白いですが、
「美味しいよ! チャレンジしてみて!!」
と断言するには、


・・・うーん・・・まあ、不味いわけではないけどね。


という感じですかね。
身もだえするような不味さだったら、
ネタとしても面白かったんですが、
食えないことも、ない。
という、微妙な結果が片腹痛し。

もっと美味しい料理ができた方、ご一報ください。
ていうか、スギナ自体には何の味も無いわけですが。

2009年5月15日金曜日

会話だけ聞けば健康的な食生活

今月も、医大循環器科外来。
おなじみ、主治医は、

「今、盛岡のヒトヅマが
手料理を食べさせてあげたいドクター 第1位」
(ただし、うこぎのほろほろ限定)

のA孫子先生である。
(先月の私のブログを読んで、
どれだけの数の盛岡人が先生に
「うこぎのほろほろ」を食べさせたいと
身悶えしたことだろうか)。

A孫子  「変わりはありませんか?」
さわの  「(血液検査結果の)数値、下がってませんか?」
A孫子  「? いや、そうでもないけど」
さわの  「いやー、昨日の夜、茹でたブロッコリー
       一人でひと房全部、食べちゃったんですよねぇ。
      (ブロッコリーは私の服用している薬の
       拮抗成分であるビタミンKが多少多い)
A孫子  「・・・・・・・・・・」
さわの  「それに今月は、山菜たくさん食べてるし
      (そして山菜は、とってもビタミンKが多い)」

A孫子  「・・・山菜がビタミンKが多いって、知ってた・・・よね?」
さわの  「はい」


先生、それは素朴な疑問ですか?

それとも、せいいっぱいのイヤミだったのですか?


さわの  「まあ、ほら、こういうのは季節モノだから、
      年中食べるもんでもないしぃ。この時期だけだしぃ」
A孫子  「・・・まぁ、そうだけど・・・」

こんなモンスター患者理論に負けるんじゃない、先生!

立ち向かうんだ、先生!

でも食うよ、山菜!
そして雑草も!!
たとえ立ち向かわれても、そこは譲れない。
(さわのさん、あなたはどこへ進むつもりですか)

話題の元ネタはこちら ↓
http://morioka-zsk.blogspot.com/2009_04_01_archive.html#275640424976949639

2009年5月12日火曜日

雑草を食べて、雑草のように生きられるか

さて、先日の高橋さんとの
女二人花見デートの時のことだが、
高橋さんの車に乗り込むと、
高橋さんが、すかさず私にこう言った。

高橋  「さわのさん! 今日はさわのさんに
     是非食べて欲しいものを持ってきたんですよ!」
さわの 「えー、また、変なものなんじゃないですかぁ?」
高橋  「ひどぉぉぉい!!」

なぜそんなひどい発言をしたかというと、
高橋さんは以前、産直だか
県産品のお店だかで見つけたという、

「トコロイモ味の南部せんべい」(“苦いです”と袋に明記)

を、喜んで私にプレゼントしてくれる人だからである。
(トコロイモが何であるかは、「とりぱん」を読んでみてね♪)
まったくもって、興味の方向性が私とそっくりだ。

そんな高橋さんがプレゼントしてくれたのは、
手作りの「ツツジのゼリー」であった。

これは、以前に高橋さんに貸した摘み草料理の本に、
ツツジの花を大量に摘んで、
水と砂糖で煮出して作るエキスを使って、
ゼリーを作るというレシピが掲載されていて、

「こんな大量のツツジを、満開の時期に
摘ませてくれるような家なんて無いですよねー」

と話していた「夢のレシピ」なのだが、
実家に咲いていたツツジを摘んで、
高橋さんがチャレンジしたのだという。

たった4カップしかできなかったという貴重なゼリーを、
半分の2カップもプレゼントしてくれた高橋さん。

「変なもの」なんて言ってごめんなさい。
ココロが濁ってしまったワタクシを叱って。

そんなわけで、この本のせいで私は、
歩く先々で雑草や花を見ては、
「・・・この草(花)は確か食えたはず」
「あー、この若くて柔らかいところ美味しそう」
ばかり言ってて高橋さんに呆れられていた。

