2007年2月2日金曜日

新さわのの退院日記

いきなりここから読み始める人は驚くと思いますが、
不肖さわの、昨年4月に引き続き、
今年1月7日より

また、入院しておりました!

しかも、約4週間。
いやぁ、今回は無駄に長かったですねぇ~。そ

んなわけで、ここをさかのぼって読んでいっていただけますと、
その入院の全貌が明らかに!
(は、なってないかもしれませんが)。

まー、読んでもなんの入院の心得も、
医療現場の裏事情も書いてませんが。

それにしても、なんで4週間弱も同じところにいて、
医者と恋の一つも芽生えないものか!
(↑ここはひとつ、レントゲン技師や臨床検査技師でも可)

なぜ、私の周りには愉快な既婚医者しか集まらんのか。
やっぱ、ドラマになるのは白血病か?
いや、心臓病だってけっこう泣かせるアイテムだぞ。
しかも、大学病院で部屋は個室! ときどき手術!(今回はナシ)

んもう、月9なシチュエーションじゃないっすか!

むしろ、王道すぎてひくぞ(←あー、ひいちゃうのね)。
ここはやはり、キャラクターの魅力不足っすか。
ていうか、ドラマのように
あんまりしょっちゅう病室に来ないのよね、お医者さん。
(毎日すげー忙しそうでした、みなさん)

ん? 

キャラクターの魅力不足で医者が病室に現れないのか!
その疑惑も濃厚。
(先生方すいません。
ベッドの上でパソコンに向かって華麗なブラインドタッチを駆使して(?)
実はこんな日記ばかり書いてました)

退院よか、点滴が外れたことに浮かれて、
家に帰ってから自分の体力を過信して
近所のスーパーや本屋を歩きまわっていたら、
その後、半日寝込んでおりました。

社会復帰まで、もう少し時間を下さい。

2007年2月1日木曜日

新さわのの入院日記 第26夜

もう、明日の早朝の採血結果が良かろうと悪かろうと、
明日は退院してしまう、
効きがまだ悪くても、あとは少しの間はA孫子先生の外来で、
ということで夕方にA孫子先生と話を進める。

そうしないと、このままずるずると2カ月くらいいてしまいそうで怖い。

帰るとなると、それはそれでこの不自由な生活にも一抹の愛着が伴う。
ゴージャス個室で、くつろぎながら最後の夜を過ごしていると、
(↑でも点滴はつけたまま)
M田先生とA孫子先生が回診にやってきた。

M田 「では、明日の採血検査がよければ退院ということで・・・」
さわの「悪くても明日退院でいいんですよね?(A孫子先生に)」
A孫子「まあ、外来で対応可能な範囲だろうと。今の感じだと(M田先生に)」
M田 「明日帰るのは、午後になってからにしますか?」
さわの「いえ、できれば昼には」
M田 「じゃあ、昼食食べてから・・・」
さわの「いや、昼食はいりません!」

本当に愛着がわいていたのだろうか。

さわの「教授回診(毎週金曜の午後2、3時くらい)の
     迷惑になる前には帰ります」
M田 「(笑)お気遣いありがとうございます」

さて、明日の午前中は外来受け持ち、
午後は出張でいないA孫子先生に、
退院前に一つだけどうしても聞いておきたかったことが。

さわの「先生、私より2、3歳くらい上ですか? お幾つ?」
A孫子「?」
さわの「いや、(メインの)主治医が同い年だったらショックだなと」
A孫子「39です」
さわの「39?! 5つも年上?!」
A孫子「よく歳より下に見られるんだけど実は」
さわの「いや、主治医が同い年じゃなくて、安心しました(笑)」

一番お世話になったA孫子先生、ありがとうございました。
左手の薬指に、そのまばゆいリングが光ってなかったら、
この4週間弱でなにかロマンスがあったかもしれないと思うと残念です。
(↑いや、きっとリングが光ってなくても何もなかったと思います)

次に入院するときには、ぜひ、主治医グループには
歳上で独身の主治医も追加で。
(それはそれで照れて困るような気もする)

その後、20時を過ぎてから廊下で掲示板を読んでいたら、
エレベーターをK林先生が降りてきた。

さわの「え!? 先生まだいたんですか?!」
K林 「今日は当直!」
さわの「・・・・・お疲れさまです~・・・」

ん?