なにげに私の周囲ではこの「摘み草料理」は
地味に話題になっているのだが、
私と高橋さんと木村さんで話し合った結果、


(1)とりあえず、トリカブトとスイセンとスズラン以外は食える。

(2)茹でてダメだったら、とりあえず天ぷらにすれば、食える。

(3)天ぷらでダメだったら、とりあえず酒に漬ける。

(4)それでもダメだったら、とりあえず乾燥させてお茶にする。

(5)フキノトウもヨモギも春菊もセロリも旨いと食っておいて、
  何を今さら苦いだのクセがあるだのと。   


という結論に達した。

こないだ果実酒の本を立ち読みしていたら、
あの街路樹のナナカマドの実(すっげー苦い)すらも、
果実酒にしていたし、
クマザサの芽すら生食している本があった。


あとは、「どこまでを許容範囲とするか」の戦い。


かも。


私のこの「摘み草料理」の本を眺めていた母が、
今日、家庭菜園に一本「アカザ」が生えてると教えてくれた。

「わざわざ食いたいもんでもないけど」

との一言を添えて。
戦時中経験者にとっては、
雑草まで食べて暮らしたくはないと。

まあ、こういうのも、ある種の
キモチのゆとりがあるから
遊びとして面白いんだろうなぁ。

2009年5月9日土曜日

ヒトヅマの誘惑

先日ブログで「私を誘って」と募集をかけたら、
てくりの高橋さんから
「東北農研の菜の花畑に一緒に行きませんか?」
というメールが届いた。

先月は、同じくてくりの木村さんにミスドに誘われ、
「動物のお医者さん」全12巻を
貸してもらったばかりである。


こんにちは。
ヒトヅマに大人気のさわのです。
ライバルは弘道おにいさんです。

昨日は、感劇地図の会議で、
男性陣から、溜めてる仕事で非難轟々でした。
男性には人気のないさわのです。


と、いうことで、午前中に高橋さんの車で東北農研へ。
今年も「いちめんのなのはな」を堪能いたしました。
でもって今年は、一緒になって

「あ! ヒツジだ! ヒツジだ!!」

と、感動してくれる仲間がいて
「ひっとりじゃないってぇ~ すってきなこっとっねぇ~♪」
としみじみ思う。
(だからさ、みんな、菜の花ばっかじゃなく、
あの牛とかヒツジとか、もうちょっと騒ごうよ。
なんでみんな無視して菜の花畑ばっか見てんの?)

さて、ひとしきり菜の花畑を満喫し、
車に戻ると高橋さんが私にこう言った。

高橋  「さわのさん、このあと時間ありますか?」
さわの 「え。私はいくらでも。むしろ高橋さんこそ、
     今日は昼には帰らないとダメなんじゃ・・・?」
高橋  「私は、13:30までに戻れば大丈夫です。
     これから、mi cafeに行きませんか?」
さわの 「え?! だって、全く逆方向じゃないですか!
     (ここは厨川。mi cafeは都南黒川。盛岡の北と南)」

高橋  「今、絶対、りんごの花が満開だと思うんですよ!」

あぁ、なんてステキっぽいデートコースなんだ。
パーフェクトじゃないか。

そして、あぁ高橋さん。

私が仕事で疲れてるところに、
さりげなく菜の花畑に誘い、
共に菜の花と牛とヒツジに出会った感動を共有し、
短い時間で、さまざまな状況を判断し、
(今はりんごの花が満開なはずとか、スケジュールとか)
自分の限られた時間内を最大限使い、
嫌味のないさりげない強引さで、
カフェに誘う。


ホレてまうやろーーー!!!
そんなんされたら、ホレてまうやろーーー!!!
(↑ Wエンジン風に叫んでください)


つくづくカッコいい。
なんて粋なデートの誘い方だ。
私の今年のデート運は今日で使い果たされた。
もう私は高橋さんの魅力にメロメロである。


だけど、あなたは年下のヒトヅマ。


そんなわけで、
「桜の花はもてはやされ過ぎている」
「菜の花やりんごの花の花見も、
もうちょっと日本人は楽しむべきである」
「白い芝桜は綺麗である」
「ナナカマドの花が白いことに、最近気づいたのである」
などの見解を出しつつ進む車は、
都南に入った頃から、りんご畑が目の前に広がる。

高橋さんの予想、どんぴしゃ。

しかも、到着した、りんご畑の中にあるmi cafeは、
通常は第二土日は定休らしいのだが、
りんごの花が満開なので、臨時オープンしてたのだとか。

今日の高橋さんは、神がかっている。

そして、想定外で四葉のクローバーまで見つけてしまった!

残念ながらランチはお休みだったが、
高橋さんオススメのアップルパイと、
3種飲み比べできるりんごジュースセットがまた美味い!

アップルパイは、トロイカ(北上市)のチーズケーキを
初めて食べたときの「これは、チーズだ!」という衝撃を
思い起こさせるような、

「これは、りんごだ!」

という衝撃をおぼえる、
さわの的 キング・オブ・アップルパイだった。
あぁ、また食べたい。

しかしほんとになんてステキすぎる週末なんだ。
差し引きして今月はあとはもう、
ロクなことがないんじゃないかというくらい、
楽しい一日だった。

あまりにデートコース(草食系男子風味)なので、
「んなこといって、高橋さんの名前は借りただけで、
ほんとはカレシとデートなんじゃないの?」
という疑惑も浮上しかねず、
それはそれで、こちらとしては
良しとしたいのだが(←いじましい)、

残念なことに、高橋さんが、
てくりさんのサイトのスタッフ日記(5月9日)で、
写真つきでcafeの様子をアップしているので、
全くの女二人の花見であったことが、
これでしっかりバレてしまった。


↓ こちらが、ミニコミ誌てくりさんのサイトです。
  (「スタッフ日記」の5月9日をご覧ください)

http://www.tekuri.net/

↓ そしてこちらが、今年の東北農研の菜の花畑の様子です。

http://ss.tnaes.affrc.go.jp/event/nanohana/2009/rape.html

2009年5月6日水曜日

ある意味、究極の選択

よく眺めている週の占いによると、
ここ1ヶ月ほどの私の運勢は、


突然の別れの暗示があり、

と思ったら電撃的な出会いに恵まれ、

でも次の週には相手の存在が重荷になり、

というはずなのに、新築と出産に縁があったらしい。


そんな、(占い上では)めまぐるしくも恋多き
ドラマチックなひと月を送るはずだった私の毎日は、


バイト先で、(比喩とは思えないほどの)書類の山に埋もれ、

バイトが終わると毎日本屋とスーパーに寄り、

自宅で、新聞か本かマンガを読みながら
酒を飲んで泥酔し、

休日には、
(大量の)マンガの貸し借りをしあう仲の、
てくりの木村さんから借りた12冊の
「動物のお医者さん」を
二日酔いの残るアタマでコタツで読み、

日が暮れる。


という毎日であった。

どっちの生活が羨ましいかは悩むところである。

2009年5月3日日曜日

アート&クラフトのフリーマーケットに行って、米と味噌を買って帰る。

各方面に不義理をしつつ、仕事も溜めつつ、
そんなところにこんなことを書くのは
ものすごく気がひけるのだが、

(旧)東和町土沢で行われた、
「街かど美術館 アート@つちざわ<土沢>
アート&クラフト フリーマーケット」に行ってきた。

言うまでもないが、独りで、鉄子の旅(by釜石線)である。

ここ最近だともう、仕事が休みでも、
疲れて自宅でグダグダしているうちに
貴重な休日が終わってしまうので、
「あー・・・明日、つちざわのイベントかぁ・・・どーしよっかなぁ・・・」
なんてなことを考えて日が暮れちゃったりする生活なので、
んもう、久しぶりの遠出(というような距離でもないが)である。