これと全く同じ会話を、
ちょっと前にA孫子先生とも交わしたような気が。

K林先生は、昨日も20時過ぎまでナースステーションで仕事して
「じゃーねー、いずみちゃん。おっさき~!」
と言って帰っていった。

お医者さんは(CCUみたいな緊急性の高い患者を
擁するところの担当でなくても)
ほんとに朝早く(8時前くらいからちらほらと集まってくる)から
夜遅くまでいるなぁとしみじみ思った
今回の入院であった。

2007年1月31日水曜日

新さわのの入院日記 第25夜

そんなわけで、リハビリを開始する
(昨日の日記の続きね)。

朝にA孫子先生に
「今日の午後に予約入れたから」
と言われたが、
その「午後」が、どのへんの「午後」なのか全く分からない。

まさか、忘れられてないよな・・・。

不安なまま病室で何をするでもなく待っていると、
看護師さんから声がかかる。
どうも、時間予約制ではなく、
時間が空くとリハビリ室から「今来てください」と連絡が入るらしい。

一日の予定が立たないじゃないか
(いや、予定なんかないんだけどさ)。

リハビリ室に行くと、まず心電図と血圧計を装着し、
ルームランナーの上を、時速3キロで30分歩かされる。
血圧計は、5分おきに自動的に血圧を測るしくみ。
目の前で理学療法士?さんたちが、
モニターを見ながらチェックする。

ふだん私は、すごく早歩きなので、
「こんなトロトロ歩くのなんて、全然リハビリにならないぜ。へっ」
と、思いながら、

3分で、ちょっとへばる。

が、涼しい顔で相変わらず
「遅いぜ」てな風情で歩き続けるが、

心拍数は100を超える。

ウソ発見器にかけられるのは、
こんな感じに違いない。
きっと私は完全犯罪を遂行することはできないであろう。
しかも、終わったときにはすごい汗だく。
なにより途方に暮れたのが、30分歩くリハビリを終えた後、
病室に戻って1時間以上横になる。

社会復帰できねぇ!(涙)

おまけに昨日から貼付が始まった、
血管拡張剤のテープ(シール状で、胸の辺りに張ると
心臓の冠動脈の血管が拡張されるスグレモノ)の副作用で、
今日の夕方にきてからものすごく頭が痛くなってきた。
(↑低血圧なので、これ以上血管を拡張されると頭痛が酷くなる)

ナースステーションに行ってA孫子先生に直訴し、
テープをやめることにしてもらって病室で横になっていると、
病室を訪れる人影が。

なんとそこには、きれいなお花を抱えたモカロンの真生ちゃんが!

さわの「なんでここが・・・!」(←逃亡者か、私は)
真生 「妹に聞いたんです」
さわの「ああ、そういえば前に聞いたことが・・・」

実は、真生ちゃんの妹が、この循環器センターで
働いてるらしいのである。
しかし、きわどい。
もし、リハビリをすることを昨日決めてなかったら、
今日の午前中にでも退院して、
仕事復帰まで自宅療養しながら通院
という状況に入っていたはずなのだ。
危なく、真生ちゃんと行き違いになるところだったのである。

運命の神は、粋なことをしてくださる。

真生 「・・・なんか、本でも買ってきましょうか?」
さわの「いやいやいや、退院するから、もう。
     ほんと、退院する気満々だから!」

毎日そんな希望的観測で、すでに3週間半。

2007年1月30日火曜日

新さわのの入院日記 第24夜

早朝、採血検査。

そろそろいくらなんでも薬も効いてくれてるだろう。
看護師さんも、無くなりかけた点滴
(↑ 服用の薬が効くまでの代わり)を、
「もしかしたら、点滴外すかもしれないんで・・・」
と言って、とりあえずそのままにして去る。

A孫子「さわのさん、やっと数値が安定したから、
     じゃ、もう帰っていいから」
さわの「ええっ、今日退院はいくらなんでも急すぎるので、
     明日じゃだめですか?」

という会話を想定して、退院のココロの準備をしていると、
(↑ 前回の入院がそうだったので)
看護師さんが「まだ効いてないそうです」と、
点滴を追加して去っていった。

しばし呆然としたものの、
気を取り直し「もうちょっと入院」モードに気持ちを切り替え、
ナースステーション前で新聞を読んでいたら、
A孫子先生がやって来た。

さわの「まだ効かないそうですね(笑)」
A孫子「それなんだけど、僕の外来で様子みる事で、
     とりあえず退院にしない?
     もう(入院も)長くなっちゃったしね」

この私のめまぐるしい切り替えモードは、どうすりゃいいんだ!!