何故、出かけていったかというと、
バイト先のスタッフのHさんが、
アートキャンドルを作って出店していたからだ。

もし、知り合いが一人も出てなかったら、
「面白そうだなー」と思いつつ、
ふと気づくと、家のコタツの中で
最終日の夕方を迎えていたに違いない。

強制的に行かねばならない状況を作り出す
というのはとても大事だ。

なので皆さん、私を強制的に誘って!
これからの季節はぁ、
東北農研や煙山ダム近くの菜の花畑とかぁ。
海もいいなぁ~。もちろん、山田線で。
ていうか、このままだと
県美の蜷川美花展がうっかり終わってしまう!


もうほんとね、昨年とのこの違いは何!?


遊びたい! 遊びたいの、私!
凍え死んでもいいからキリギリスになりたいの!


というわけで(?)、土沢である。


例年のつちざわ@アートのイベントだと、
1ヶ月か2ヶ月間位イベントが行われていて、
しかも、商店街を中心に
展示会場が広範囲にわたっているので、
もちろん、土日は人が多いものの、
商店街の人出もある程度分散するのだが、

今回は、GW中の天気のよい日、2日間のみの開催。
ふと、冷静に商店街を眺めてみたら、
よもやここが、高齢化が進む一方の
過疎地の細い一本道の商店街
とは思われないようなごった返し方をしている。

通りすがりのボランティアスタッフのおじさんたちが、
「今日は、町の平均年齢が
30歳くらい下がってんじゃないか~?」
と、嬉しそうに話し、

昼の喧騒が過ぎ去った後(14時半くらい)に
立ち寄ったお店では、
お店の人がぐったりとして、
今にも救急車で運んであげたいほどに
憔悴しながら昼ご飯を食べていた。

私も歩く先々で知り合いやら、
一方的に知ってる盛岡の美術関係の人とかに遭遇し、
(「仕事? それともプライベートで?」と訊かれた。
どんな仕事してるイメージなんだ、私)
まったくもって油断ならないイベントであった。

なので、一通りフリーマーケットを楽しんでからは、
(でも途中でつい、山菜(コシアブラ)を買ってしまった・・・)
中心部を避けながら、

昼ご飯を小桜家で親子丼を食べ、
八丁土蔵でコーヒーを飲み、
産直あおぞらで、タラボと、今日精米したばかりの、
ナントカさんの作ったもち米(1.5キロ)を買い、
佐々長味噌で、2種類の味噌を買い、
駅裏のAコープで、規格外で市場に出ないけど、
めちゃめちゃ美味そうなアスパラガスを買って来た。


「・・・フリーマーケットに行ったんですよね?」


というご批判は甘んじて受ける所存であるが、
(フリーマーケットで買ったのは、Hさんのキャンドル1コだけ)
その土地に住む人たちに
お金を投入してきたという点においては、
間違ってないんじゃないかという気もしないでもない。

あまりにも土地に馴染みすぎていたせいか、
Aコープを出たところで人に道を尋ねられた。
(↑ しかもちゃんと答えられる私)

ま、そりゃねぇ。
山菜やアスパラ入れた袋下げて
商店街とまったく関係ない場所を歩いてる人が、
よもや、盛岡の人とは夢にも思わないであろう。

ちょっと、勝った気がした(←何にだ)。

2009年4月29日水曜日

春の反省会と今後の目標

こんにちは。
ブログが止まっている理由が、
「・・・もしや入院?!」と心配されていたり、
私のバイト先を知ってる方々には、
新聞記事などで状況を知り、

「さわのさんのバイト先、今、すごい忙しいだろうなぁ・・・」

と、納得されていたりするであろうさわのです。
お久しぶりです。生きてます(4月29日現在)。

ブログ書いてる場合じゃなくて、
いろいろ滞らせているサマザマをどうにかしろ!
とのお叱りを各方面から受けそうですが、
取り急ぎ、生存報告をしておかねば。

あぁぁぁぁぁ・・・

すっげぇ、いろんな仕事止めてます!
義理も欠いてます!!
スミマセン! 各方面!!

ていうか、感劇地図とはちしば方面と、
2月に子供が生まれた友人方面!!
あと、青森に芝居観に行けなかった「なべげん」方面と、
四つ葉のクローバー探しに行けないでいる、
てくりの高橋さん方面その他
まだあったら思い出したら懺悔の追加します!!!

しっかし、ほんとに世の中、不況なのか?
そんな事を毎日思いながら、事務仕事をしております。
金のあるところにはあるらしいよ。うん。
(↑ 超他人事)
ま、私は

♪ 金も要らなきゃ 男も要・・・らないわけじゃないが~
   私ゃ も少し のんびりする時間が欲しいぃぃぃ~ ♪

(古い歌ネタでごめんなさいね。もう、知らない人も多いかも)
と、いうわけで、これといった花見もできぬまま
今年の桜が散ってしまいました。
無念です。

つーか、寒い春でした、今年は。
花冷えってやつですね。

なので、桜の花見はあまりできなかったのですが、
ココロのバイブル・『家栽の人』の桑田判事を見習い、
住宅街の、ヒトん家の花壇や植木を見て歩いて、
「ヒトん家の庭、勝手に道路からこっそり散策ツアー」
を、地味に時間があるときに決行しておりました。
で、今年の総評。


「スイセンは、タンポポ並みに野良化が進行中」


「桜が咲く直前に、道路にはみ出す枝の
大伐採はやめて欲しかった・・・
(せめて桜が散った後で切って欲しかった(涙))」


そして、今年の反省(←もうですか)。
毎年、この季節にやりたいやりたいと思いながら、
未だに出来ないでいることがあります。

私と同年代とその周辺の方々で、
同じ国語の教科書を使っていた方は、
覚えている方も多いと思いますが、
教科書に載っていた
染色家の志村ふくみさんの随筆で、

桜が咲く直前の桜の木の皮を煮出すと、
とても見事な、桜色の染物ができる。

と、いった内容の作品があるのですが、
(その後、志村ふくみさんの別の随筆を読んだら、
でも、すごく難しいというような話が書いてあった)

これを一度やってみたい!!

・・・と、思いつつ、今年も桜は散ってしまいました。
無念です。

つくしをたくさん摘んで、きんぴらを作る。
ってのも、気づけばもう、つくしがスギナです。

あと、やってみたいのは、
桜の実(さくらんぼじゃなく、咲く桜に生る苦い実の方ね)を、
リカーだか氷砂糖だかに漬けて、
「桜酒」を作るっていうのが、なんかの本に載ってて。
(↑ 自分で果実酒を作ったことがないので、
  材料がよくわかってない。リカーでいいんだっけ?)

これもねー、やってみたい。
こっちはこれからだから、間に合うかなぁ?

あとは、
タンポポの花でてんぷら。
タンポポの根で、たんぽぽコーヒー作り。
(↑ コーヒーっていうより、薬草茶みたいなもん?)
ハルジョオンの花で、かき揚げ。
スギナを乾燥させて、スギナ茶を作る。
ヨモギの葉を乾燥させて、ヨモギ茶を作る。

ん?

これだと、てんぷらとお茶三昧すぎるな。
まあいいや。

あー、もう、私にのんびりする時間と、
少しの時間の空きだけでも動き回れる体力プリーズ!