ちょっと考えといて。
と、そんな私を置いてきぼりにA孫子先生去る。
考えといて、ったって、退院モードに気持ちを戻さなきゃ。

もしかして昨日、CCU(集中治療室)のF崎先生に
売店でバッタリ会ったとき、
「すいません、まだいましたー」
「A孫子先生がおうちに帰してくれないんです(笑)」
と告げ口(?)したのがバレたのだろうか。

でも、3週間半身体を動かしていないので、
いきなり仕事に復帰といっても、
どれくらいできるのかとてもじゃないが判断が付かない。

だいたいにして、500メートル歩行後の心電図測定に、
ちょっとだけひっかかったけど、
まあ建物内を歩くくらいなら大丈夫的な判断で、
今まできちゃってるのである。

その上、採血結果も不十分なまま退院しない? 
ときたら、何一つ太鼓判を押されてるものはないではないですか。
そんなあやふやな状況で、
退院して仕事に戻って大丈夫なのか、私?!

帰る前に、リハビリ室で30分くらい歩いて、
自分の今の体力を把握してから帰りたい。
そんなわけで、A孫子先生にその旨をお願いすると、

A孫子「予約が必要だから、今日はできないよ。
    混んでるから明日もどうかなぁ・・・」
さわの「え。(今日リハビリ受けて)明日退院しようかと思ってました」
A孫子「ちょっとリハビリの担当の先生と相談させて」

そんな混んでるんだ、リハビリ・・・。
本格的にやると1週間くらい必要らしい。
そして、途中まで入院しながらのリハビリになるのか、
退院してから通院でリハビリになるのか、
入院中にリハビリ済ませて帰るのか、
未だ回答の来ないまま、とりあえず点滴も外れないまま、
今日もお泊まり決定。

今日も20時近くなってもまだナースステーションから聞こえてくる
A孫子先生の声を聞きながら、
忙しいのに、なんか私、面倒な事頼んじゃった?
と、ちょっと心配しつつ、

まあ、薬も完全に効いてないし、
心電図も不安だし。
これまでずいぶん模範的で面倒かけない患者だったんで、
これくらいはちょっと無理をきいて欲しいのね。

2007年1月29日月曜日

新さわのの入院日記 第24夜

昼に、師長さんが直々にやって来て、
病室を代わって欲しいと言った。

なんだろう? 
症状の軽い人と重い人とで部屋を分けるのかな?
と思い、いいですよ、と軽く答えると
「個室に」
とのお言葉。

そんな金はなぁぁぁぁぁい!!

という、表情があまりにわかりやすく顔に出たのか、
何も言わないうちから即
「料金はかかりませんから」
と言われる。

急患がたて込んでいて、ベッドが足りないのだそうな。
とはいえ、今日だけで4人部屋のうち
私の隣とお向かいさんが退院である。
(↑あとから入った人に退院を先に越される不憫な私)
2つもベッドが空いたうえに、
私が部屋を移動してもギチギチだとは。

こないだまで結構いくつかベッド空いていたりもしたのになぁ。
こんな私ごときがまだいていいんでしょうか。
しかも個室とな。

さわの「あの、こんな元気なのにいいんですか?」
師長 「いえ、だからお願いしたいんです」

そう、実は4人部屋の方が看護師さんの目は行き届きやすい。
向かいの患者さんに看護師さんが用があって来たときに、
ついでに用事(点滴がそろそろ無くなるとか)を頼めたりもできる。

それに、何かあったときに同室の患者さんが
代わりにナースコールをすることもできる。
個室はプライバシーが保たれる代わりに、
けっこう密室状態で怖いところもあるのである。

私の場合、そろそろ退院ぽい患者なんで、
病室からはじかれたともいえる。

とはいえ、ちょっと興味深い個室。
そうそう滅多に入れるところでもないしね
(↑ ごめんね、貧乏で)。

不安半分、興味半分で点滴をぶら下げた棒を
カラカラ押しながら看護師さんについて行くと、
ナースステーション脇を看護師さんは、
左ではなく右に曲がった。

さわの「えっ、そっちの個室なんですかっ!?」

なんとそこは、病棟一のゴージャス個室!

絨毯敷きだよ!

ベッドが木枠だよ!

テレビがちょっと大きいよ!

机とクローゼットとちょっとしたタンスとインテリアライトがあるよ!

応接セットが置いてあるよ!

炊事用の水回りと電磁調理器があるよ!

トイレと洗面所とシャワー完備だよ!

窓からの眺めが壮観だよ!(岩手山が見えるよ!)

ていうか、ここだけでその気になれば3つくらいベッドが置けるよ!

すっげー、すっげー、すっげー!

でも、落ち着かねー!!(←超貧乏性)

人恋しい!!!(←ある意味ワガママ)

差額ベッド代一日につき3万1500円だそうです。
もちろん、3割負担にはなりません。全額負担です。
自腹だったら絶対泊まることはないであろう。
っていうか、ふだんはどんな人が泊まるの、ここ?!