あ。
ウコギのほろほろはもう、食べましたよ。
ていうか、作ったのは母だけど。
んまいね、ほろほろ。
コゴミも食べました。タラノメはこれからね。

ビタミンK、摂取三昧!
来月の循環器科の外来が怖い!

梅桃桜の季節が過ぎ、
次の花見は菜の花畑シーズン到来ですかねー。
今年は5月9日(土)・10日(日)らしいですよ。
(昨年のこのブログ参照 ↓)

http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_05_01_archive.html#1070845705262557468


ていうか、まずは欠いてる義理が先だろう、私。

ほんと、スミマセン!

2009年4月25日土曜日

とらぬタラボの皮算用

昨年知ったのだが、この季節になると100均ショップに、
タラノメ、ミョウガ、アスパラガス、フキノトウ
・・・の、各栽培キット(ていうか、短い枝一本が入った袋)が
販売されている。

昨年は、気づいた時点でタラノメの袋だけ完売状態で、
ミョウガの袋だけやたらと残っていたのだが、
今年は何とか、タラノメの枝をゲットできた。

5センチくらい?のタラの木の枝が、
水ゴケ?に包まれてビニル袋に入ってて、100円。

いやもう、これ、気になるでしょう!
自宅でタラボ(タラノメのこの辺の通称)採り放題!

ま、でも管理は多分、
母に丸投げになることは目に見えている。
うちに帰ってから、
「こんなくだらないの買ってきて・・・」
と、バカにされるかもしれない。
(36年一緒に暮らしてきて、
未だに興味のズレの地雷原がわからない)

先日、ホーマックで
ワイルドストリベリーの苗(198円)を、
3つ買って帰って、
「こんな野いちごなんか、畑で増えて増えて迷惑」
という反応をされたばかりである。

なので、「100円だしさ」という、言い訳と、
2袋だけという慎ましやかなお土産を手に、家へ。

そうしたら、意外と興味津々な反応。
2袋じゃ少ないっぽい反応で、
「まだ売ってるの?」
というので、じゃあ、明日も残ってたら買ってくるよと、
今日は、5袋買って帰った。

そうしたら、今度は
「こんなにいっぱい買ってきてどうするのか」
というようなことをぶつぶつ言われ、
2袋残される。

じゃあ、何か?
母のストライクゾーンは、3袋以上5袋以下か?
知るか! んなもん!!

まあ、栽培担当には逆らえない。

どんな理不尽な目に遭おうとも、これもタラボのため。

そんなわけで、今年の我が家はタラボ長者予定です。
ま、100均レベルの。

あと、ホーマックで売ってた、
ナメコ栽培キットも気になるんだよなー。
でも、管理するのは、たぶん母。
(↑ すべてが人任せ)

2009年4月11日土曜日

花見宣言

ただ今、盛岡は梅の花が見ごろです。

ちなみに、お勧めは、
北山の源勝寺の庭(ん? 桃だったっけ??)。

場所わかんない人は、自力で調べてください。
(↑ 親切なんだか冷たいんだかわかんない情報提供)

おぉ、今年も花見(自転車と電車と徒歩)の季節到来。

2009年4月10日金曜日

朗読依存症

夜は、もりげき八時の芝居小屋制作委員会会議が
盛岡劇場3階会議室で行われる。

午前に、医大で定期外来。
午後はバイト、
夜はもりげきで会議。
意外と忙しかったっぽい今日のスケジュール。

さて、今日の会議の出席者は、

架空の劇団のくらもちさん(委員長)、
劇団ゼミナールの睦さん(事務局)、
現代時報の高村くん(副委員長)、
八芝プロデューサーの宮川さん、
IBCアナウンサーの大塚さん(八芝プロデューサー)、
劇団赤い風の大森さん、
八芝プロデューサーの柏木さん、
同じく八芝プロデューサーの私、
市文化振興事業団から、お馴染み担当・M浦さん。