でも、点滴付きの身体なので、
こんな広い病室を自由に歩き回れません。

2007年1月28日日曜日

新さわのの入院日記 第22夜

予想外に入院が延びてしまった。

最初は、症状も軽いし
前回の入院より早い2週間足らずで帰れるかな
と思っていたのだが、
どうも季節柄(?)病院が混んでたらしく、
いつもなら入院して数日で行われるカテーテル検査が
2週間以上後の予約となり、
(↑緊急性の高い患者が優先されるので)
おまけに、飲んでる薬の血液中の効きが悪く、
数日おきに採血しながら薬の量を増やしたり、
別の薬に変えたりと調整中で、
身体は元気なのにいまだに点滴も外れない状況である。

そんな大して長く入院するわけでもないし、
と思い職場など迷惑のかかる必要最小限に
あくまで短期の入院の連絡しかせず、
その後も何度も「そろそろ退院かな」という状況が
ずるずる来てたので
友人に「なんか本持ってきて(涙)」
と連絡するきっかけを失ってしまった。

たぶん、先生や看護師さんたちには、
見舞客の来ない、友達のいない
サミシイ人だと思われているに違いない。

でもまあ、特にふさぎ込んだ姿をみせているわけでもなく、
周囲に怒りやイライラをぶつけているわけでもなく、
そこそこ模範的で淡々と
迷惑もかけずに過ごしてきていたつもりなのだが、
ここ数日、点滴の追加や血圧測定などでやって来る
看護師さんが「この点滴さえ外れればすぐ退院なのにねぇ」と、
やたらと同情的である。

私は何か、とても可哀想な素振りを見せていたのだろうか?
それとも、こんな死にそうもないのに
なんでこの人は3週間経っても帰る気配がないんだろうか
と思われているんだろうか?
と、疑問に思っていたのだが、
一つ、思い当たることが。

私は、あまり体力や筋力をおとしては、
職場復帰がキツイと思い、
なるべくベッドに横にならないように気を付けて
(↑ これがなかなか難しい)、
時間があれば極力、ナースステーション前のテーブルで
新聞などを読むようにしている。

が。

点滴についてる機械のバッテリーが、
15分くらいしか保たない。
(私の点滴は、1時間に5ミリ流れるよう設定された機械がついている)
そのバッテリーの充電には最低でも1時間はかかる。

つまり私は、滑車の油が切れてギシギシいって煩い
移動用の点滴の棒(?)を1時間おきに持って移動して
ナースステーション前まで行き、
テーブルで15分ほど新聞を読んで、
その度に機械がバッテリー切れで
ピーピー音を鳴らして慌てて病室に戻る事の繰り返しを、
この3週間毎日、朝から晩まで繰り返していたのである。

そりゃ、同情もされるだろうよ。

2007年1月26日金曜日

新さわのの入院日記 第20夜

週に一度の教授回診で、珍しく顔を見せたK林先生がいたので、
(うちの病室に受け持ちの患者がいなくなったので、
あまり普段は見掛けない)
隣の患者さんの教授回診が行われている間、
K林先生と雑談していた。
(↑緊張感がない教授回診)

さわの「T代先生が最初に私の主治医だった時って、
     今の私くらいの歳ですかね?」
K林 「何歳になった?」
さわの「34歳です」
K林 「いい歳になったな~。最初に入院したのってどれくらい前だっけ?」
さわの「22、3歳だから12年くらい前ですね」
K林 「俺はもう(医大の第二内科に)入って
     すぐではなかったんじゃなかったかな」
さわの「F崎先生が新人でしたね」
K林 「あー、それくらいか」

K林 「・・・・・もう充分長生きしたじゃん」

さわの「えぇぇぇぇぇ・・・・・!!」
K林 「じゅうぶん、じゅうぶん。それくらい生きりゃ。なぁ?」

お願いです。後生なのでもう少しだけ長生きさせてください。

さわの「T代先生は、今日(教授回診に)いないんですか?」
K林 「あ、今日は午後から出かけてるよ」
さわの「なんだー、週に一回ここでしか見ないのに」
K林 「ちゃんと毎日来て仕事してるよ!(苦笑)」
さわの「T代先生も、すっかり偉くなっちゃって見かけないし」
K林 「まあ、今はうちらヒラの中でのトップだからね」
さわの「・・・・・それはビミョーな偉さですね・・・・・」

天下の岩手医大第二内科講師も、
私たちにはこんな会話の扱いである。