今年度は、八時の芝居小屋公演が、
6月にめでたく100回を迎えたり、
今年度中に、延べ入場者数が20,000人に到達予定
などという、めでたい年に当たるため、

「シリーズ 祝」

というコンセプトの舞台が何本か予定されています。
ちなみに5月は、劇団WIRE WORKの「ホテル寿」、
(タイトルからしてめでたいですな。ギャグ系です)。
ちなみにWIRE WORKは、
昨年度の盛岡市民演劇賞の大賞を受賞した、
(作品名「WIRE WORKのGOLDEN DOWN」)
今、勢いのある劇団です。
昨年見逃したのが、ちょっと悔しい。

6月は100回記念特別企画で、3夜連続で別の舞台3本。
これはちょっと大々的に宣伝されるかも、です。
街なかのポスターは、要チェック!(これから作るんだけど)

あと、劇団帯の会の「結婚の申込み」。
この劇団は、盛岡で一番団員の平均年齢が高い?とこで、
盛岡一老舗劇団?かな??
(もっと古い劇団あったらごめんなさい)
チェーホフの戯曲を盛岡弁でやる?と思った。
7月か8月予定。

5月には、年間予定の載ったリーフレットが出回る予定です。
ただ今、曖昧な記憶を元に書いてて申し訳ございません。

テーマがめでたいせいか、今日は会議とはいえなんか、
ずっと、うひゃうひゃ笑ってばっかりだった。
私は今日は、大塚さんの話を聴きながら、

「へぇぇぇぇぇ~・・・・・!」

しか言ってなかったような気がする。
大塚さんは、今年度に八芝プロデュース(及び出演)2本と、
別の八芝作品出演がすでに決まっているという忙しさだ。
その他にも、滝沢村・巣子のゆい工房のギャラリーで、
吉田瑞穂さんと二人で朗読会を毎月開催していくらしい。

で、もし今年も盛岡文士劇の出演が決まったり、
いわてアートサポートセンターからも
読みがたり企画の依頼があれば、
もう年中、舞台に立ってるような感じである。
しかも、職場の外のノーギャラ企画ばかり。

そんな大塚さんの、定年退職後の夢は、
路上ミュージシャンのように、
盛岡の繁華街でゲリラ朗読をしたいのだそうな。

大塚さんは、一日中朗読してないと 死んじゃう
という特異体質の人なのかもしれない。

そんな大塚さんは、面白いことばかり言って
さんざんみんなを笑わせて八芝の会議を終えると、
仕事があるからと、21時くらいに職場に戻っていった。

つくづく、マスコミの人はパワフルだ。

白い巨塔の実態を妄想する

今月も医大循環器科の定期外来。
毎月行っている血液検査(薬の効きを調べる)の
結果も安定傾向らしいとのこと。

さわの 「いや、来月はわかりませんよ。
      だってこれから、山菜の季節ですからね!」

「山菜の季節になると、薬が効かない」
という、まるで「風が吹けば桶屋が儲かる」
みたいな論理になるのは、

私の服用している、ある薬の作用を阻害する成分が、
ビタミンKという、
青菜モノ・海草によく含まれている成分なせいである。

海辺のお婆ちゃんとかは、ワカメやコンブなどの
海藻類の日常的な大量摂取で、作用が減弱するらしい。
特に、山菜ではシドケに多いとのこと。

(ちなみに、ある種の薬の作用が阻害されるというだけで、
そのもの自体は一般の人にとって、全くの健康食材である)

詳しくは、昨年のブログ参照。↓
http://morioka-zsk.blogspot.com/2008_06_01_archive.html#96262850755332480


さわの 「“うこぎのほろほろ”とか、先生知らないですか?」
A孫子 「知らないなぁ」
さわの 「先生、出身はどちらなんですか?」
A孫子 「山形」
さわの 「えー、じゃあむしろ、このへんより食べてるでしょう」
A孫子 「食べないってば」
さわの 「(植物の)名前知らないだけなんじゃないですか?」
A孫子 「食べないっ」
さわの 「確か、上杉鷹山がウコギの生垣作らせたとかなんとか」
A孫子 「それを食べてるのはね、田舎のずっと奥の方だけ!」


はて。

なぜ、そんなにムキになるのか。


さわの 「『秘密のケンミンショー』かなんかで、
      別な雑草のやつもテレビでもやってましたよ」
A孫子 「“山形県民は雑草食う”ってやつでしょ? 食べないって!
     (ちなみに、植物名はすべりひゆ、だったと思った)」


あぁ、ムキになってたのは、そのせいだったのか。


もしかしたら、白い巨塔の内部で、
先輩や同僚ドクターに

「お前んち、雑草食ってんだってなー。だっせー」
「やーい、びんぼーにーん」

などと陰湿ないじめに遭っているのではないだろうか。
心配だ。
貴重な岩手の医療従事者を、
こんなことで心を傷つけ、現場を去らせて
山形に帰らせるわけにはいかない。

さわの 「いや、私あれ、食べてみたいと思いましたよ
     (↑ さすが、ハコベを食べてみたいとブログに書く女)」
A孫子 「俺は、ぜってー、食べたくないね」
さわの 「これだから、お坊ちゃん育ちは
      イイモンばっか食べてからに(きっと毎日米沢牛)」
A孫子 「お坊ちゃんとか、そういう事じゃなくて!
      あれはずっと田舎の方の料理、あんなの」

さわの 「それは今までに美味しいの食べた事ないんですよ
     うこぎのほろほろは、刻んだ味噌漬けとクルミを混ぜて・・・」
A孫子 「あっちではそんなことしないよ。
     ただ茹でて、醤油かけて食べるだけだよ」

あぁお願いです。誰か、A孫子先生に、
採りたてのウコギの若芽を湯がいて刻んで、
味噌漬けとクルミをみじん切りにしたものと混ぜた
“ウコギのほろほろ”を、
炊き立ての熱いご飯に乗せて食べさせてあげてください。
この豊かな食文化が理解されないのは哀しい。

先生を「雑草食うケンミン」のトラウマから解放させてあげて!

今や、摘み草料理はセレブのたしなみですから(←ほんとか?)。
スローライフでロハスでオーガニックでマクロビオテックで
ローカロリーでフードマイレージゼロですから。
(↑ 適当にカタカナを並べてみました)

とうとう、先生をこの短い診察時間内に説得できず。
(↑ ていうか、何しに医大に?)


さわの 「山形っていえば、芋煮が、牛肉の地方と豚肉の地方・・・」
A孫子 「(遮って)芋煮は牛肉でしょうゆ味!(断言)」
さわの 「なんか、こっちでいう南部藩と伊達藩みたいに、
     牛肉の地方と豚肉の地方で
     分かれてるんじゃなかったですっけ?」
A孫子 「山形は殆どの地方が牛肉でしょうゆ味!
     豚肉と味噌味は、ごく一部の地方だから!」


さわの 「・・・(話には聞いたことあるけど)
     ほんとに、山形の人って、
     芋煮の話になるとムキになるんだ・・・・・」


A孫子先生にお世話になってから、かれこれ3年。
こんなに激しい感情を露わにした先生を見たのは初めてである。


恐るべし、山形の芋煮。


ちなみに、岩手では「芋のこ汁」の名称で、
豚肉で味噌味が主流(だと思う)。

もしかしたら、白い巨塔の内部で
上司の教授とか准教授とか講師とかに、

「ほほう、キミはうちの家内の作った
この芋のこ汁が食べられないというのかね?」
「芋のこ汁に牛肉とは・・・これはこれは・・・(失笑)」

などというパワハラに遭っていないだろうか。
心配だ。

岩手の医療従事者の流出原因が、
こんなことで起こらないことを祈るばかりである。